AWA@TELL まいにち

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朝鮮日報から

2006年12月28日 | 研究
朝鮮日報でこんな記事がありました。
「中学高校に歴史科新設」

「東アジア史」という科目を作るという話もありますね。
日本もこういう方向に行けばいいんじゃないかなという話を以前書きました。
「東アジア近代史」でもいいんですよ。「東アジア近現代史」でもいいです。「近現代史」にした方が日本と東アジアのかかわりを今の自分にひきつけられますからいいかもしれませんね。

僕が公開講座などでもお話しするのは、アジアの留学生と話をするときに、自分の知識が余りにも少ないということなんですよ。
知っていることでの議論であれば建設的な議論ができると思うのですが、そうではないのが現状だと思うんです。
日本の植民地支配が、朝鮮半島に利益をもたらしたのか、収奪に終始したのか、それについての議論をする用意が私たちにあるでしょうか。

朝鮮半島の支配方針の一つは、総督府が必要ないような、まったく内地の日本と同じようにしてしまうことだったといいます。インフラの整備も、法制度も、内地と変わらないようにしようとした、ということだけとれば、近代化に立ち遅れていた朝鮮半島の生活レベルの向上に役立ったということが言えるでしょう。でも、日本の内地と同様にするというのは、朝鮮の人たちに一方的な変化を押し付けるわけですよ、日本語教育についても、社会習慣についても。
総督府が意図した政策も、末端の官僚までその理想と展開方法について徹底していなかったでしょうし、まして、一般大衆にその理想と意義と将来性が充分に説明されていたとも思えません。

政策としての評価と、社会に与えた影響から見た評価と、当時の一般大衆の抱いた感情という評価と、まだまだ研究するべきことはたくさんあります。

日本がこのままこの時代に対して無関心でいることは国益を損なうだけだと思います。私たちの祖父母、曽祖父母の世代がしたことを、後ろめたい気持ちで見守るのではなくて、何をどうしたかったのかを徹底的に調べてみようということにはなりませんかねえ。

別に日本に有利な形で決着をつけようというのではないのです。ただ、このままでは、日本は何も言わないままで近代史の中の役割を決められそうな気がしているということだけなのです。

終わったこと、で片付けて済む問題じゃないですよ。

そんな事を思いました。
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