story・・小さな物語              那覇新一

小説・散文・詩などです。
那覇新一として故東淵修師主宰、近藤摩耶氏発行の「銀河詩手帖」に投稿することもあります。

幽霊と出会った夜

2008年05月29日 22時41分29秒 | 小説

「お客さん、こちらのマンションでよろしいですか?」
俺は、後ろのシートの乗客に声をかけた。
俺は、タクシードライバーだ。
自分で経営していた店を閉め、もう2年前からこうして、タクシーの仕事をしているのだ。

後席の客から返事はない。
若い女性だ。
「お嬢さん、こちらですね」
女性は返事をしない。
振り向くと、件の女性は後席に横になって寝息を立てている。

そろそろ夏も近く、Tシャツの胸元から白い肌が見える。
「お嬢さん、着きましたよ」
俺は少し大きめの声で、件の女性に到着を知らせる。

「あ・・」
女性はようやく気がついたようで、おもむろに身体を起こし、あたりを見回している。
「こちらのマンションでよろしいですか?」
もういちど、最初と同じ事を俺は訊ねた。
「はい・・」
「それでは、1540円になりますね」
俺はメーターの文字を指差して料金を伝える。
女性は、意識朦朧とした風で、それでも、千円札を2枚、俺に手渡してくれる。
「ありがとうございます。2000円、お預かりしますね。460円、お返しします」
俺は、彼女に釣り銭を手渡し、ドアを開けた。
女性は、おぼつかない足取りで、車の外に出て、目の前にあるマンションに、千鳥足で入っていく。

「本日最後のお客は可愛い酔っ払いか・・」
独り言が自然に出る。
誰も見ていない車内で苦笑している自分にもおかしさを感じる。

時刻は午前3時だ。
俺は自分の会社に戻ろうとした。
ただ、この場所からでは、幹線道路を走るより狭い路地を抜け、更にその先の広大な公園墓地の真ん中を貫いた方が早く帰社できる・・
俺はそう考えた。
そして、急斜面の路地へ入っていく。
すれ違いの際に対向車を交わす事が難しい路地ではあるが、深夜の事でもあり、対向してくるクルマはいない。
ゆっくりと1キロに渡る路地を抜けたあとは、里山をそのまま生かしている公園墓地の中央を貫く快適な2車線道路だ。
道が広くなり、加速する。
道の両側は山林だ。
ふと、ヘッドライトが白いものを映し出した。
「また出たか・・」
また独り言が漏れ、俺はゆっくりとクルマを停車させた。

深夜の公園墓地・・道路の中央に白いドレスの女性が立ち尽くしている。
俺は窓を開けて叫んだ。
「お里さん、邪魔せんといてか」
白いドレスの女性は俺に顔を向ける。
「邪魔やっても、そのまま通過できるやろ・・」
「あんたは、もう死んでるかも知れへんけど、一応、俺は人間らしきものにぶつかるわけにはいかんのや」
「ほな、そこにじっと停まっとき・・うちは、娘を待っているのや」
「娘さん・・今日は一緒とちがうんかいな」
「さっき、タヌキと一緒に何処かへ行きよりましてん」
「そら心配やな・・ってか・・幽霊を襲うやつはおらんやろう」
「そうと分かっていても、心配ですがな」

お里はこのあたりでは知る人ぞ知る幽霊だ。
始めて見た人は恐怖のあまり、立っていられないくらいのショックを受けるのだが、陽気な幽霊だ。
話をすれば、なかなか可愛いところもあり、仲良くなればのっぺらぼうも、ちょっと白すぎるがかなりの美人に見えてくる。
いつもは、同じ白い衣裳の10歳くらいの娘さんを連れて出没する。
お里の年の頃は30歳前後だろうか。
50年ほど前に娘さんと一緒に事故で亡くなったという。
以来、人の浮世に余りにも未練が多く、いまだにこうしてこの墓苑の主のようになって出没するらしい。

「そやけど、そこ、どいてや・・会社に帰りたいねん」
「そう言われると・・余計に通したくなくなるわよ」
幽霊は悪戯っぽく笑う。
笑うと言っても目に見えるのはのっぺらぼうの顔だけだ。
でも、不思議に笑っているように見えるのだ。

「お母さん!」
そのとき、子供の声がした。
お里と同じ衣裳を纏った子供の幽霊が宙を滑るように走ってくる。
「千香、心配してたんよ」
「タヌキのやつ、いきなり、猫と遊び出すねん・・うち、無視されてんで」
「タヌキなんか相手にしないで、勝手に遠いところへ行ったらあかんわよ」
千香と呼ばれる娘もまたのっぺらぼう・・なのだが、慣れてくるとこちらも愛らしい表情が見える気になる。
「お母さん、幽霊は誰にも襲われへんよ」
「でも、お母さんは心配なの!」

