大黒さんの金魚鉢

黒金町の住人の独り言は“One”

One voice , one mission , one family

私の運動史(連合静岡時代 その12)

2016年03月31日 | 労働者福祉
2007年11月4日、民主党代表小沢一郎氏がいきなりの辞任記者会見。
この小沢騒動に端を発して一気に解散風が吹き始めます。
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08年1月執行委員会が衆院選の推薦問題で紛糾します。
2月執行委員会で再度協議し、3つの条件付きで1区牧野氏の推薦を決定します。
その条件とは、ふたたび問題を起こした際の対応についてです。
①民主党除名処分を依頼すること、これは連合高木会長にも話済み。
②民主党県連に対しての厳しい処分、全選挙区に対して推薦行為を行わない。
③連合静岡会長としての責任の取り方については、執行委員会に委ねる。
その翌日私と天野事務局長は、来静した鳩山幹事長同席の下で牧野氏と約束を取り交わします。
1月18日ブログ

これで静岡選挙区全区に推薦候補者が揃いました。
3月31日、全国行脚をしている小沢一郎代表が連合静岡へ初めて入りました。
今は無き事務所近くの居酒屋「梅よし」で代表を交えて懇親会を持ちましたが、まさかの会場に皆は大騒ぎです。
今思えば楽しいひと時でした。
3月31日ブログ

自民党の支持率はどんどん下がり続け安倍首相・福田首相と相次いで辞任し、08年9月麻生首相に交代します。
世界金融危機も勃発し、解散熱は急速に冷えていきました。
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静岡県では静岡空港の立木問題が勃発し、騒ぎが大きくなっていきました。
10月29日ブログ

(つづく)