字は人なり。
書く字には、その人のなりや状態、
性格などが反映されているらしい。
振り返って自分の字を見ると、
自信がなく鬱々としていた頃の字はやけに小さい。
自信のなさがそのまま字に現れている。
シャープペンで書いているのだが、
なんだか色も薄いし、字そのものがクヨクヨしている。
手書きで日記を書いている人は、
文字そのものを見てみるといいかもしれない。
そのときの心の状態が、
字に反映されてはいないだろうか?
ところ、とても小さな字を書く作家がいた。
その名は“直木三十五”。
手日でも大きく取り上げられる芥川賞・直木賞の名前の由来になっている人物である。
本を読まない人でもよく知られた賞だが、
直木の作品を読んでいる人は少ない。
寡作な作家だったわけではない。
逆に多作だった。
しかも速筆。
膨大な量の注文を、ペースが落ちることなく書きまくった。
そんな直木の直筆原稿を見ると、
かなり字が小さい。
原稿用紙の升目の右に、チョロチョロと書いたような字である。
これは彼が自信がなかったわけではない。
むしろ、直木は自信家だっただろう。
書く字が小さいのは、多くの注文をこなさなければならなかったのと、
速筆のためだ。
直木は個性的な作家だったらしいが、
その直筆原稿もその特色を表していると思う。
普通、作家は机に向かって作品を書くが、
直木は机を使わない。
布団である。
布団に伏して書くのだ。
直木が使っていたのは二百字詰原稿用紙とGペン。
彼は速筆を誇りにしており、
その速度を愛人に測らせては楽しんでいたという。
しかも、推敲はしない。
書いた原稿は書きっぱなしだった。
だから誤字脱字も多い。
もし、直木がきちんと推敲していれば、
いまでも読まれる作家になっただろうと言う人もいる。
直木三十五は、昭和9年2月24日にこの世を去る。
享年43歳だった。
当時、直木は人気作家だったが、
前述したようにいまも読み継がれているとは言えない。
「直木賞」と聞いて、
それが「直木三十五」の名から生まれた賞と言える人はどのくらいいるだろう。
その速筆で書かれた字のごとく、
輝かしくも波乱の人生を駆け抜けた作家だった。
流れるような小さな文字だから、
目に留まりにくいのだけど……
書く字には、その人のなりや状態、
性格などが反映されているらしい。
振り返って自分の字を見ると、
自信がなく鬱々としていた頃の字はやけに小さい。
自信のなさがそのまま字に現れている。
シャープペンで書いているのだが、
なんだか色も薄いし、字そのものがクヨクヨしている。
手書きで日記を書いている人は、
文字そのものを見てみるといいかもしれない。
そのときの心の状態が、
字に反映されてはいないだろうか?
ところ、とても小さな字を書く作家がいた。
その名は“直木三十五”。
手日でも大きく取り上げられる芥川賞・直木賞の名前の由来になっている人物である。
本を読まない人でもよく知られた賞だが、
直木の作品を読んでいる人は少ない。
寡作な作家だったわけではない。
逆に多作だった。
しかも速筆。
膨大な量の注文を、ペースが落ちることなく書きまくった。
そんな直木の直筆原稿を見ると、
かなり字が小さい。
原稿用紙の升目の右に、チョロチョロと書いたような字である。
これは彼が自信がなかったわけではない。
むしろ、直木は自信家だっただろう。
書く字が小さいのは、多くの注文をこなさなければならなかったのと、
速筆のためだ。
直木は個性的な作家だったらしいが、
その直筆原稿もその特色を表していると思う。
普通、作家は机に向かって作品を書くが、
直木は机を使わない。
布団である。
布団に伏して書くのだ。
直木が使っていたのは二百字詰原稿用紙とGペン。
彼は速筆を誇りにしており、
その速度を愛人に測らせては楽しんでいたという。
しかも、推敲はしない。
書いた原稿は書きっぱなしだった。
だから誤字脱字も多い。
もし、直木がきちんと推敲していれば、
いまでも読まれる作家になっただろうと言う人もいる。
直木三十五は、昭和9年2月24日にこの世を去る。
享年43歳だった。
当時、直木は人気作家だったが、
前述したようにいまも読み継がれているとは言えない。
「直木賞」と聞いて、
それが「直木三十五」の名から生まれた賞と言える人はどのくらいいるだろう。
その速筆で書かれた字のごとく、
輝かしくも波乱の人生を駆け抜けた作家だった。
流れるような小さな文字だから、
目に留まりにくいのだけど……
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