story・・小さな物語              那覇新一

小説・散文・詩などです。
那覇新一として故東淵修師主宰、近藤摩耶氏発行の「銀河詩手帖」に投稿することもあります。

播磨の浦島太郎

2009年01月27日 02時12分59秒 | 小説

はじめに
この作品はフィクションであり、時代背景や時代考証も無視して御伽噺として書き上げたものです。
なお、もっとも浦島太郎の物語がはっきりしているのは京都府の丹後地方であり、拙作品での播磨での話もまた完全な創作であります。

**********

雄略天皇二十二年ごろ・・
西暦に直すと478年というから、5世紀の終わりごろになる・・その頃の話だ。

場所は播磨、江井の海岸、季節は夏、時刻は深夜である。

弓なりに曲がったとはいっても、たかが数百メートルの砂浜に、多くの船が乗りつけた。
海岸は静かだ。
波の音だけが響き、半月の月明かり以外の明かりは何もない。
乗りつけた船からは大勢の人間が静かに浜へ飛び降りる。

その者たちは浜の先、緩やかな勾配を登ったところにある集落へ急ぎ足で向かう。
すべてが計画された行動のようだ。
向かった先、夜目には質素な竪穴式の建物が幾つか並んでいるのが見える。

やがて、悲鳴が上がる。
何かが崩れ落ちる様な音がする。
そこへ、いきなり火が飛んだ。

その火は住居の藁屋根に落ち、激しく燃え始める。
悲鳴が歓声に変わり、迫っていったものたちがあわてて浜へ引き返してくる。
粗末な布切れで身体を包んだ海からの侵略者たちは我勝ちに先ほど浜に乗り上げたばかりの船に戻る。
追うのは重厚な鎧に身を包んだ者たちだ。

火矢が乱れ飛ぶ。
逃げるものたちが必死の形相で船に乗り込む・・
乗り込む前に捉えられ、その場で斬られる者もいる。
燃え盛る炎で明るくなった海岸に、侵略者たちが倒れて動かなくなる。

1時間ほどの短い戦いであっただろうか・・
侵略者たちが去った砂浜に、数人の兵士が立ちすくみ、夜の海を見つめている。
「やはり、ここから攻めてきましたな」
中心の男に一人が声をかける。
「この度は、わしの勘が当たってよかった」
中心の男は、静かにそういうと、身体の向きを変え、まだ燃え盛る建物もある集落のほうへ向かった。
「隊長、どこへ行かれますか・」
「わしか、わしは寝る・・」
隊長と呼ばれたその男は、ぶっきらぼうにそう答える。
「こやつらの始末はどうしましょう」
男は部下の問いかけに、機嫌が悪そうに答える。
「日が昇ってからでよい」
「まだ生きているものもいますが」
「ほうっておけ、逃げたければ好きにさせるがいい・・もはや、まっとうに動くことも出来ぬであろう」
男は、構わず集落のほうへ歩き続ける。

翌朝、海岸では昨夜の戦いの掃除が行われていた。
侵略者たちの遺体を丘に上げ、大きな穴を掘ってそこに放り投げる。
土で埋め戻してからその上に簡単な祠を築くのである。
「女の遺体が多いな・・」
侵略者の残して行った遺体には何故か女が多かった。
「ユラは女も戦をするそうだ・・」
「女か・・そうと分かっていれば殺さずに遊べたものを・・」
兵士たちは雑談をしながらも黙々と作業をする。

部下たちの作業を淡々と見つめながら、男はまた砂浜に戻る。
海は凪いでいる。
天気の良い日は淡路の島がすぐ間近に見える。

ふっと、軽い浜風の向こうから猫の泣き声のような声がするのに気が付いた。
「なんだろう」
男は、ゆっくりとその方向へ向かう。
漁師の船が浜に留められているその影から声がするようだ。
「いやだ・・いやだ・・殺せ・・」
猫の声のように思えたそれは、今は明らかに人間の女の声に聞こえる。
「やれやれ、やってしまえ」
聞き覚えのある男の声もする。
それは彼の部下の声だった。
それも一人ではない。
複数だ。

船を回り込むと、そこに彼の部下が数名、何かを囲むかのように立っていた。
「どうしたのだ!」
彼は叫んだ。
「女です」
「女?」
「夕べのユラの、女の兵士のようです」
彼が割って入ると、そこには砂浜に寝転がされた女がいた。
「どうせ、ユラの女ですからね・・ちょっと遊んでからって思いましてね」
女はすでに衣服をはがされ、裸身をさらしている。
彼の部下が一人、女の上に乗りかかろうとしている。
「やめろ!」
彼は思わず叫んだ。
「隊長、ユラの女ですぜ・・」
女に乗りかかった男はそのまま、行為を続けようとする。
「やめろ!女だろ!逃がしてやれ!」
男はそういいながら剣を抜いた。
女に乗りかかろうとしていた彼の部下は驚いてその場を離れた。
「みな、持ち場へ帰れ!日のあるうちに村を元通りにするのだ!」
男は剣を振り回しながら叫ぶ。

