倉野立人のブログです。

日々の思いを、訥々と。

【速報】長野市内で新型コロナウィルス 23例目の陽性感染者が発生

2020-08-03 | 日記

8/2 Sun.

 

新型コロナウィルスの猛威が、今や慢性的になっている中、この日3日は 全国で合わせて960人の感染の発表がありました。

また千葉県・熊本県・福岡県・大阪府・東京都で それぞれ1人の死亡が発表されています。

絶対に避けなければならない 新型コロナウィルスに生命を奪われる事態。残念に他なりません。

 

そのような状況下で、ここ長野県エリアにおいても またも新型コロナウィルスの陽性感染者発生の報告が飛び込みました。

 

 

 

 

 

今回の陽性感染者は、長野市で23例目ということになります。

 

詳細は 次のとおりです。

陽性感染者 (23) 20歳代(男性)/市内在住 R男さん とします。

・行動歴と症状及び経過は下記のとおりです。

 7月28日 深夜に 熱感・頭痛・嘔気・倦怠感を発症⇒自宅で療養

   31日 熱感・頭痛・嘔気は消失するも、新たに咽頭痛・味覚/嗅覚障害を発症

 8月 1日 上記症状が継続するため 長野市保健所に相談のうえ 医療機関Aを受診

 8月 2日 PCR検査の結果「陽性」判定 ⇒ 感染症指定医療機関に入院

       症状 ⇒ 軽症

・濃厚接触者 なし

 

 

なお このR男さんは、先月24日から26日まで東京に滞在、25日には 飲食店で複数の人と会食をしたということです。長野市保健所は、会食の際に感染した可能性があるとして調査しているとのことです。

ただR男さんは 市の聞き取りに対し、会食の際に風邪のような症状がみられる人はおらず 今のところ他の参加者で感染が確認されたとの話も聞いていないと話しているということです。

なお R男さんは、26日に長野市の自宅に戻ってからは外出しないようにしていたため、濃厚接触者はいないということでした。

 

今回のケースは、おそらく「東京由来」ということが考えられます。

このことについては いわゆる〝出所(でどころ)〟が明らかであり、そういう点では 判りやすい事例といえるでしょう。

 

但し、R男さんの説明にあるとおり R男さんが東京で接触した人たちには症状を感じさせる人が居なかったこと、これは「無自覚症状者」からの感染、または 東京都内を移動中に ドアノブなど不測の箇所での接触感染があったか、など〝身に覚えの無いところからの感染〟が起きてしまった事実を裏付けることになっており、逆に 感染の強さ・怖さを実感させられることとなっております。

 

 

今回の事例を通じ 私たちは、新型コロナウィルスは 一見すると大丈夫と思われるところからも感染することが往々にしてあることを自覚(自戒)し、感染予防の基本行動に努めることをそれぞれが確認するべきと 改めて強く思わされたところであります。


大相撲7月場所 照ノ富士復活優勝 ~どん底からの復活に共感~

2020-08-03 | 日記

先日 千秋楽を迎えた「大相撲 令和2年7月場所」で、14場所ぶりに幕内復帰した 東前頭17枚目の照ノ富士関が「幕尻優勝」を果たしました(5年ぶり2回目)。

 

 

 

照ノ富士関においては、5年前にも優勝(地位/関脇)を経験しています。当時は いわゆる出世街道をひた走る、本人曰く「イケイケの中」での賜杯でした。

その後は順調に大関に昇進、周囲からは「次は横綱」と もてはやされる中でしたが、その前後から 相次ぐケガや内臓疾患に見舞われ、あたかも坂道を転がり落ちるように番付を下げ、2019年には「序二段48枚目」まで陥落することになってしまいました。

 

その間 師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱 旭富士)に何度も引退を申し出ましたが「必ず幕内に戻れるから頑張れ。先ずは身体の不調を治して出直そう。」と粘り強い説得を受け、照ノ富士も「もう一度新弟子から出直そう。」と決意。全てを失ったと思われた男は、自らの身体と心に鞭(むち)を打って、再出発したのでした。

