story・・小さな物語              那覇新一

小説・散文・詩などです。
那覇新一として故東淵修師主宰、近藤摩耶氏発行の「銀河詩手帖」に投稿することもあります。

小諸にて。

2021年05月01日 14時48分30秒 | 小説

初めて小諸に降り立った時は雨だった

梅雨の終わりとはいえ、日本で有数の晴天率の町と聞くここで雨に出会うのもまた珍しいのかもしれない

質素な昭和の佇まいを残す駅の改札口で約束していたはずの女性を探す

これまで電話やメールではやり取りしていたが会うのは初めてで、その女性の容姿も全く見当もつかず少し途方に暮れる

少しと書いたのは、昼間の小諸駅前にさほど人はおらず、その中でいかにも旅行者然としている僕は地元の人から見てたぶん異質に見えるはずで、だから先方からきっと見つけてくれるだろうという楽観が僕の心にあったからだ

 

だが、たとえば会うのは止めましょうと言われてしまえば、僕はその女性の姿を全く心にも留めることが出来ないわけでその部分の不安は少しはあるとそういうことだ

小諸の駅は地方都市にしては構内の作りが大きく、十二両くらいの列車が停車できるほどの長いホームがある

雨の降る小諸駅の構内を改札から眺めていた

 

「あの、もしかして」

改札の前で待っている僕には意外な、駅の外から入ってきた女性が声をかけてくれた

「あ・・メールを下さった方ですか」

 

若い人ではない

僕と同年配の初老にあたる世代の人だろう

だがこの人の、雨の町を背景にした落ち着いた雰囲気はどうだ

女性は少し硬い笑顔で「お待ちいたしておりました」という

「電車から降りてこられるものと思っておりました」

「ええ、一本早い電車で着いてしまったものですから、そこのカフェでお茶を飲んでいました」

頭を下げながらそういう女性は小柄で、何度か電話で話したときの優しく落ち着いた喋り方だ

 

僕はこの町で見なければならないものがある

だが、その前に彼女との出会いがどんなものになるかということに少し興味もあった

「では、さっそくですが」

彼女はそういうと、体の向きを変え、傘を広げて小諸の町へと歩き始めた

僕はせめてここで少し休んでお茶でも飲んでからと思っていたのだが、ついていくしかない

彼女はたった今、お茶を済ませたばかりなのだ

 

「あの・・・」

少し駅前からの道を歩いて僕は無言の彼女に声をかけた

「はい?」

彼女は振り返って首を傾げる可愛い仕草をした

「浅間山はあっちのほうですか?」

「いえいえ、この正面ですよ」

クスッと笑う

少女のような純朴さもある女性だ

「どんなふうに見えるんでしょうね、このあたり、来たことがなくて」

僕の問いに彼女は立ち止まりちょっと考えて笑みを浮かべる

「ちょうどあのあたりに、丸いお山が二つ見えます、右の丸いお山は実はさらに二つが重なっていて、その奥のほうが浅間山ですよ」

「群馬あたりからだと、富士山のような感じですよね」

「ですね、でもここからだと可愛いですよ」

「浅間山が可愛いのですか?」

「そう、ちょうど・・おっぱいのよう」

そういったかと思うと、彼女は舌を出した

 

思わず彼女の胸のあたりを見てしまう

だが、紺のワンピースの胸のあたりは僅かな膨らみを感じるだけで、およそ丸いおっぱいとは程遠いのかもしれない

「あの・・・」

「今度は何ですか?」

少し楽しそうに彼女は答える

「もしかして、独身ですか?」

しまった、失礼な質問をしたと思ったのだが、すぐにあっけらかんとした答えが返ってきた

「わかります?チャンスをうまく掴めなかったし、独り身は気楽ですし」

明るいグレーの傘が回りワンピースのスカートが翻る

 

なんでこんな魅力的な女性が独り身なのだろうと僕の中にふっと疑問がわく

 

坂ばかりがある街の、その坂の中ほどを横切るかのように国道が走り、地方都市らしく所々歩道もなくなる国道を連れ立って歩くが、さほど交通量は多くないようだ

それにしても落ち着いた街だ

いや、落ち着いているというより、鄙びたという感じだろうか、昔はもっと繁栄していたのだが、何かがあって町が寂れてしまったような感じがする

 