部下が去ったその場所に男とその女が残された。
「早く殺せ、情けなどいらぬ・・」
女は彼をにらみつけ、唾を吐く。
「強がりを言うではない。女は戦には関わりがない・・動けるなら船を貸してやろう、さっさと仲間の元へ帰れ」
「情けはいらぬ、さっさと、慰み物にして殺せばよいだろう」
裸身を放り出したまま、女はふてぶてしく言う。
年の頃は二十歳を過ぎたくらいだろうか・・
「着物をつけろ」
男は女にはそういい、それから彼の別の部下を大声で呼んだ。
「船をもってこい!」
呼ばれた部下は訝しげに答えた。
「はい、しかし、何に使うのです」
「小さな船でよい、持ってきてくれ」
やがて部下は数人で小船を担いできた。

「乗れ!」
男は裸の女に船に乗るように指図した。
「ユラの女なら船くらいは自分で漕げるだろう・・さっさと仲間の元へ返れ」
女は彼を睨み付けながら首をを横に振る。
「乗れ、命ずる!さっさと帰れ!」
女はしぶしぶ足を引きずりながら、船に乗り込んだ。
「足を怪我しているのか・・」
「たいしたことはない」
女は少し、穏やかになった口調で答える。
襤褸をまとった裸身が朝の陽光に浮かび上がる。
「美しい・・」
彼はふっと、そう思った。

彼と彼の部下数人で船を浜から海へ押し出す。
女を乗せた船は行きつ戻りつしながらも、浜辺を離れる。

「どうして、あの女を助けたのですか?」
部下が恐る恐る尋ねたが、彼は無言だった。
さりとて、女が乗った船がゆっくり離れていくその海を見るではなく、さっさと丘のほうを見て「これでは、村人は今夜は、まとまって寝てもらうしかないな」と呟いた。

それから数日後のことだ。
男は、何ともなく、浜辺で海を見ていた。
海を見るのも、防人としての彼の仕事には違いない。
けれども、彼は仕事としてより、単に海を見るのが好きだった。

まもなく日が暮れる。
播磨灘に沈む夕日はことのほか美しい・・

もともとは男は大和の出身で名をミズノエノシマコという。
代々、防人の家系で、播磨に頻繁に出没するクマソやユラによる海賊への備えとしてこの地に赴任してきたのだった。

夕日が水平線にそのまま沈むときは翌日は安穏である・・
シマコはそのように信じていて、今も、夕日が沈む瞬間を見ようとしていた。
なにより、大和には海がなく、こうして海に沈む夕日を見ることが出来たのはこの地に赴任してきた意外な成果ではないかとまで彼は考えていた。

大きな太陽が水平線に近づく・・
だが、その水平線には日没寸前に雲がなびくように発生し、太陽は水平線に落ちる前に見えなくなってしまった。
「何か、嫌なことがありそうな・・」
彼の気持ちは不安になった。
海のはるか先、太陽の手前のような場所に芥子粒のような点が見えた。
彼の不安は少しずつ大きくなる。
「ユラか・・」
けれども、時間がたってもその芥子粒は一粒以上にはならず、そのままゆっくりと近づいてきているようだった。
「漁師の船だな」
彼はそう自分に言い聞かせ、海の彼方から目を離した。

「夕餉です」
彼の部下が知らせてくれた。
砂浜の先の松林で、男たちは篝火を焚いていた。
大きな鍋に米や魚、貝が一緒くたに煮られている。
彼は自ら椀を取り、鍋の中のものを掬って入れる。
「良い出汁が出ているな」
彼の周りの男たちも我勝ちに自分の椀に鍋のものを入れる。
「差し入れの酒です」
部下の一人が大きめの土瓶を持ち上げた。
「隊長、一杯どうです」
部下の男は彼に小皿を差し出す。
濁酒が注がれ、彼はうまそうに飲み干す。
「酒など久しぶりだな」
部下たちもそれぞれに酒を飲みながら、屈託なく隣のものと話などしている。
「この酒は・・江井の村のものからか」
「そうです。先だってのユラの襲撃から村を守ってくれた礼だということです」
礼など要らぬのに・・
彼はそう思ったが、酒は旨く、有難く頂戴する。

ユラがこの村を狙うであろうことは事前の情報で分かっていた。
播磨灘に面する主要な海岸はどこも防人が常駐しているし、この村の東西数キロは海岸段丘の絶壁が存在し、尋常な手段では崖を登ることが出来ない。
ただ、この江井の村だけは海岸段丘が崩れたような斜面にあり、要注意箇所であると彼は考えていたのだ。
しかし、国司の役人たちは、江井のような小さな村を狙っても、得るものは少ないだろうから、ユラもここには来ないだろうとタカをくくっていた。

あるいは、これだけヤマトの威光が各国に広まっても、いまだ、先祖代々からのユラとの付き合いを捨てきれぬ者たちがいるのは確かであり、そのように国司に信じ込ませたのはそれらのものたちの工作によるものかもしれなかった。

播磨の国司へ赴任の挨拶に行く途中、シマコはこの海岸を見て、とっさにここは危険だと判断し、国司に行くまでに存在する大中の別司に知らせたのだった。
別司の駐在は、それならそこに留まり、油断なきように警備することを彼に命じた。

