AWA@TELL まいにち

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公立学校は何を教えるところなのか

2017年05月17日 | どーでもいいこと
大学院生のとき、指導教員から、

「日本の学校は、人間を育てているんだろうか、日本人を育てているんだろうか」

と、問いを投げかけられたことがあります。


その時も、今も、実は、自分なりの答えが出せないでいます。


「個」に注目した答えであれば、「〇〇〇〇」という人格を育てている、という答えが可能なのですが、

日本の公立学校は、「個性」というものをかなり作為的にというか、狭くとらえているように思い、同調圧力のほうが強いような気がしています。


かといって、どうなんだろうなあ、「日本人を育てる」、という方向にまい進しているような気もしながら、

義務教育を終えただけでは、日本の行政システムが何一つわかっていない、という状況もあって、

つまり、生活保護を受けるための手続きとか、年金の払い込みの免除の手続きとか、健康保険制度とか、就学支援制度とか、そんなものは、ちゃんと指導されていないでしょう。

「道徳」の必修化より、こういうシステムを評価する対象ではない授業できちんと扱わないと、負の連鎖が続くと思います。


かといって、「人間を育ててる」、という場所かというと、上に書いたけど、「郷に入らば郷に従え」的な考え方も根強く、世界のどこでも活躍できるグローバル人材の育成、とは、程遠いような気がしてならない。



 学校の多文化化は、この「日本人を育てるのか、人間を育てるのか」という問いにぶつかっているような気がします。

 簡単に答えが出る問題ではないと思うので、10年、20年、100年かかるかもしれないけど、

 そういう問いすら持つこともなく、なんとなく教壇に立つことはやめてほしいなあと思ったり、



 今日は、「外国人児童生徒教育概説」という授業の中で、今、日本社会が外国人に対して示している、


 「外国人移民を認めると、日本人の仕事がなくなる。彼らは、低賃金の長時間労働に耐えるから」

 とか、

 「母国の風習、習慣にこだわり、日本社会に同化しようとしない」

 という文言を、


 昭和の初めに、アメリカで日本移民がぶつけられていた事実と照らし合わせながら、お話をしました。


 「カリフォルニア日系人排斥連盟」なんてものもあったのね。

 ハワイでは、日本人学校の閉鎖命令に対する日系人の起こした裁判などもあり、外国人の排斥運動というのは、どの時代にも、どの社会にもあったことを示しつつ、

 だから今の日本もそうなんだ、と納得するんじゃなくて、

 このあと、10年もしないうちに、日本とアメリカは戦争を始めた、という事実に気づいてほしいのです。



 歴史を学ぶというのは、年代を覚えることじゃなくて、

 過去の出来事、流れから、今の出来事、流れを観察し、これからの対策を考えること。



 外国人の排斥が結果として何を生み出したのか、もっと日本人は真剣に考えるべき。

 そして、外国人がやってくる背景に何があるのか、アメリカ移民もブラジル移民、ドミニカへの移民も、満州への移民だってそう、現地の労働者不足と合わせ、日本で生活できない人たちを半ば「棄民」してきた歴史があるわけで、日本だけが何かをして解決するわけではないんだけど、少なくとも、人手不足で外国人を招こうとしている以上、もっときちんとした対応策を建てることはできるはず。



 とりとめのないことを書いてしまいましたが、

 冒頭の「人間を育てているのか、日本人を育てているのか」というのは、あれ以降の私にとっては、自分の授業を含め、考える一つのことになっています。


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