歩きながら考える

最近ちょっとお疲れ気味

(書評)関満博「現場主義の知的生産法」

2006-09-20 23:48:29 | 読書
専ら中小企業やものづくりの調査を行い、ときには海外での現場調査を行う私は、彼の一連の著作からかなり刺激を受けました。特にこの「現場主義・・・」はジャンルを越えて調査研究に携わる人々が読むべき本だと思います。
これまで数々の著作を書いている関先生は、ものづくり中小企業に関する研究では重鎮ともいえる存在ですが、現在もなお活発に中国をはじめとする現場を調査し続けています。そのパワーには本当に感服します。
しかし、ものづくり中小企業の調査をテーマとする若手研究者にとっては、やろうとしていたことをどんどん彼に先取りされてしまうために、もう勘弁してよという思いもあるようです。若手研究者にとって、乗り越えるべき山はあまりにも高いですね。しかしそのことが、我が国のものづくり中小企業の研究水準を高めるものと思います。

関満博「現場主義の知的生産法」

DOS版モバイルギアを懐かしむ

2006-09-19 22:13:36 | IT,インターネット
オフィスに籠もっているよりも、現場に赴くことが好きな私は、どこでもちょっとしたレポートを作成できるPDAは手放せません。
私が長く使っていたマシンは、NECのモバイルギアMC-MK32です。
これは名機でした。白黒液晶でしたが単3電池で実に長時間駆動してくれ、万が一電池が消耗しても、駅のキオスクやその辺のコンビニに駆け込んで電池を購入すればOK、という気軽さは、いつもバッテリーについて心配しなければならない現在のIT機器にはない良さだったと思います。また、OSはMS-DOSベースで動く独自のものでしたが、完全なMS-DOSマシンとして使うことも可能で、多少コマンドさえ覚えれば実に軽快に働いてくれるので、ストレス無く仕事ができました。12800bpsのモデムも内蔵しており、何度も出張先でデータ通信が可能なグレーの公衆電話に接続してメールを送受信したものです。海外出張にも何度か持っていき、現地でのレポート作成、メールの送受信に活用しました。
ただし、ハードウェアには問題があり、1年もするとヒンジの部分が割れ始め、2年もすると割れはかなり深刻な状況になりました。同時に塗装も剥げはじめましたが、使用している塗料の関係なのか、妙にべたつきました。機能的にもWindowsCEマシンが魅力的に感じられるようになり、とうとう2年前に引退させることにしました。
しかし、あの軽快さ、タフなバッテリーの持ち、まずフリーズすることのない安定性が懐かしく思うことがあります。PDAはその後、魅力的な機能を備えるようになりましたが、ちょっとしたメモを書いたりスケジュールを確認するとき、今時のマシンでは、なんだか近所のコンビニにたばこを買いに行くのにわざわざ高級車で出かけるような感覚を覚えたりもします。ちょっとした外出用の自転車、のようなマシンも結構需要があるのではないでしょうか。儲からないから、メーカーはまず作らないでしょうけれど。

素形材産業とは何か

2006-09-18 23:14:31 | ものづくり・素形材

前回説明した「素形材」を生産する産業が「素形材産業」になるわけですが、そもそも「素形材」の定義が一般の方には難しいと思います。そこで、改めて違う視点から「素形材」について説明してみます。

