story・・小さな物語              那覇新一

小説・散文・詩などです。
那覇新一として故東淵修師主宰、近藤摩耶氏発行の「銀河詩手帖」に投稿することもあります。

届かない月

2006年01月20日 17時39分40秒 | 小説

昔、昔のこと、そう、今から千年ほどむかしのこと。
田舎の山奥の、さらに山奥に、たくさんの猿が住んでいた。
猿たちは昼間こそ元気に山や林を走り回っているが、夜ともなれば狼の咆哮に、あいつが今にもこちらへやってきそうな気がして、気が気でなく、眠ることすら出来なかった。
そんな彼らではあるが、少しは安心して眠れる夜もあった。
所謂、月夜の晩である。
半月以上の明るい月夜はたとえ狼の咆哮が聞こえても、遠くまで見渡すことが出来、見張りさえたてておけば安心して休むことが出来るのだった。
願わくば、あの月の明かりを持ってきたいものだ・・猿たちは一様にそう考えていた。

ある月夜の晩、一匹の猿が夜遅くに猿の村へ帰ってきた。
その猿はとても興奮していて、とにかく大変だとばかりを言う。
仲間が一匹帰らぬので、猿の村長はずっと心配していた。
けれどもやっと帰ってきた猿は、大変だと言うばかりで謝るそぶりも見せない。
「何が大変なのだ。まずは、お前の身を案じてくれた仲間たちに、詫びて、その心配に礼を言うのが筋だろう!」
猿の村長がたしなめると、それでも、その猿は謝るそぶりも見せない。
「大変なのです!私は大変なものを見つけてしまったのです!」
猿の村長はこれ以上、その猿を諭すことをあきらめ、事情を聞くことにした。
「では、お前のその大変を聞かせてもらおう・・」
やっと、大変なことを言う場を与えてもらった猿は、興奮しながら喋り始めた。
「村長さま!月でございます。今宵の名月!このやわらかな明るさこそ、我らが祖先より求めてきた明るさであるはずです」
「なるほど、確かに、今宵の月明かりは素晴らしいのう・・じゃが、それとお前の“大変”とはどういう関係があるのじゃ」
「はい・・実はその月が、手を伸ばしても届かぬ月が・・あるのでございます。それも井戸の中、我ら猿が力を合わせれば取ることの出来るほどのところにあるのでございます」
「ほう・・わしは、そんなものは見たこともなかったが・・」
「はい・・村長さま!あれは、最近になって、この二つ向こうの谷を開墾し始めた人間が掘ったものでございましょう・・井戸と言う、その中に月が住んでいるのでございます。さすが、人間でございますなあ・・月を井戸で飼うなぞ、我ら猿には及びもいたりません」
「井戸とな・・あれは何をするものかと思っておったが・・そうか、月を飼うものであったか」
「そうなのです。しかも、その月は空の月と違い、ゆらゆらと左右にゆれ、まことに美しいものでございます。およそ空の月よりはるかに、美しいと思いますれば・・」
猿の村長は考え込んだ。
なるほど、人間が作ったものの中に飼っている月なら我らでも取り出すことは可能だろう・・問題は如何に人間に気づかれず、それを持ち去るかだ・・
そう考えているとき、村長の次の地位にある、二番手の猿が突然やってきた。
「村長・・それは、何かに映っている月なのではないですか?」
「何かに映っているとな?」
「わたしは、以前、遠くの湖で夕日が水面に映る姿を見ました。それはきっと、何か水のようなものに月が映りこんでいるだけでしょう」
「なるほど・・」
猿の村長がまた考え始めたとき、井戸の月を見つけた猿が大声で叫んだ。
「なにをいう!人間が自分たちのために月を飼う・・そのためにあれだけのものを作るのだろう!井戸と言うものは月を飼うためにつくってあるはずだ。それは人間がやはり我ら猿と同じように、闇夜が怖いからに他ならない!私は、猿の村のことをずっと思っているから、きっと我らの神様が私に教えてくれたのだ!そうに違いない!早く井戸へ行って、月を捕まえてこなければ、人間がさらに、のさばることにもなるのだぞ!」
まくし立てるように言う。
人間には勝ちたい・・それも猿たちの願いだった。
思えば、猿たちの祖先のころには人間は猿よりも毛が少なく、体が弱く、病気になったり、他の獣に狙われたりしたものだったらしい。
それが今や、この世は自分たちのためのものだとばかりに我が物顔で振舞う・・
その人間に勝つには、人間の知恵の拝借も必要だと・・その猿はまくし立てた。
村長は心を動かされたようだった。
だが、二番手の猿がそれをさえぎる。
「村長さま・・良く考え成され・・人間が井戸を掘るのは、わたしには月を飼うためだとは思われません。わたしは、一度、人間の井戸で水をもらったことがあります。あれはきっと水をくみ出すためのものでしょう・・そんなところに月を飼うはずがありません。ましてや、人間は火を使います。夜の道も火で照らすことが出来ます。どうして月を飼い育てる必要がありましょうや・・」
井戸の月を見つけた猿はここぞとばかりに言う。
「人間も火が怖いのだ!だから、火に代わる月を飼い始めたのだ。我ら猿は火は使えぬ・・ならばこそ、優しい月の灯りを人間から奪うのだ!」
強気の意見に、猿の村長はさらに心が動いたようだ。
「わかった。今から、その井戸の月を・・人間が飼う月を皆で奪いに行こう!」
「村長さま!無駄でございます。あれは月を飼うものではありません」
二番手の猿の諫言耳に入らず、村長は、威勢の良い井戸の月を見つけた猿の言葉を採用した。
「村長さま!そんなもの・・月など世の中に二つとはございません!」
二番手の猿は必死に諫言したが、聴く耳持たぬ猿の村長は夜中に村中に号令を出した。
「今から人間が井戸で飼っている月を捕まえに行く。われと思わんもの、わしについて来い!」
村長はそう叫んで、雄猿たちを、たくさん連れて村から出ていった。
二番手の猿には「お前は留守をするが良い・・帰ってきてからお前の処分を決める。お前は猿の村の団結を乱したのだ。覚悟して待つが良い」と、言い残して・・