幽霊親子が会話しているのを見て、俺は思わず叫んだ。
「もう、ええやろ、通してくれや」
幽霊親子は顔を見合わせ、すっと宙に浮き上がる。
「迷惑かけたわね。ごめんね」
俺は、苦笑しながら空中の幽霊に手を振り、その足の下を通過した。

俺は会社に戻って、詰所で売り上げの集計をしていた。
バタバタと走り込んでくる足音がする。
詰所の扉が勢いよく開き、同僚の窪木が詰所に転がり込んできた。
「あ!中野さん、いはったんですか!」
窪木は息を切らせ、それでも、俺がいて良かったというように、いきなり、俺に抱き着いてきた。
「窪木さん、どうされたんです?」
「あかん!あきまへん!」
「だからどうされたんですか?」
「でたんや!」
「出たって・・なにがです?」
「お化けやねん!」
「お化けって・・幽霊ですか?」
「I町を走っていたら・・顔のない女がでたんや」
俺は抱き着いてきている窪木をゆっくり引き離してから・・こういった。
「幽霊なら僕もさっき、そこの墓苑で会いましたよ」
「わしが見たんは、ホンマもんなんや!」
「幽霊に贋物も本物もないでしょう」
「とにかく、わしが見たんはほんまもんなんや、I町で赤いワンピースののっぺらぼうの・・」
窪木は墓苑の幽霊を知らないらしい。
そう言えば、会社の同僚たちにも幽霊親子を知っている人は少なく、知っている人もたいていは恐怖の対象としてしか見ておらず、おまけに誰かに喋れば自分の寿命が短くなると信じているとあっては、幽霊親子を知らない人が多くなるのも致し方のない事だった。
俺は、しばらく、窪木の話を聞く事にした。

窪木は深夜の乗客がI町までと言ってくれたので「今夜は運がある」と喜んで向かったそうだ。
I町まではおよそ20キロ、深夜料金なら7000円ほども出る勘定になる。
水揚げが収入に直結するタクシードライバーにとっては当然の感覚だ。
お客を降ろして帰社しようとしたとき、深夜の百貨店前で、いきなり飛び出してきた人があったそうだ。
赤いワンピース、赤い帽子のその女性と思われる人物は、まるでクルマに突っ込んでくるかのように走ってきて、驚いてクルマを停めた窪木はその女に抗議しようと窓を開けた。
「危ないやないか!」
そう叫んだ窪木の目に映ったのは振りかえったその女の顔。
赤い帽子の下の顔はのっぺらぼうだったそうだ。
のっぺらぼうなのに、何故か、女が笑っているように見えたそうだ。

そこからどこをどう走ったか・・
窪木は覚えておらず、気がつけば会社の車庫にいたそうだ。

「ホンマに幽霊ですね」
俺は、話を聞き終わると納得したように頷いた。
「そんな、呑気な・・」
「でも、窪木さん、幽霊は何もしませんよ・・彼らは自分の意志でそこにいるだけですから」
「そやけど、あんな怖いもの、あらへん」
「怖くないですよ。幽霊になにか悪さをされた人って・・聞いた事ないでしょ」
「それもそうやけど」
「だったら、不用意に怖がらなくていいんじゃないですか」

一瞬、窪木は納得したかのように見えたけれども、すぐ真剣な表情になって迫ってきた。
「あのな・・中野さんはお化けを見てないからそんな事が言えるのや」
「いや・・だから・・僕はさっき、そこで幽霊に出会いましたよ・・今まで何度も幽霊に会っているのですけれど」
「そんなことが有るかい!」
窪木は真顔で怒っている。
俺は、彼をなだめるようにゆっくりと話した。
「いいですか・・窪木さん、僕は何度も幽霊に出会っているのですよ。もしかしたら幽霊に出会う感性を持っているのかもしれません。だから信じて下さい」
窪木はやや落ち着きを取り戻し、俺の目を見た。
俺は、噛んで含めるように・・更にゆっくりと話した。
「いいですか・・僕もそのI町の幽霊に会いに行きます。会えたらいろいろ話を聞いてみます」
窪木は頷いた。
「それまでは、誰にもこの事は言わないで下さいね」
窪木はもう一度大きく頷いた。

