くろたり庵/Kurotari's blog~since 2009

総務系サラリーマンの世に出ない言葉

これは道徳なのか?

2012-03-12 23:17:27 | 子育て
東日本大震災で、町民に防災無線で避難を呼びかけ続け、
津波の犠牲となって亡くなった南三陸町職員の女性のことが、
埼玉県の公立学校の道徳の授業で教材として使われるそうです。

県は彼女の行動をとおして、
子供たちに責任感や思いやりの大切さを学んでほしいとしています。

この報道に対しては、
すでにネットで「悲劇を美談にすべきではない」とか、
「町の対応を議論すべき」など、多くの批判が出ているようですが、
それでも彼女の行動によって多くの命が救われたことは、
やはり語り継がれるべき崇高な行動であったと思います。

しかし、そのうえで、
それが「果たして道徳の授業で使うにふさわしい話か」
という点から見れば、はなはだ疑問であると言わざるをえません。

特異な状況下で、常人には真似できないような、
彼女の超人的な行動を子供たちに示すことにどんな意味があるのでしょう。

「すごいね」「偉いね」「立派だね」で終わっては意味がありません。
それとも、子供たちにも彼女と同じような自己犠牲の精神を求めるのでしょうか。

自分や日常生活からかけ離れた人々や出来事を紹介しても、
子供たちの心に道徳心が育つとはとても思えません。
感心させたり、感動させたりすることが道徳教育ではありません。

「道徳心」は、日常の「気づき」によってしか身につかないものです。
そして「気づき」は自分たちと等身大の、身近な出来事からしか生まれません。
道徳の授業で題材にすべきは、日常生活で子供たちが体験するような、
もっと子供たちに親近感のある話題です。

親は子供を育てるとき、子供が本当に理解できるよう、
できるだけ簡単に、わかりやすい例え話で言って聞かせようとします。
道徳もそれと同じことではないでしょうか。

ワイドショー・大衆週刊誌的な発想の埼玉県の教育センスをきわめて残念に思います。