工業製品に用いられる素材としては、鉄や非鉄金属、プラスチックなどがあります。作っているのが、鉄鋼、非鉄、化学などの素材メーカーです。
しかし、素材メーカーが生産する素材を工業製品の生産に使うには、そのままの状態では大きすぎたり、必要とされる形状になっていなかったり、性質も強さや粘り強さに欠けたりします。このため、たとえばいきなり自動車の組立ラインで素材メーカーから納入された鉄鋼が部品として組みつけられることはありません。鉄鋼に対して前に説明した「素形材加工」を施し、目的とする形状や性能を有する「素形材」として作り出す、というプロセスを経て、ようやく自動車の組み立てに使われる部品になるわけです。ただし、実際には部品メーカーで素形材に様々な機能を付与すべく加工が加えられ、さらに組み立てが行われた上で、自動車メーカーに供給される例が多いです。
このように、素形材は素材と自動車などの機械製品の中間に位置するものであり、素形材産業は素材メーカーと機械製品メーカーを結びつける産業、といえます。素材メーカーは新日本製鐵をはじめ、誰もが知っているような有名企業が多いですし、機械製品メーカーもトヨタ自動車など、これもまた誰もが知っている有名企業が多いですね。しかし、双方を結びつける役割を果たす素形材メーカーはというと、あまり名前が知られた企業は見当たりません。
そもそも企業規模でみると、素形材産業は中小企業が多い業界です。しかしながら、「素形材加工」は高温や高圧などを伴うことが多いため、設備は大きいものが一般的で、資本集約型産業の性格が濃厚です。じゃあ、生産は設備に大きく頼っているかというと、「経験」や「カン」といった人の熟練に頼る部分も大きいのです。産業調査を行う私のような立場の人間にとっては、こうした素形材産業の特徴は非常に面白く魅力的です。しかし、当の業界関係者の方々にとっては特に現代のような時代では、こうした素形材産業の特徴により、苦労が絶えないものとなっています。具体的には、後日おいおい説明します。


しかし、行政は素形材産業をやや広めに捉えています。所管官庁である経済産業省製造産業局素形材産業室が2006年5月に策定した「素形材産業ビジョン」
を見ると、素形材産業は「素材を加熱や加圧など何らかの方法で変形・加工する技術を用いて、目的とする形状や性能を有する製品を作り出す産業及びこれらの工法に必要な機械・装置を生産する産業並びに製品に熱処理などを施して特定の性能を付与する産業」と定義されています。素形材を生産する産業だけでなく、関連産業も素形材産業として捉えているわけです。
では、具体的にはどんな産業が該当するのか、経済産業省公益法人一覧を見ると、素形材産業室が所管する公益法人は、以下の14団体となっています。

(社)日本鋳造協会
(社)日本ダイカスト協会
(財)素形材センター
(社)日本非鉄金属鋳物協会
(社)日本金属プレス工業協会
(社)日本バルブ工業会
(財)谷川熱技術振興基金
(財)次世代金属・複合材料研究開発協会
(社)日本鍛圧機械工業会
(財)天田金属加工機械技術振興財団
(社)日本工業炉協会
(財)金型技術振興財団
(社)日本金型工業会
(社)日本鍛造協会

いずれも金属に関連する団体に限られており、前述の書籍「ものづくりの原点 素形材技術」では素形材に含まれていた、プラスチック、ファインセラミックスは素形材産業室の所管ではなく、前者は化学課、後者はファインセラミック室の所管となっています。このようになったいきさつには、いろいろな「大人の事情」があったのかもしれません。しかし、そもそもの「素形材」の定義を考えると、プラスチック、ファインセラミックスも素形材産業の1つとして捉えることが必要であると思います。


素形材とは何か

2006-09-17 22:54:42 | ものづくり・素形材

素形材、というキーワードをgoogleで検索すると、まずトップに表示されるのが、財団法人素形材センターです。このページの中の「What is 素形材?」によると、素形材の定義について以下のように説明されています。

「素形材」とは、素材に熱や力が加えられ、形が与えられた部品や部材のことをいいます。具体的な素材としては、金属をはじめ木材、石材、窯材、ゴム、ガラス、プラスチックなどがありますが、最近ではファインセラミックス、複合材料も使われるようになりました。これら素材を素形材に変えるためには、鋳造、鍛造、プレス、粉末冶金などいろいろな材料加工法が使われます。

