歩きながら考える

最近ちょっとお疲れ気味

地域コミュニティーは機能しているか

2006-09-24 23:14:16 | Weblog
天気も良かったので近所の祭りに参加してきました。自分が住んでいる地域であるにも関わらず、「餅つき歌保存会」なるものがあるなど、知らなかったことが多いことに気づかされ、ちょっと地域コミュニティーというものを考えてみようと思いました。

今年春、秋田県の山あいの静かな町で、母親が娘を殺害し、さらに隣家の男の子まで殺害した事件は、あまりに衝撃的でした。犯人である母親の異常な行動、そして秋田県警の捜査の不手際など、マスコミで連日のように報道されたので、改めて詳しいことは説明するまでもないと思います。
私にとってショックだったのは、この事件が秋田県藤里町という、日本の中でも特に自然環境が豊かな町で起こってしまったことです。藤里町は、世界遺産に登録された白神山地の南側に位置し、登録区域の約4分の1(秋田県側の全て)が藤里町の町域内にあるという、まさに「世界遺産白神山地の郷」(藤里町のウェブサイトより)です。私は学生時代にワンダーフォーゲル部の合宿で、まだ世界遺産に指定される前の白神山地を訪れ、1週間ほど沢を遡行し、ブナ原生林の中を歩き、その豊かな自然のすばらしさに強い印象を受けただけに、今回のような悲惨な事件が起こった舞台としては藤里町はあまりにミスマッチであると感じました。
従来、親が子を殺害する、といった悲惨な事件は、専らストレスが多く近所づきあいも希薄な都会で起きるものであって、豊かな自然に日常的に触れあい、地域コミュニティーがしっかり機能している田舎ではありえない、という印象がありました。しかし、秋田県藤里町の事件だけでなく、悲惨な殺人事件が最近は地方で、それも中山間地域と呼ばれるような田舎で多発しているような気がします。これはなぜなのでしょうか。
地方を訪れるたびに思うのですが、特に中山間地域の衰退は本当に深刻です。こうした地域は、土建業がほとんど基幹産業と言ってよいのですが、これが公共事業の大幅な削減によって大きな打撃を受けています。
商店街の店が軒並みシャッターを下ろしている中、唯一活況を呈しているのは消費者金融とパチンコ屋ぐらいだけ、という町は決して珍しくはありません。経済的な疲弊は、地域住民に精神的なストレスを相当与え、地域コミュニティーにも大きく影響しているのだろうな、とそんな光景を見ると感じてしまいます。田舎で起こる悲惨な殺人事件の背景には、そんな経済的な背景もあるのではないでしょうか。
首都圏に住み東京で働く納税者の一人として、意味がないような林道やダムの建設のために税金が地方にばらまかれることについては、私は不満を持っていました。しかし荒む一方の日本の中山間地域の実態を知るにつれ、これまでの公共事業に対する私の考え方も揺らぎつつあります。安倍新首相は、格差の再生産を避けるため「再チャレンジ」を基本政策に掲げていますが、「負け組」に位置づけられてきた地方にどのような「再チャレンジ」のチャンスを与えるのか、私は注目したいと思います。