般若心経

写経
四国八十八ヶ所

般若心経

2020-05-10 | Weblog

 どうして?

 一昨日の夜のことです。畳の上に置いていた新聞を読もうと一枚めくったところ
?????



よく見ると3センチ強の青虫です。
 この時季、山道を歩くと糸にぶら下がった小さな毛虫が頭や体について、座敷の中で這っていることはときどきあります。しかし、青虫は初めてです。しかも新聞の間にいようとは。
その前日、山道をウォーキングしたのですが、このような青虫は見かけませんでした。一昨日は 畑で玉ねぎの取り入れ、駐車場の草刈り、ここでもやはり見た覚えがありません。しかし、部屋の中にいるのですから、どこかで体についてきたのでしょう。見慣れない部屋の中で青葉を求めて這いまわり、疲れて新聞紙の間で休んでいたのかもしれません。
そっとつかんで夜のさつきの葉につかまらせました。
 ところで、なぜ毛虫や青虫は人の体にくっつくのでしょうか。植物の種が人にくっつくのは、遠くに運んでもらって 自生エリアを広げるためだと聞いたことがあります。毛虫や青虫はチョウやガになって自由に飛び回れるのですから、テリトリーを広げるためではないのでしょう。
 通りがかった大きな物体につかまって行くと、まだ見たことのない素敵な世界を見ることができると考えていたのかもしれません。
未知のものに素晴らしさを感じ、思いをよせるのは人間も同じことです。
ただただぼーっと思いめぐらせるだけでも楽しいものです。
コロナ禍が治まったら・・・・・と。


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2020-05-08 | Weblog

 松
   つづき

 以前にアップしたことがありますが、わが家の松の木の一本は奈良東大寺で拾った種を育てたものです。今では高さ4メートルほどになりました。この松は葉が三本の三鈷の松です。全部の葉ではないのですが、探すと見つけることができます。
 三鈷の松は持っていればしあわせになれるとか。


新型コロナウイルス感染症が早く終息しますように








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2020-05-06 | Weblog

松剪定

 落語にこのような話があります。
江戸時代の植木屋さんが言うには「植木屋ってぇのはちょっと鋏を入れては休み、ちょっと足場に上っては休み、休んでばかりいるようですがね、ちがうんでさぁ、少し離れて植木を眺め、今切った枝はよかったのか、次に切る枝はどれにしようかと考えているんでさぁ。こうしてたばこをのんびりふかしているように見えても、頭の中ではいつも植木のことを考えているんでさぁ」
 今の時代にはこんなにゆったりとした植木屋さんはいないと思いますが、それでも近くの旧家に出入りしている植木屋さんを見ていると3メートルほどの松一本に一日以上をかけています。
 わが家の庭にも2~4メートルくらいの松が3本あります。
暖かくなり、松の新芽が伸びてきました。松の新芽はローソクと呼ばれ、簡単に折れます。しかし、去年手を抜いたこともあってその数の多いこと。先日より合間を見て手を入れています。



 松の剪定は「むしり7に切り3」と教わりました。葉をむしり取る作業が7割、余分な枝芽を切り取る作業が3割でちょうどいいということですが、来年のことも考えて3-7で大胆に刈り取っています。
 のんびりと縁側でお茶でも飲みながら「今日は松でもやるか」ということは、はてさていつのことになるやら。











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2020-05-04 | Weblog

 新玉ねぎ

 早生の玉ねぎの茎が倒れてきたので、抜いてきました。毎年のことながらミニ玉ねぎもあります。



 ネットで見ると玉ねぎは密集して植えればミニになるそうですが、玉ネギ用の穴の開いたマルチに植えていますので、密集が原因ではないようです。苗を植える深さとか肥料のムラとか耕し方が悪かったのでしょう。
 このミニはみそ汁やカレーにそのままいれてもいいですし、スーパーでもあまり見ることのない旬の食材としていただいています。
 3月15日のテレビ「ゲンキの時間」で新玉ネギの効用について放送していました。
https://hicbc.com/tv/genki/archive/200315/ レシピも紹介しています。
玉ねぎにはイソアリシン、ケルセチン、スルフィド類という成分があり、
血管の若返り、優れた抗菌・抗ウイルス作用、風邪やインフルエンザの予防、動脈硬化予防、血糖値抑制、がん予防、高血圧予防、抗肥満作用、肝臓保護、アルツハイマー型認知症予防などたくさんの効果があるとか。


電子レンジでチンしてみました




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2020-05-02 | Weblog

ジョウロ

 いつ買ったのか思い出せないほど前から使っているジョウロが壊れて交換した。あちこち穴が開いて水漏れし、その都度シーラントを埋めて使っていた。吐出口も一度剥がれて接着剤でつけなおした。修理は簡単にできるので、いつも今度漏れたら交換と思いながらも延び延びになっていたジョウロである。
 そのジョウロが先日水を入れて運んでいる途中に突然底がぱっくりと抜けて水がバッザァー、よくぞここまで使ったものだ。もう修理はできないとやっと踏ん切りをつけホームセンターへ出かけた。見るといろいろなサイズのジョウロがあったが、値段もさほど変わらないので、いちばん大きな今までの倍の10Lのものを買ってきた。



 一回で倍の水が入るので効率はよいのだが、さすがに力の弱った片手ではちょっと重く自由にならない。ならば入れる水を半分にすればよいのではと思うのだが、それでは大きなジョウロを選んだ意味がないと少し意地になって使っている。腕の筋トレになるのではと少し期待を持って。

 ところで私は「ジョウロ」のことを「ジョロ」とばかり思っていた。
買ったジョウロの側面に「じょうろ」と書いてあったので、辞書を引いて見ると
じょうろ:・ポルトガル語jarroの変化 ・・・じょろ とも ・・・如雨露は借字
とある。結局「ジョウロ」「ジョロ」どちらでもいいようだ。
如雨露が借字とあるが誰が考えたのか風情のあるいい字だ、うまいこと考えたものだと辞書を前に感じ入った。