この素形材センターによる定義ですが、木材、石材を素材とするものまで「素形材」とすることには、かなり違和感があります。
素形材技術の専門書ではどのように定義されているのでしょうか。素形材に携わる学識者、業界の技術者らが執筆し、財団法人素形材センターが編集している「ものづくりの原点 素形材技術」(日刊工業新聞社)が参考になります。この本は、写真が豊富に掲載されており、文章も比較的わかりやすいので、入門書としてお勧めです。
第1章「素形材とは」によると、工業製品の材料に形を与える加工方法には、除去加工、付加加工、変形加工、の3つがある、としています。

  • 除去加工:材料の塊の一部を取り去ることにより、残った材料に形を与える加工法。
  • 付加加工:除去加工の逆で、材料を付着や接合させながら形を造る加工法。
  • 変形加工:材料に変形を与えて造形する加工法。

身近な例を挙げると、鉛筆を削る行為は除去加工、プラモデルの部品を接着して組み立てる行為は付加加工ですね。変形加工の身近な例としては、(独身者にはまず無縁な行為でしょうけれど)自家製のクッキーを作る行為が挙げられます。小麦粉と砂糖と卵と水などを混ぜた生地を、型を押し当ててクッキーの形を作り、焼き上げて出来上がり、という一連の行為は、変形加工そのものです。
同書は、工業分野の変形加工について以下のように解説しています。

材料を変形させて形を与えるには、金型や工具で材料に力を加えたり、型に材料を流し込んで転写させる手法を取る。(中略)さらに多くの場合、変形加工は除去加工や付加加工に使われる素材自体の製造法としても活用されているので、素材に形を与える最も重要な手法と言える。そのためこの変形加工を総称して「素形材加工」と言い、それによって製造されたものを「素形材」という。

実に明快な定義です。そして、同書では、素形材加工として、鋳造、鍛造、プレス加工、粉末冶金、プラスチック、ファインセラミックス、金属系新材料、金型の8つを挙げており、素形材の素材としては、金属だけでなく、プラスチックやファインセラミックも対象に入れています。あくまでも工業製品の材料加工法の1つなので、前に例として挙げたクッキーのような食品は、変形加工によって作られてはいても素形材とは言えません。なお、ここでは詳しい説明は省きますが、最後の金型については変形加工や除去加工に使う一種の工具であり、それ自体は素形材ではないので、厳密には「素形材関連製品」と定義すべきでしょう。


私の投稿スタイルとスマートフォン

2006-09-16 10:31:51 | IT,インターネット
今のところ私のブログへの投稿は毎日続けることができました。皆勤賞がもらえるわけではありませんが、ここまで毎日続けることができると、意地でも毎日投稿してやろうと思います。
私がブログの原稿を書くのは、もっぱら会社への行き帰りの電車の中です。自宅から会社まで1時間半近くかかかるので、ブログの原稿を書くには十分です。ノートPCは重くてかさばるので、長期の海外出張以外は私は携行しません。私が日頃持ち歩き、仕事に加えてブログの原稿執筆にも使用しているのは、Windows MobileベースのスマートフォンWS003SH "es"です。
これはブログの投稿用端末としてなかなかすぐれものです。esはかなり話題になった端末で、様々なサイト、ブログで紹介されているので詳しくは説明しませんが、行きの電車の中では、ネットにつないでニュースをチェックした後、ブログに書く内容を考えて、帰りの電車の中で原稿を書き上げてメールでブログに投稿する、というのが私の利用スタイルです。
esはテンキー、QWERTYキーボード、手書き入力の3種類の入力が可能ですが、中でも便利なのが手書き入力です。どうせきちんと文字を認識しないだろう、とたかをくくり、期待してなかったのですが、予想以上に文字認識力が高いので、これはうれしい誤算でした。ただし、どうしても微妙な間違いは多いです。たとえば、長音(ー)と漢数字の一、ひらがなの「り」とカタカナの「リ」、ひらがなの「え」と漢字の「之」などの違いは、なかなか認識が難しいようです。

ともあれ、今のところ毎日投稿を続けることができているのは、esに依るところが大きいです。es、そして姉妹機のW03は、PHSとしては大ヒット商品ですが、それでも携帯電話に比べれば普及率は低く、持っている人は時々電車の中で見かける程度です。esのようなスマートフォンがさらに普及すれば、ブログ界はもっとおもしろくなるのではないでしょうか。

