クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

渡良瀬遊水地まで“海”がやってきた? ―篠山貝塚―

2018年03月20日 | 考古の部屋
地面を見ると無数の貝殻。
まるで、誰かが食べた貝をまき散らしたかのよう。

しかし、食べたのは現代人ではない。
縄文人。
栃木県栃木市藤岡町の“篠山貝塚”は、
いまでも無数の貝殻が土から顔を出している。

縄文時代は気候の温暖化によって海の水位が上がり、
関東の奥深くまで入り込んでいた(縄文海進)。
現在の景色からでは想像するのも難しいかもしれないが、
貝塚を追っていくと、どこまで海水が入り込んでいたかがわかる。

その最も奥に位置するのが篠山貝塚だ。
大正時代からその存在が知られ、これまで何度か発掘調査が行われた。
貝塚の下から土器が出土したのをはじめ、
かつて人々が暮らした竪穴住居も検出。

調査で明らかになったのは、
住居跡に貝殻が敷き詰められていること。
新しく家を建てると、住まなくなった住居は貝殻の捨て場所になったらしい。

掘り込まれた住居に貝殻を捨てに捨て、自然と埋まっていく。
ちょっと面白い。
掘り込みは、ゴミ捨て場としてちょうどよかったのかもしれない。
いや、ゴミ捨て場ではなく、何かまじない的な意味があったとか?

貝殻のほかに、クロダイやニホンジカ、イノシシの骨も確認されたという。
貝輪や貝の腕輪などの加工品もあり、
海が身近な存在であったことをうかがわせる。
波乗りが得意な栃木の縄文人もいたかもしれない。

現在、篠山貝塚には文化財説明板が建っている。
狭い道を辿っていくと説明板に出会えるが、
その先は渡良瀬遊水地の土手が迫っている。
徒歩や自転車で抜けられても、車では厳しい。

したがって、遺跡は土手の工事によって破壊を余儀なくされたということ。
大水から人々の暮らしを守るためだから仕方がない。
篠山貝塚は、かつて栃木県指定の史跡だったが、
いまは藤岡町指定跡となっている。

先に記したように、篠山貝塚ではいまも無数の貝殻を目にすることができる。
1個手にしてみると、
縄文時代と握手をしているような気持ちになる。
すぐそばの篠山神社の境内にも貝殻が転がっている。

なんだか貝のみそ汁が飲みたくなってくる。
海の魚も豊富にとれたのだろう。
かつては海に対する祀り事も行われていたのかもしれない。
栃木県にまで入り込んでいた縄文時代の海。
地面に転がる貝殻の中には、
神さまへの供物も含まれているだろうか。






渡良瀬遊水地の土手より

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