「いまの学生って、本当に無礼なんですよ」
ある大学の先生がそんなことを言いました。
遅刻や途中退席は平気だし、講義中の私語もあたりまえだといいます。
もちろん、昔からそんな学生はたくさんいました。
私だって決して品行方正な模範学生だったわけではありません。
では何が無礼だと言っているのでしょうか。
「昔の学生には、遅刻や途中退席、
講義中の私語は悪いことという自覚があった」
とその先生は言います。
だから講師や他の学生から目立たないようにするし、
見つけて注意すれば「すみません」と恥ずかしそうに謝りました。
ところが、いまは悪びれもしない学生が多いというのです。
「自分の勝手(自由)でしょ」
これが、そんな学生たちの本音のようだといいます。
その根底にあるのは、「お金は払っている」という意識です。
さすがに「お金を払ったのだから、単位はもらえて当然」
と、そこまで図々しく勘違いしている学生は少ないようですが、
「授業料はちゃんと払っているに何が悪いのか。
授業がわからなくなったり、単位を落としたりしても、
困るのは自分なのだから、他人に言われる筋合いはないでしょ」
という意識が根底に感じられると言うのです。
あまつさえ学生ばかりか、
テレビや週刊誌では評論家や解説者までもが、
「つまらない講義をする教員の方が悪い」とか、
「学生が興味を引かれるような講義をする努力をすべき」
などと、わけ知り顔で言うのですから始末に負えません。
明らかに論点のすり替えです。
「講義がつまらないから無礼でも構わない」
という道理はありません。
彼らにあるのは「学生と先生」という関係ではなく、
お金を介した「消費者と供給者」という意識だけなのです。
「お金を払ったのだから何をしても構わない」
「誰かに迷惑をかけなければ何をしても自由」
そのような考え方や立ち振る舞いができるのは、
相手や周囲の人たちを対等な人間として尊重していないからに他なりません。
それが無礼と言うことなのです。
「そのような考えや行為は、自分の人間性を著しく貶めている」
そういうことをもっと子どもの頃から教えるべきなのです。