連れていかれた家は、町の中心部で、系統の異なるレストラン二つに挟またところにあった

鍵を開け、彼女の後に続いて家に入ろうとすると彼女は玄関で僕のほうを振り返り制止した

「ちょっと待ってくださいね、これと、これと、これをもって」

彼女は手提げカバンから出したのは懐中電灯と使い捨てのスリッパ、軍手だった

家の電源は切られていて、真っ暗だ

その中へ、僕は美しい女性とまるで探検でもするかのように懐中電灯を使って部屋を一つずつ案内されていく

声を潜める必要もないが、どうしても囁くようにしか会話できない

「ここが寝室だったと思われる部屋で」

「ここは、お兄さんの部屋だったところ、もう何年もこのまま」

「ここはたぶん、お母さんのおられたところ」

真っ暗な家の中を案内してくれる小柄な女性、その後ろにくっつき僕は息を潜めているような気になる

部屋の中はどこも多くの荷物が積み上げられ、懐中電灯を照らしても見通しも効かず、長い期間締め切っていた部屋独特の異臭が鼻を衝く

 

各部屋を案内してもらい、外に出ると雨が上がって空が少し明るくなっていた

腕時計を見るともう、午後もかなり進んでしまっている

「今日、帰られますか?」

彼女が僕に訊く

「いえ、今からではもう関西まではとても帰れませんので・・どうしようかと」

「じゃ、私が知っている、よく使うホテルに訊いてみましょうか、駅のすぐ裏手で懐古園の真横です」

「それは助かります、シングルでオッサン一人、お願いできたら」

「わかりました」

そう言って彼女はスマホを手に取り、操作をする

「あなたは、今日は帰られるのですか?」

「ええ、多少時間はかなりますが、今日中には自宅に着くので」

彼女の自宅は栃木県だ

「でも、新幹線が出来て、ずいぶん不便になりました」

新幹線ができる前は高崎で一度乗り換えるだけで往来できたのが、今は乗り換えが増え、時間も運賃も余分にかかるようになったという

そう、小諸には新幹線の駅はできず、それまでたくさん走っていた特急列車がすべて廃止されてしまっていたのだ

新幹線はなぜか小諸のずっと南を迂回し、佐久市に駅ができた

今、かつての繁栄を思わせる小諸駅に停車するのは第三セクターの普通電車だけだ

 

浅間山の方角を見ると、少しずつ雲が晴れてきているようで僅かに山の稜線が浮かんできて、その雲の動きに僕は気を取られていた

 

「はい、それでお願いします」

彼女はスマホに向かってそう答えて電話を切り、僕のほうを見てニコッと笑う

「ツインにしました、そこしか空いてなかったので」

「え・・」

「でも、おひとりでツインだったら高くなるし・・ご一緒じゃいやですか?」

「いや、そんな・・・」

「あのホテル、ツインの部屋が浅間山側で、朝など部屋からの景色がとても綺麗なんです」

「は・・はぁ」

僕の心臓は年甲斐もなく高ぶり、ドクドクと音を立てる

やがて、雲が途切れて浅間山が全景を現し始めた

「ね、おっぱいみたいでしょ」

彼女がクスクスと笑う

二つの大きな丸っこい山があって、その頂上付近にまだ雲がかかっている

それは、顕わになった女性の胸の、その部分をそっと両手で覆うような様子を想像してしまう

「あら、何か想像されましたか?」

「いや・・その・・」

僕は赤面しているのが自分でも分かり、しどろもどろな答え方をしていた

 

彼女について駅前から長い歩道橋を渡りホテルに向かい、そこに到着してもフロントでの手続きは彼女がしてくれ、部屋に入ると彼女が真っ先に窓のカーテンを開ける

夕陽を浴びた浅間山が窓いっぱいに広がっているが、形の良い女性の胸のようにみえてしまう

「不思議なことに浅間山は、朝のうちは見えないことが多いのです」

「朝は見えにくいということなんですね」

「霧が多くて・・」

そう答えた彼女は僕のほうを振り返り悪戯っぽく笑いながら言葉をつづけた

「ご一緒のお部屋、ご迷惑かしら?」

「いえ、そんなことはありません・・・」

どうでもよいような会話をしながら慣れた手つきで備え付けの電気ポットで湯を沸かし、これも備えてあるティーパックを取り出してお茶を入れてくれた

「私、我儘なんです」

「はぁ」

「あなたにはご迷惑でしょうけれど」

湯呑をゆっくりと口に運び、お茶をすすって「嗚呼」とため息を漏らすそのしぐさが可愛い

「可愛いですね」僕が思わず口に出すと「還暦女ですよ」といいながら笑う

                                

気がつくと僕たちは重なり合っていた

小柄で細身の体の、さほど大きくはない胸の丘が僕の目のすぐ先にある

「あ、窓のカーテンを開けたままでした」

僕が立ち上がろうとすると彼女は僕の背中に回している腕に力を入れる

「大丈夫、見ているのは浅間山だけですよ」

そうか、そうだった・・・

近くに高さでホテルを凌駕する建物などあるはずもない小諸の町だ

(銀河詩手帖305号掲載作品)


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 鬼無里の姫・紅葉狩伝説異聞... | トップ | 月夜の女優 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

小説」カテゴリの最新記事