電力線高速通信は普及するか

2006-09-15 23:49:38 | IT,インターネット
電カ線を使って高速のインターネット接続ができるという技術があります。わざわざ光ケーブルなどを敷設しなくても、電源コンセントに差し込むだけでネットに接続できるのが売りです。

高速電力線通信推進協議会
http://www.plc-j.org/

この高速電力線通信、技術としては割と歴史があり、既に利用している国もあるとのことですが、我が国では2006年9月13日にようやく総務省から認められました。

家庭コンセント利用の高速ネット通信、電監審が認める
(2006年9月13日23時39分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20060913ib24.htm

なぜなかなか認められなかったのかというと、電力線で通信を行うことによって電波が漏れ出し、それが短波放送やアマチュア無線、電波天文台に障害を与える可能性があるからで、今回の総務省の決定に対し天文学者等は強く抗議しています。

天文学者、「あきれる」 電力線通信に反対やまず
2006年09月14日01時32分
http://www.asahi.com/business/update/0914/002.html

本当に電波天文台などに深刻な影響を与えるのか、素人の私にはわかりません。しかし、この技術は、すでにFTTHやADSLが相当に普及している我が国では、実用化されたとしても家庭にはあまり普及しないのではないでしょうか。
自室でネット接続してたけど、気分転換のために居間にノートPCを持って移動して、再びコンセントにつないでさっきの続きをする、といったシチュエーションには、電力線高速通信は向いているように思われます。しかし、そうした用途で電力線高速通信を売り込もうとすると、無線LANという、既にかなり普及している技術と競争しなければなりません。
また、家電同士でコンテンツのやりとり、たとえばDVDからテレビへ、接続ケーブルなしで電力線インターネット経由で出力する、というシチュエーションもありえます。しかし、コンセントにつなげばすぐに高速ネットに接続できるかというと、それは無理で、モデムを介さなければインターネットには接続できません。モデム購入という投資をしてまで、接続ケーブルを無くしたいと思う消費者がどの程度いるのか、ちょっと疑問です。
確実に需要があると思われるのは、FTTHやADSLが来ていない、だけど電気は来ている、という離島や僻地です。こうした地域でブロードバンド接続を待ち望んでいた人々にとっては、電力線高速通信の実現は朗報でしょう。しかし、残念ながらベンダーにとっては市場規模が小さく、研究開発投資を回収するには難しいように思われます。

あまり明るい展望が描けない電力線高速通信ですが、目を世界に転じると、非常に大きな市場の可能性が広がっていることに気がつきます。
それは途上国の市場です。光ケーブルは当然来ていない、固定電話回線も来ていない、だけど電気は来ている、という家庭は、途上国には山ほどあると思います。設備投資が固定電話に比べて安価ということで、途上国では携帯電話が急速に普及していますが、それでも携帯電話でブロードバンドというのは現状の技術では厳しいものがあります。とりあえず電気だけは来ている、という途上国の家庭で、ブロードバンド接続を実現するには、電力線高速通信が全も現実的な方策でしょう。

しかし、潜在的な需要が大きいとはいえ、途上国の市場には1つ問題があります。それは、彼らがPCを購入できるまで豊かにならなければならない、ということです。
やはり電力線高速通信の前途は厳しいようです。

文学部卒ですが何か?(続き)

2006-09-14 23:44:53 | Weblog
歴史とは科学である、というのはしっくりこない方が多いのではないでしょうか。私も学生時代に初めて授業で聞いた時は、えーそうなの、と思いましたから。
歴史学と文学の境界線には曖昧なところがある、と前回申し上げましたが、決定的に異なる点があります。それは歴史学は事実を扱うという点です。事実とは何か、という話は難しい議論になるのでここでは深入りしません。とにかく、文学のようにフィクションやファンタジーを描くのは、歴史学ではありません。

