2月初めの中間報告に向け、スライドを作成し始める。
先週末はこの作業にかかりきりであった。
今週の月曜、または火曜日に先方と内容について「握る」ためである。
作成の方法は一枚一枚作成していきながら考えるのではない。
実は、だいたいのスライドイメージ並びに各スライドで伝えるべきメッセージについては、
先週の初めに既に完成させていた。
漫画家が出版社の担当と「ネームを決める」というコマ割作業とふきだしを確定する
作業に似ているかもしれない。
これも一気に書き上げた。
ストーリーがはっきりしていると書きやすいのかもしれない。
先々週の連日のWGで作成した資料がある程度使えることもわかっていたため、
あとはその頁間をつなぐスライドを数枚書くことで良いこともわかっていた。
あとは、重い腰を上げるだけ。(実際にスライドを作成する作業である。)
よく、「戦コンは紙を残して実行支援を行わず」が揶揄され、
それが悪いことであるかのように、「実行支援」をうたい文句にする戦コンもあるが、
私は必ずしも実行支援はしなくても良いと考えている。
クライアント自らが実行できなければ、あとあと問題が残る。
「自分ではできない」と。
確かに、実行支援によって売上を挙げることは可能であるが、
主体たるクライアントにやってもらいたい、
というのが私の願い。
「実行支援」もその定義次第である。
逆に、「紙」だけで相手をうならせる、納得させることに
深い大きな価値を私は見出している。
それこそがプロではないのだろうか。無論ケースバイケースではあろうが。
見栄えよく、理路整然と簡素明白にスライドをストーリーとして
まとめることは難しいし、それに価値を見出してくれるクライアントも居るのだ。
絵やイメージの多用、文章が長く、所狭しと文字が並んでいる報告書は多い。
メッセージがないスライドも多い。何を伝えたいのか、言いたいのかわからないスライド。
「○○は次の通りです」という説明もメッセージではない。
本当は、「○○はXXである」のように、
「次」に書かれていることが要約されていなくてはならないのだ。
要約内容は、
必然性、効果、実現性に関連していることが多い。
(プロフェッショナルプレゼンテーションより)
先週末はこの作業にかかりきりであった。
今週の月曜、または火曜日に先方と内容について「握る」ためである。
作成の方法は一枚一枚作成していきながら考えるのではない。
実は、だいたいのスライドイメージ並びに各スライドで伝えるべきメッセージについては、
先週の初めに既に完成させていた。
漫画家が出版社の担当と「ネームを決める」というコマ割作業とふきだしを確定する
作業に似ているかもしれない。
これも一気に書き上げた。
ストーリーがはっきりしていると書きやすいのかもしれない。
先々週の連日のWGで作成した資料がある程度使えることもわかっていたため、
あとはその頁間をつなぐスライドを数枚書くことで良いこともわかっていた。
あとは、重い腰を上げるだけ。(実際にスライドを作成する作業である。)
よく、「戦コンは紙を残して実行支援を行わず」が揶揄され、
それが悪いことであるかのように、「実行支援」をうたい文句にする戦コンもあるが、
私は必ずしも実行支援はしなくても良いと考えている。
クライアント自らが実行できなければ、あとあと問題が残る。
「自分ではできない」と。
確かに、実行支援によって売上を挙げることは可能であるが、
主体たるクライアントにやってもらいたい、
というのが私の願い。
「実行支援」もその定義次第である。
逆に、「紙」だけで相手をうならせる、納得させることに
深い大きな価値を私は見出している。
それこそがプロではないのだろうか。無論ケースバイケースではあろうが。
見栄えよく、理路整然と簡素明白にスライドをストーリーとして
まとめることは難しいし、それに価値を見出してくれるクライアントも居るのだ。
絵やイメージの多用、文章が長く、所狭しと文字が並んでいる報告書は多い。
メッセージがないスライドも多い。何を伝えたいのか、言いたいのかわからないスライド。
「○○は次の通りです」という説明もメッセージではない。
本当は、「○○はXXである」のように、
「次」に書かれていることが要約されていなくてはならないのだ。
要約内容は、
必然性、効果、実現性に関連していることが多い。
(プロフェッショナルプレゼンテーションより)