広辞苑を引くと、
雅号は、文人、書家、画家などが本名以外につける風雅な別名とある。
もともとは中国宋時代、漢詩の六義の一つだった。
日本では江戸時代、一種の遊び心から流行したものだとされる。
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漱石や鷗外など、いずれも作風にふさわしい雅号と思えるが、面白いのもある。
例えば、二葉亭四迷は「くたばってしまえ」からつけたと教わった。
坂口安吾は中学生のころ教師から「お前は暗いヤツだから暗吾と名乗れ!」と言われ、
小説を書くようになって迷うことなく「安吾」とした。
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森鷗外は、いかにも陸軍軍医らしい謹厳実直さが感じられる。
隅田川の上流に“かもめの渡し”があって、その先は吉原だった。
鷗外は隅田川をはさんで吉原と向かい側の小梅村に住んでいた。
かもめ(鷗)は吉原を指す隠語でもあり、遊興の里から外れる趣意か。
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鷗外というペンネームを実際に使った期間は、僅かであったらしい。
主な創作・評論・翻訳には、いずれも本名の森林太郎と署名した。
どこかでイヤ気がさしたのかもしれない。
遺言状には「余ノ墓ハ森林太郎ノ外一字モホル可ラス」と残した。
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