頭のなかがグシャグシャになっている。
それはどこを通っても、どこを見ても同じような景色に遭遇するから・・
面影もない町跡、がれき、ひっくり返ったコンクリートの建物、沈下した波止場や
荷揚げ場、折れ曲がった鉄骨
僕は宮城県の南三陸とか気仙沼を中心に色々な場所を訪れたが
その爪あとの様子を正確に言葉では伝えることはできない。テレビなどの
メディアで見る映像は、そのものではあるけれどもそれだけしかない。
まさに、直接見て自分で感じなければね・・・っというわけだ。
百聞は一見にしかず・・ではないけど「百テレビより一つの現地!」だろうか。
徐々にではあるけど兆しはある。復旧と復興の流れはね
港周辺や土木的な箇所などだ。
町はまだ手つかずだけど、仮設の商店街やお店も現れはじめた。
そんな人たちは、なぜか元気があって明るいのが印象に残っている。
頑張ってほしいね!
訪れた岬の先端、はるか下に荒れ狂う波が見えるが
あの日、この立っているところ以上まであの大津波がきたという
現地のガイドさんが痕跡を見せて説明してくれたが
そのガイドさんは、この間までこの町の中学校の校長先生をしていた。
とても温和で知識が豊富で、この町のすべてを知り尽くしているようだった。
ご本人も被災者、仮設住宅の生活を送られてる。
被災地のすべての方が言うが、「想定外!」「ここまでのものが来るのか!」
「まさか!」「なんてことだ!!!」
誰だってこうなるとは思ってもいなかったこと、それが日本を悲劇的なものにした。
でも、何べんもいうけど頑張らないといかんね、時間はかかるけどね
予算も付き始めた。それをどうやって効率的に、いかに迅速に・・・だろうか
僕ら西日本も次に備えなければいけない!!
帰りしな、ガイドの元先生が色紙をくれた。
その中に
僕ら、幸いにも今はそんな苦しみがないけど・・・・・・・・・
いい言葉だと思う