二番手の猿は「まあ、そのうちに、あきらめてみんな帰ってくるだろう・・」そう軽く考えていた。

さて、猿の村から雄猿ばかり10匹ほど、一生懸命に山を越え、谷を超え、最近、人間が住み始めた谷あいにやってきた。
月の光は神々しく、猿たちの前途を祝福しているかのようだ。
「皆のもの、これは、まさしく、我らの神の加護じゃ!勇んで戦おうではないか!」
猿の村長は夜間の行軍でそう皆を元気付けた。

「あれでございます」
あの、井戸の月を見つけた猿が、皆を案内して、ようやく農家のはずれの井戸についた。
上から見ると、井戸の中ではまさしく空の月と同じ月が飼われている。
一匹の猿が手を伸ばした。
けれども届かない。
別の一匹が小石を投げ込んだ。
そのとき、月はゆらゆらと揺れ、いったん左右に別れた後、またひとつの月に戻った。
「おお!」
雄猿たちは感動した。
「これは、空の月よりはるかに上等の月だ」
「この月は自由に形を変える事が出来るんだよ!」
「飛び散ってまた元に戻る・・これこそ、我らが求めていた月だ!」
口々に雄猿たちが言うのを猿の村長はさえぎった。
「良くわかった!これこそ我らの求めていた月である!この月を見つけた猿には次の村長になる権利を与えよう!」
すると、雄猿たちはまた、「おお!」と感嘆の声を上げた。
今や井戸の月を見つけた猿は、英雄なのだ。
「よし、人間に見つかる前に、我らの手であの月を捕まえるそ!」
英雄は既にこの場を制し、月を捕る方法を知恵をめぐらせて考える。
井戸の横に大きな楠があった。
一匹の猿がその楠にぶら下がって、その猿の手を次の一匹がつかんだ。
こうして、ぶら下がっていけば、いずれ月を捕まえることは出来るだろう。
井戸は人間が作ったもの・・ならば10匹の猿で届かないほど深くはないはずだ・・
猿たちは一生懸命に作戦を練り、それを実行した。
「おおい!何をしてるんだ!痛いよ!」
突然、楠が叫んだ。
「お前は黙っておけ!我らは今、猿が人間を追い越すところまで来ているのだ!」
「黙っておけも何も、夜中にいきなり人の枝にぶら下がるなんて・・痛いんだよ!折れてしまうよ!」
「うるさい!つべこべ言うと、人間の家から火を持ってきて焼き殺すぞ!」
「おお!怖いよ!猿さんたち、こんなに怖かったかい!」
「うるさい!黙れ!」
楠は黙ってしまったけれど、枝が折れそうで痛い・・うめき声を上げながらそれに耐えていた。
「もう一匹ぶら下がれるか!」
「なんとか・・行けそうです!」
枝にぶら下がっている猿も、既に7匹の重さを一身に受けていて、手がちぎれてしまいそうだった。
「もう一匹行けるか!」
「なんとか・・」
「下の猿!月に届いたか!」
「あと少し・・あとほんの少しです」
一番下になっている猿が声を張り上げる。
「私が行く!」
井戸の月を見つけた猿が、そう叫んだ。
これで村長以外は全て井戸の月を捕るためにぶら下がっていることになる。
「おお!月だ!」
一番下に行った井戸の月を見つけた猿は、狂喜の声を上げた。
「月に手が届いたか!」
村長は井戸を覗きこみ、声をかける。
「はい!」
井戸の月を見つけた猿は・・手を伸ばした。
水に手が触れた。
月は揺れて、掴めない。
揺れる月を捕まえようとするけれど、焦れば焦るほど、月はばらばらになって、水だけを手に感じている。
「ようし!」
井戸の月を見つけた猿は、身体を大きくひねって、月を一気に掬い取ろうとした。
「痛い!」手と手でぶら下がっているだけだから、上の猿になるほど重さを感じている。
「うるさい!」
一番下の、井戸の月を見つけた猿は、大きく身体を振った。
「いたーーい!」
叫んだのは楠だった。
井戸の月を見つけた猿の手が、水面深く入るそのとき、楠の枝がぽきりと折れた。
「ぎゃー!!」

哀れな猿たち・・
叫び声を上げながら、井戸の奥深くへ消えていった猿たちを見ていた猿の村長は我が目を疑った。
「月は・・月はどうなったのじゃ!」
そう叫んでから、猿たちが死んでしまったことに気がついた。
「村の雄猿たちは・・どうなってしまったのじゃ!」
叫んでも10匹の猿は戻らない。
「あーあ・・だから言ったのに・・」
楠は枝が折れてひりひりする痛みを堪えながら、一人つぶやいた。

そこへ、みなの帰りがあまりに遅いので、心配して二番手の猿がやってきた。
「村長どの・・月は捕れましたか?」
猿の村長は、呆然と立ち尽くしたまま・・「みんな、死んだわ・・」とつぶやいた。
「え?」
二番手の猿が、井戸の中を覗きこんでみると、井戸の中は猿の死骸で一杯になっていた。
「これは・・?」
二番手の猿が絶句して猿の村長を見る。
「月はここにはなかった。月は空にあるもの、それひとつしかなかったのじゃ・・」
猿の村長はそうつぶやいてから、泣き出した。

原典・・日蓮遺文「寿量品得意抄」から「摩訶僧祇律」

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