歩きながら考える

最近ちょっとお疲れ気味

文学部卒ですが何か?

2006-09-12 22:07:03 | Weblog
仕事柄、私は中小メー力ーの経営者の方をヒアリングする機会が多いのですが、彼らから多くの話を聞き出すには、まずは技術的な話から始めるのがー番です。日本という国はつくづくすごい国で、「これは」という技術や技能を持っていたり、「ほほう」と関心してしまう工夫を凝らしている中小メー力ーが日本には実にたくさんあります。
そこで「こんな複雑形状のものを成形するんですか!スゴイですね。金型の設計は大変でしょう。」などと水を向けると経営者は「よくぞ聞いてくれた」とばかりに実に饒舌となり、技術開発の苦労話から始まり、経営戦略や人材育成、設備投資など、こちらが聞きたいことを実にスムーズに聞くことができるのです。

こんな経験を積んできたお陰で、ものづくりに関連する技術についてはかなり詳しくなることができました。そのため、「工学部出身ですか?」と聞かれることもあります。本当にうれしく思いながら、「いや、私は文系なんですよ。」と答えると、相手は「経済学部ですか?それとも経営学部?もしかして法学部ですか?」とは聞いてきますが、まず「文学部」は出てきません。
私は文学部史学科のイスラーム史専攻という、およそシンクタンクの研究員らしからぬ分野で学位を取得した者です。よくもまあ、こんな浮き世離れした分野の勉強をした男を会社は採用したものだ、と皆さんはお考えになるでしょう。

史学科を卒業したことに誇りを持つ者として、主張しておきたいのですが、シンクタンクの研究員としての基礎を私は史学科で学んだ、と考えています。
まず述べておきたいのは、歴史は文学であり科学だということです。この2つはシンクタンクの研究員として不可欠な要素です。

歴史は文学だ、ということについては、英語のhistoryとstoryの語源は同じであることを説明するまでもなく、歴史と文学の境界線には曖昧なところがある、ということは、なんとなく感覚的に理解できることと思います。実際、文学書扱いされる歴史書、逆に歴史書扱いされる文学書は少なくありません。古いですけれど司馬遷の「史記」は古代中国を代表する文学の一つでもありますし、司馬遼太郎や塩野七生の小説は見事な歴史書でもあることは、異論のないところだと思います。

でも、シンクタンクでなんで文学が必要なの?と思われるかもしれません。
しかし長大な報告書を書くことが避けられないこの業界においては、読み手を納得させるストーリーを構成し、しかも飽きさせないよう文章を叙述することは、必須の能力です。まさに文学的センスが求められるわけです。
とはいえ、求められるものは文学的センスであって、文学そのものではありません。だって、手に汗握るスリリングなストーリー展開とか、思わず目頭を熱くする感動のラスト、なんてのはシンクタンクの報告書では必要ないですし、ちょっとありえないですから。
それにしても、アンケートの結果を見栄えよくグラフ化して、いかにもそれらしく定量的な分析を施してはいるものの、何を言いたいのかわからない報告書は少なくありません。そんな報告書の書き手には、もう少し文学というものを学びなよ、と言いたくなります。

次に、歴史は科学である、ということですが、これは次回にて述べたいと思います。