AWA@TELL まいにち

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戦前、植民地朝鮮での国語指導

2018年11月08日 | 日本語教育
一応、タイトルに書いたものが、自分の研究だ、と認識しているのですが、

世間様にはどう思われているのか‥‥

例えば、献本いただく本も、

日本語の教科書でもなく、文法の解説書でもなく、

教育史の分野でもなく、

もっぱら、韓国語の教科書。どんな名簿に載っているのか。謎。


それはそれとして、

先日、存じ上げている大学の先生から、戦前の教科書のことでお尋ねがあり、写真でデータを送ったので、ご紹介。

冒頭の写真が、当該教科書の奥付。

「普通国語四」という枠囲みの下に変体仮名が書かれています。

これが、教科書の版の違いを示していて、この変体仮名が違うと、同じ時期の教科書でも微妙に中身が違っているということに気づき、その対象リストを作成して、戦前の植民地朝鮮における「国語」教科書の改訂が、いわゆる皇民化政策の強化、という一面だけでは語れないということを示したこと、内地との教科書の内容の統一が図られていったこと、そのあたりを書いたのが博士論文。

それはそれとして、



この「いなかのあき」という教材には豚の鳴き声が出てくるのですが、版が異なると、豚の鳴き声が変化するという面白い時期。
「ぐう」から「ぶう」へ。
夏目漱石の夢十夜のぶたも「ぐう」なんですよね。
この時期に豚は「ブウ」と鳴き始めたわけです。

以前、島根県立大学でお話したときのマクラがこれでした。

そして本題。

この教科書に、当時の先生の自作プリントが挟まっていて、


それがこれ。

朝鮮語を母語としている子供たち用の、発音練習のミニマルペアプリント。

ミニマルペア、という言葉が当時通用していたわけじゃないのですが、経験的に、効果がある、と思われていたのでしょう。

当時の先生方の、子どもたちの日本語習得に対する熱意と、研究の姿勢に頭が下がります。

翻って、今、日本語指導が必要な子どもたちに接している先生方は、子どもたちの言語にどの程度関心を持っていらっしゃるのか。

何もかも、今の方が優れているわけじゃなく、この、戦前の先生ほどのこともできていない人がそれなりにいるのではないか、と考えることも多いのです。

「子どもたちのために」と当時の先生方が一生懸命取り組んできた「国語教育」は、今では、「日本語の強制」という言葉でくくられます。

「子どもたちのために」は、時代に大きな影響を受けるのです。

それだけに、その言葉が空虚に感じられることも、先生方の自己弁明にしかすぎないように感じられることもあって。

50年後、100年後に通用する教育であれば、とは思うんですけどね。

まあ、とりとめもないことを書きましたが、こんな資料があるよ、というお話。





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