クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

加須に伝わるちょっと怖い話は? ―子ども昔語り(36)―

2007年08月29日 | 子どもの部屋
ちょっと怖いお話です。
自分の住んでいる町にはひとつやふたつの“怪談”が伝わっていると思います。
ただ怖がるだけでもいいのですが、
なぜそのような話が発生したのかを考えると、
ときに歴史の謎を解くヒントになります。
煙のないところに火は立たないように、
怪談話が発生する要因は必ずあるはずです。

これは埼玉県加須市平永に伝わる怪談、あるいは因縁話。
(加須と言っても騎西町戸崎との境目にあたります)
いまは何の変哲もない場所ですが、人々に恐ろしがられた田んぼがありました。
その名を“六兵衛たんぼ”と言います。
かつてそこには罪人の首切り場があり、
六兵衛という者が断首していたのでそう呼ばれるようになったそうです。

この六兵衛たんぼは古くからある因縁が言い伝えられてきました。
それは、田んぼを所有し耕作した者の家には必ず死人が出るというのです。
実際に土地の所有者は何人も変わり、
近年ここを手にした者の家では、丈夫だった子どもが突然病死してしまったとか……。
したがって、土地改良の話が持ち上がったとき、
きっとよくないことが起こると反対の声が出ました。

ところが、土地改良ではなく、ある施設を建てる話が持ち上がります。
それは屠場施設です。
それなら大丈夫だろうと所有者は承諾し、施設の建設工事が始まりました。
すると、地中から大量の人骨が見つかったそうです。
あまつさえ、大がかりな工事ではなかったにもかかわらず、
何人ものけが人が続出。
そこで近くのお寺の住職に供養を頼み、霊を鎮め慰めたと伝えられています。

ここから出土した人骨は、断首された者の骨だったのでしょうか。
近くにお寺があるので、かつての墓地だったことも考えられます。
もっとよく調べてみると、その近くにはお城があり、
昔の地図には城の土手がはっきりと描かれているのです。
お城と言っても砦同様の小さな軍用施設で、
戦国時代には騎西城の出城として使われていたのでしょう。

また、付近の地名戸崎の「崎」は、
水辺に突き出た場所という意味があります。
利根川の乱流時代、ここにも川が流れ込み、戸崎はその屈曲点だったと想像できます。
河原は穢れを清める場所なので、
死んだ人をそこで葬送したのかもしれません。
出土した人骨が何時代のものかはわかりませんが、
処刑場、お寺、城跡、葬送地という背景がそこには含まれています。
かくして怪談という煙の下には、大なり小なりの火種が存在するものです。

ちなみに住職が懇ろに供養してからは工事は無事に終了し、
現在は北埼食肉センターとして使用されています。
もはやタブーや因縁は過去のものとなったのでしょうか。
いまはかつての面影はなく、
北埼食肉センターには多くの車が出入りしているということです。


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