

調査復元された天守台 見てみましょう
と 休憩してる人がいるので…

反対方向 から 撮っていきましょ
入口に振り返って 🐎 側

初期の算木にしてますね
生駒時代なんでしょうね

地階 🐎側
入口向こう正面
🐇側

木の切り株は 柱に見立てるのか ベンチか
調査では 木の柱が 埋め込まれてたとか
杭を打ったのだろうか…
🐁側 展望デッキ

地階 🐁側

鉄筋が入っていないのよね
よく 崩れないものだ
内側に 力が 行くように
うまく 積んである
ってことよね
🐇側

大小 おこし積み
これがホントの 岩おこし

色合いも 👍
産地は別ね
こっちは 出所 同じな グレー系

△ 〇 いろいろ

🐓 入口

門は 加工石

門の 礎石
なんか タイムスリップ的に

ただの 逆光ですが…
反対から

結構 大きな 礎石 🔺

あっしの 足 で~ ござんす
🐎側 礎石

水平が 取れてる
どんな水準器使ってたんだろ
木製の枡だろうが…
展望デッキから 見た 地階

デッキから 外側

誤シャッターじゃない
入口 上部

水はけ よくしてるんでしょうね
内部は 栗石で 排水良くしてるだろう
どこに流れる?
下の 濠?
天守閣が無いから 排水 大事だね

木も 生えたら 抜かないとね
角脇石が加工されたものを使っていませんね
こういうのは、関ケ原直前直後の頃だと思います。
それ以上前だと、角石も加工されていない、算木のような積み方ですね。
関ケ原から年数が経つと、角石の角脇石もきれいに加工されてぴったりくっつけられて、さらに、角石、角脇石が内側に傾て、力を内側にかかるようにして崩壊しづらくしている、、、
という、私が勝手に分析しています。