それから一年余。まさに大山(たいざん)の頂上を極みかけながら その(山の)麓(ふもと)にまで転げ落ちた照ノ富士関が、再び頂(いただき)をめざして(番付を)上ってきた その道程を表にすると、それはまさに〝V字〟を描いていたのでした。

 

 

 

 

そして迎えた7月場所の千秋楽。ここまで12勝2敗で星を重ねた照ノ富士関は、これに勝てば巴戦(ともえせん)に持ち込めると意気込む 関脇御嶽海との一番に臨みます。

互いに譲れない展開なれど、一瞬早く上手を取った照ノ富士関が、厳しく脇を締めることで御嶽海関に付け入る隙を与えず そのまま寄り切りで13勝目を挙げ、本割で優勝を決めたのでした。

 

 

 

 

みごとに復活優勝を遂げた照ノ富士関でしたが、前回とは違い 勝って奢(おご)らず、厳しい表情のままに、まるで万感の思いを噛みしめるように勝ち名乗りを受けていたのが印象的でした。

 

表彰式では、師匠の伊勢ヶ浜親方から優勝旗を手渡されます。

大きく挫折するも その度に励ましてくれた師匠への何よりの恩返し。それまで厳しい表情を貫いてきた照ノ富士関も、この瞬間だけは 感謝の思いを込めて師匠に目を送っていたのが やはり印象的でありました。

 

 

 

 

優勝インタビューの場でも、照ノ富士関の口からは 謙虚なままで感謝の言葉だけが発せられていました。

「いろんなことがあった。最後にこうやって笑える日がくると信じてやってきた。一生懸命やったらいいことがある。と。」

落ちてるときも応援してくれる方がいた。家族、親方、おかみさん、部屋のみんなが支えてくれた。」

「前回の初優勝とは、歓喜の味が違った。(前回は)イケイケのときに優勝してる。今は慎重に、1つのことに集中してやってきた。それが違う。」

「みんなが支えてくれて、恩返しがしたかった。こうやって笑える日がきてうれしい。こういう時期だから、みんなに勇気と我慢を伝えたいと思って一生懸命やった。」

 

(番付が)落ちたときの辛さ。でも、そんなときにも 支えてくれた多くの人たちが居た。

そんな 周囲の支えや励ましのおかげで頑張ることができた。

その御恩に応えるためにも努力しよう。そして、結果を出そう。

 

一度は陥落した照ノ富士関、でも その挫折は、彼を(相撲の)技量以上に 多くのものを学ばせることになったのでしょう。

そのことが 彼を謙虚にさせ、勝っても奢(おご)らず 一番 々 を大事に臨む姿勢を身につけさせてくれたものと思います。

 

 

・・・。

照ノ富士関の足跡と比べるのは 不遜(ふそん)の限りではありますが、私自身 大きな挫折を味わった者として、照ノ富士関の復活に共感するところがあります。

地に落ち、辛酸を味わう中、それでも 応援してくれる人、支えてくださる人が居た。

そんな 周囲の声に励まされ、再び 前を向いて歩むことができた。

 

自分一人は 極々無力なものだけれど、支えてくださる人の心が 大きな力となって、背中を力強く押してくださいました。

忘れてはならないのは、感謝の気持ち。そして、それに報いるためにも 努力する姿勢。

そんな思いを胸に抱き続けながら、これからも歩んでゆきたい。

 

 

照ノ富士関の 奇跡の復活優勝は、私のような者にも大きな勇気を与えてくれました。

彼の努力にあやかりながら、私自身 これからも努力を重ねてゆきたいと 改めて思いをいたしたところであります。

 

 

 

なお、照ノ富士関と大一番を戦った 郷土力士の御嶽海関は、惜しくも敗れたものの「殊勲賞」を受賞、これからも照ノ富士関と 良きライバルとして、互いに切磋琢磨してゆくことを誓い合っていました。

 

 

 

みんな、頑張れ。本当に、頑張れ。

オレらも、頑張るから。