19世紀ドイツに始まる実証主義に基づく近代歴史学では、叙述する際には史料の出所を明らかとし、第三者による再検証が可能とすることが求められます。この再検証可能に対する要求は、自然科学を始めとするあらゆる科学についても全く同じことが言えます。
もっとも、実際本当に再検証できるかというと、難しいところです。また、歴史家の仕事はただ事実を示すのみ、という極端な実証主義は後に批判されます。20世紀に入ると社会学や心理学などの他の学問からの方法論を応用する試みが始まり、心性や感性なども歴史学で語られるようになり、現在に至っています。
しかし、実証主義が歴史学の根幹であることは現在でも変わりはなく、この点で文学とはー線を画する、という訳です。

実証主義、すなわち事実を扱うということ、きちんと出所を明らかにして再検証を可能にする、という科学的なアプローチは、シンクタンクの業務で重要です。歴史学同様、実験室の中での仕事ではなく、文献だけで研究する訳でもなく(ちなみに文献に依らないロ述の記録も、現在では立派な歴史学の史料です)、実際には再検証することは困難なところがあります。それでも「なんの根拠があってこんな結論になるの?」という報告書と出会うと、実証主義の重要性をしみじみ感じます。

人材スカウトから電話がありました

2006-09-13 23:11:45 | 日常
歴史について書く予定でしたが、今日は珍しい経験をしたのでそのことを書こうと思います。


午前中、オフィスにいた私に電話がありました。相手の名前には全く聞き覚えがありません。彼の第一声、「お忙しいところすみません。少々お時間をいただけますでしょうか・・・」という言葉を聞いた瞬、私は内心舌打ちをしました。

これはもうセールスの電話だろ。不動産か、金の先物か。さてどのタイミングで電話を切ってやろうか、と身構えたのですが、いつもよく掛かってくるセールスの電話のように、相手は学生バイトといった雰囲気ではありません。あれ、と思って、年輩の方らしい相手の話を聞いてみると、当社は外資系の生命保険会社なのだが、是非あなたをスカウトしたい、ついては時間をもらえないか、という趣旨でした。

へー、本当にこういうのってあるんだ、とちょっと驚いてしまいましたが、興味ないので断りました。


しかし、金融には詳しくない、おまけに営業には不向きな私に、生命保険の営業マンにならないか、と話を持ち込んでくるのは、人材スカウトとしてはどうかしています。これはあくまでも想像ですが、とにかく有名大学出身者だったら誰でもいいだろ的なのりで、彼は大学の卒業名簿とかをもとに電話をかけまくっているのではないでしょうか。


受話器を置いた後、10年ほど前にとあるヘッドハンティング会社の社長に会い、人材ビジネスについてのヒアリングをしたときのことを思い出しました。

エグゼクティブしか扱わない、というその会社の社長に、まず私が聞きたかったのは、クライアントが求める人材を、どのようなノウハウで探し出すのか、ということでした。その点をうかがうと、社長はこともなげに、「やはりまずは有名大学の卒業生の中から探しますね。」、と宣い、自らの有名大学の卒業生との人脈を自慢されるので、思わずズッコケそうになりました。

まずは有名大学出身者に絞り込み、それから面接をすれば効率がよいのかもしれませんが、へッドハンティング会社の社長としてはあまりにも正直すぎる発言です。


日本の人材スカウトやヘッドハンティングって、こんなものなのでしょうか。やはり我が国の社会では、まずは学校のブランドが重視されるようです。

文学部卒ですが何か?

