クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

羽生の利根川帰りの“そば”はどんな味? ―須影と会の川―

2009年08月13日 | グルメ部屋
利根川へ行った帰りは、「そば」と決まっている。
利根川で遊んだあとに一枚やるのがいい。

中学生の頃は、たてさんらと「杉田ストア」でゲームをしながら
カップ焼きそばを食べるのがいつものコースだったが、
高校生になると「よしの」へ行くのがお決まりになった。

「よしの」は羽生の中央運動公園のそばにある。
高校生でも気軽に入ることのできた店だし、
雰囲気も落ち着いている。
「ざる」と「もり」の違いは何かなど、
真剣に考えたものである。
(考えるよりも頼んだ方が早かったが……)

夏に利根川へ行くと、自ずと「よしの」へも行きたくなる。
締めのそばは美味く、
利根川とそばの相性もいい。
大人の嗜みである。

ところで、7月に須影公民館で講演をさせていただいた。
演題は「須影と会の川について」。
受講者は30人くらいかと思っていたが、
約80にも及んでいた。

会の川はかつての古利根川で、
現在は羽生を起点にして、加須で葛西用水路に合流する。
現在はコンクリートで護岸されているが、
かつては草が生い茂り流れの速い川だったらしい。

会の川と羽生との関係は深い。
興味深い伝説や歴史が川沿いに分布している。
上新郷から志多見までを取り上げた。
約2時間の講演だったが、とても語りきれない。
やむなくはしょったところも少なくなかった。

須影と言えば、村社として八幡神社が鎮座している。
その別当寺だったのは、廃寺になった「蓮華寺」である。
共同墓地に残る歴代住職の墓碑を見ても、
その寺の隆昌が偲ばれる。
『新編武蔵風土記稿』に載る須影の寺は、ほとんどこの蓮華寺と繋がっている。
明治の廃仏毀釈による廃止が惜しまれる。

この蓮華寺の最後の住職は「潮元」という人物だった。
約8年の歳月をかけて、八幡社の修繕を行ったらしい。
四国へ巡礼の旅に出ている。
また寺子屋を建て、教育の普及にも尽力していた。

蓮華寺が廃寺になってからは、八幡社のわきに退隠したという。
そして、明治4年に没した。
潮元は仁徳のある人だったのだろう。
17回忌のとき、潮元を偲んだ石碑が八幡神社の境内に建てられた。

これはいまでも残っている。
須影でもあまり知られていないが、
もし同社を訪れたら潮元さんを偲んでほしい。

講演が終わったあとは、無性にそばが食べたくなった。
利根川の締めはやはりそばである。
須影にある「松月庵」という店に寄った。
この店はイオンモール羽生の北の入口交差点に建っている。

ぶらり入ると客はまばらで、
店内はよく冷えていた。
せいろそばを頼み、汁には浸さずシュッとやる。
「松月庵」のそばは細くて、ツルツルいける。
講演の熱が次第に落ち着いていく。
やはり利根川のあとのそばはうまい。
外したネクタイが、テーブルの上で気怠そうに寝そべっていた。


会の川の一部が須影にも流れていた。
上の写真はその旧河道。
御嶽用水路が流れている。
ここだけではなく、須影には旧河道跡があちこちに見られる。


17回忌のときに建立された潮元を偲んだ石碑(八幡神社境内)


「よしの」(埼玉県羽生市東8丁目)


「よしの」の天ざるそば


「松月庵」(埼玉県羽生市須影382)
目印は羽生イオンモール。
歩道橋の架かる交差点の傍らにある。


「松月庵」の天ざるそば
「羽生一店逸品」によると、
“天もりダッタンそば”が逸品に選ばれている。

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