次の出勤日はその翌々日だ。
俺は一通りの仕事が終わってから、I町の方向へ向かうつもりだった。
けれども、深夜に不思議にもI町近くへ向かう乗客があり、この乗客を乗せて「正当に」I町へ向かう事が出来た。
I町唯一の百貨店前は深夜になれば昼間の喧燥も嘘のように静まり返っている。
俺は、自分のクルマを停めた。
窓を開け、初夏の夜のひんやりした空気を吸い込む。
ラジオを消した。

街灯に照らさせる夜の大通り・・
ライトアップされたかのようにその威容を誇る百貨店やその周囲のビル群。
点滅しているだけのいくつかの信号。
時折通過していくクルマ。
ハサードランプを点けて深夜の客待ちをする何台かのタクシー・・
そう言った物が俺の視界に入る。

俺もまた客待ちをしているタクシーに見えるだろう。

けれども、俺にとってはこれが唯一、この町にいる幽霊と出会える方法なのだ。

深夜と言うのに時折歩く人がいる。
けれども、客待ちのタクシーは動かない。
俺は百貨店の前を離れ、そのさきの少し暗くなっている場所へ移動した。

目の前には黄色の点滅信号がある。
やがて、紺のスーツに身を包んだ女性が俺の前を横切ろうとする。
女性にしては大柄で、それでも、膝あたりまでのスカートから伸びた脚は力強く、きれいなラインを描いている。
肩までの髪は手入れが行き届き、大きな耳たぶにはきれいない銀色のイヤリング。

その女性は俺の目の前で一旦振り返った。
顔には目も鼻も口もなかった。
のっぺらぼうなのだがつるつると言うのではなく、布を顔一面に貼り詰めたような質感だった。
女性は俺を睨み付けた。
女性の顔はのっぺらぼうなのだが俺にはそう見えるのだ。
俺は咄嗟に女性に声をかけた。
「幽霊ですか?」
女性は少し怯んだようだった。
「幽霊さんですよね」
女性は少し脅えた表情・・さっきの布の質感しかない顔なのだが、俺には明らかに脅えていると見える表情のまま俺を見詰めている。
「怖くないのですか?」
意外にも女性から出た声は男のそれだった。
「男か?」
俺が思わず呟くと、その女性?は更に驚いた様子だった。
「分かりますか?」
幽霊はそう訊ね返した。
「声は分かるよ」
「わたしが怖くないのですか?」
「なんで?怖がる必要がないやんか」
「そりゃ・・」
「心配しなくていいですよ。幽霊さんとはお付き合いがいくつか有りますから」
女装の男性で幽霊・・という不思議なその「人」は安心したかのように俺を真っ直ぐに見た。
のっぺらぼうなのだが、俺にはそう見えるのだ。
「私、死に損なったのですよね。もう20年もこうしてこの場に住んでいるのですよ。通りがかる人たちは私を見ると怖がるし、私もついには人を驚かして喜ぶだけの毎日になってしまったのです」
「でも・・女装しておられると言う事は・・元から・・人間だったころからそういう・・人を驚かす趣味がおありだったと言う事ちゃうかな・・」
「鋭いですね・・」
「普通に考えれば誰にでも分かる事でやろね」
「いや、そうなんですが、私は人を驚かす事が趣味で女装していたわけではないのです」
「じゃ・・どんな理由で・・」
「実は・・」
「実は?」
「私は、そこの山の上の女学校の教師だったのですよ」
「は?だから?」
「ですが・・趣味が女装と言う・・これまた非常に厄介なものでして・・」
俺は呆れた。
「ホンマに厄介ですよね」
「ある日、私の事が新聞記者の知るところとなり・・」
「大変なことやね・・」
「それを新聞に書かれると・・非常に困る・・でも彼はそれを書きたい・・」
「なるほど」
「前途を悲観して・・」
「そこから先は聞かなくてもええよ」
「ありがとうございます」

その後の会話によると幽霊氏は出来ればあの世に行きたがっている事が分かった。
けれども、その方法は俺には分からない。
なんでもタイミングを逃したものは、簡単にはあの世とやらには行けないらしい。
彼は、今の中途半端な状態にすっかり疲れているし、おまけにマトモに他人と話も出来ない現状では寂しさが募り、どうにもならないというのだ。

「今度、聞いておいてあげるよ」
俺はそう約束し、I町を離れた。
幽霊氏は高く百貨店の上まであがり、俺を見送ってくれた。

俺はその足で、会社近くの墓苑に向かった。
お里親子に会う為だ。
彼女たちなら、お墓の他の幽霊とも付き合いがあるだろうし、なにか知っているだろう・・
俺はそう思っていた。

墓苑に近づく。
道路の上空に、ぼんやりと白いドレスのようなモノが見えてきた。

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