2006-09-12 22:07:03 | Weblog
仕事柄、私は中小メー力ーの経営者の方をヒアリングする機会が多いのですが、彼らから多くの話を聞き出すには、まずは技術的な話から始めるのがー番です。日本という国はつくづくすごい国で、「これは」という技術や技能を持っていたり、「ほほう」と関心してしまう工夫を凝らしている中小メー力ーが日本には実にたくさんあります。
そこで「こんな複雑形状のものを成形するんですか!スゴイですね。金型の設計は大変でしょう。」などと水を向けると経営者は「よくぞ聞いてくれた」とばかりに実に饒舌となり、技術開発の苦労話から始まり、経営戦略や人材育成、設備投資など、こちらが聞きたいことを実にスムーズに聞くことができるのです。

こんな経験を積んできたお陰で、ものづくりに関連する技術についてはかなり詳しくなることができました。そのため、「工学部出身ですか?」と聞かれることもあります。本当にうれしく思いながら、「いや、私は文系なんですよ。」と答えると、相手は「経済学部ですか?それとも経営学部?もしかして法学部ですか?」とは聞いてきますが、まず「文学部」は出てきません。
私は文学部史学科のイスラーム史専攻という、およそシンクタンクの研究員らしからぬ分野で学位を取得した者です。よくもまあ、こんな浮き世離れした分野の勉強をした男を会社は採用したものだ、と皆さんはお考えになるでしょう。

史学科を卒業したことに誇りを持つ者として、主張しておきたいのですが、シンクタンクの研究員としての基礎を私は史学科で学んだ、と考えています。
まず述べておきたいのは、歴史は文学であり科学だということです。この2つはシンクタンクの研究員として不可欠な要素です。

歴史は文学だ、ということについては、英語のhistoryとstoryの語源は同じであることを説明するまでもなく、歴史と文学の境界線には曖昧なところがある、ということは、なんとなく感覚的に理解できることと思います。実際、文学書扱いされる歴史書、逆に歴史書扱いされる文学書は少なくありません。古いですけれど司馬遷の「史記」は古代中国を代表する文学の一つでもありますし、司馬遼太郎や塩野七生の小説は見事な歴史書でもあることは、異論のないところだと思います。

でも、シンクタンクでなんで文学が必要なの?と思われるかもしれません。
しかし長大な報告書を書くことが避けられないこの業界においては、読み手を納得させるストーリーを構成し、しかも飽きさせないよう文章を叙述することは、必須の能力です。まさに文学的センスが求められるわけです。
とはいえ、求められるものは文学的センスであって、文学そのものではありません。だって、手に汗握るスリリングなストーリー展開とか、思わず目頭を熱くする感動のラスト、なんてのはシンクタンクの報告書では必要ないですし、ちょっとありえないですから。
それにしても、アンケートの結果を見栄えよくグラフ化して、いかにもそれらしく定量的な分析を施してはいるものの、何を言いたいのかわからない報告書は少なくありません。そんな報告書の書き手には、もう少し文学というものを学びなよ、と言いたくなります。

次に、歴史は科学である、ということですが、これは次回にて述べたいと思います。

個人名を公開してブログを書くということ

2006-09-11 23:01:42 | Weblog
私のブログに表示されているgooのIDは、私の本名をそのままローマ字表記したものです。それほど漢字表記にバラエティーがある名前ではないので、全んど個人名を公開しているようなものです。

個人名を公開してブログを書く理由は、第ーに内容に信頼性を持たせたい、ということです。匿名の某巨大掲示板に書かれている内容が、全て真実だと考える人はまさかいないでしょう。ブログも同じで、匿名での投稿は、読み手から内容の信憑性を疑われても仕方がないと思います。できるだけ事実を伝えたいという思いから、実名を晒すことにしました。

もう1つの理由は、自らが書く内容に対してー種の制約をかけるためです。
匿名であれば、それこそ「ココだけの話」も書くことができるでしょう。会社の秘密事項も暴露できるでしょう。しかし、お客様からお金を頂いて仕事をさせてもらい、会社から給料をもらっている以上、お客様との守秘義務、会社のコンプライアンス条項を破るようなことはしたくはありません。実名であればそんなことはできない訳です。また、お客様や友人、知人がこのブログをご覧になる可能性はゼロではありませんから、そう滅多にくだらない内容の記事は書けなくなります。
いろいろな意味で自らに対して制約をかけるため、匿名ではなく実名としたわけです。

そろそろブログの前振りは終わりにして、本題に入りたいですね。