江井の村は豊かだった。
海岸段丘の上は広大な田園地帯であり、災害が少なく、気候の良い土地柄であり、どこかのんびりした気風が村全体を覆っていた。
海も荒れることは少なく、魚はいくらでも獲れた。

ただ、別司のある玉津や大中から遠く、これまで余り注目されていない場所でもあったのだ。

昨年ごろからユラの活動が活発になってきた。
特に淡路や播磨、讃岐、吉備には度々侵略行為を繰り返していた。
それはもう、ヤマトの政権が確立されかかっている現在においては、ほとんど無駄な抵抗のように思えたが、船を自在に操り、海流の動きを知り尽くしている彼らは神出鬼没であり、ひとたび彼らに侵略されると、多大な犠牲と被害を出してしまうのだった。
ユラやクマソ、イズモと長年にわたり戦ってきたヤマトのオオキミは、その支配地域が広がるにつれ、かえって、ゲリラの侵略に頭を悩ませていたのだ。

シマコが江井に彼のささやかな軍勢を駐留させてしばらくは平穏な日々が続いた。
彼自身も平和に過ぎる時間を持て余し、部下とともに近くの荒地を開墾し、田畑に変えたりする作業をしていた。

ところが、村人からユラが来るかもしれないとの情報が届く。
それは、いわばタレコミだった。
村人の何人かは今も隠れてユラと交流を続けており、そんな一人が近隣のものに漏らした一言から、その村人はユラが来ると確信したようだった。

ユラと交流を断て、というのはヤマトの命令だったが、先祖代々からのものになるとそうも行かない。
ユラは南洋や大陸とのつながりも強く、交流を続けることはある意味では既得権のようなものでもあったのだ。

けれども、ユラはすでに疲弊していた。
勝ち目のないヤマトとの戦争は長引き、ユラは瀬戸内海東部からは締め出され、失地回復を狙っても、今度は九州に駐留するヤマトの軍勢との戦に、瀬戸内海西部からもまた、撤退間近の情勢だった。
南洋や大陸からの支援も望めず、いわば彼らは自暴自棄になり、瀬戸内海の小島を足がかりにゲリラ戦をようやく展開しているというのがこの頃の現実でもあったのだ。

食事を終え、当直のもの以外は竪穴式の小屋で眠りにつく。
今日は何事もなかった。
明日、何事もないとは言い切れない。

シマコは先ほど感じた不安を思い出し、ふっと立ち上がり、海岸へ向かう。
先だってのユラの襲撃のときより少し膨らんだ半月に照らされた播磨灘は凪いでいる。
月明かりが海面に反射する。

対岸の淡路、岩屋の海岸にも篝火が焚かれているのが見える。

不安ではあるが、夜の風が心地よく、彼はそのまま砂浜に座り込んだ。

「恐れ入りますが・・」
女の声がする。
「誰だ!」
「お静かに・・」
「誰だ・・・」シマコは少し声を落としてさらに問う。
「隊長殿とお見受けしました」
「姿を現せ・・」

声の主は彼の後ろから近づいてきた。
彼のいる場所より三歩ほど後ろに跪いているのが分かる。
「先日はお助け頂き、有難うございました」
女はそう言う。
「何のことだ」
「私は、先日、お助けいただいたものです・・」
シマコは月明かりに僅かに浮かび上がる女の顔を見た。
「あのときのユラの女か・・」
「ユラ族ではございませんが・・あのときの女です」
「ユラへ帰らなかったのか」
「ユラ族ではございません・・ユラ族に誘われたヤクのものです」
「ヤク?」
「はるか南洋の島のものです」
「南洋? リュウキュウのほうか」
「リュウキュウほど遠くはございませぬ・・大隈から船で一、二日というところでございましょうか」
「遠くだな」
「それほど遠くはござりませぬ・・海流に乗れば大隈までも七日のうちでございます」
女はあくまでも慇懃だった。
最初は警戒していたシマコだったが、わざわざ自分を訪ねてきた女に興味を持った。
「もっと近くへ来い」
「有難うございます」
女は彼の前に進み出て両手をついて彼に儀礼の態をとった。
「名はなんという・・」
「カメと申します」
「変な名だな」
「亀は長寿の証、変ではございません」
「なるほど」
「お願いがあってまいりました」
「何の願いだ。命を助けたのだからそれ以上の願いなどなかろう」
「あなた様なら話が分かっていただけると思ってまいりました」
女は顔を上げた。
月明かりに浮かび上がる顔は美しい。
カメはまっすぐにシマコを見据えた。
「願いとやらを聞いてみないと何とも言えぬ。とりあえず言ってみよ」
「はい・・」
カメは少し戸惑ったようだったが、やがて、姿勢を正してシマコの目をまっすぐに見つめた。
「あなたさまに、わがヤク族のところへお越しいただきたいのです」
シマコは一瞬、何を言われたか判断がつかなかった。
月明かりが海岸を照らしている。
「隊長! 何をなさっているのですか?」
部下の声が響く。
カメはぎょっとしたかのように後ろを振り向く。
「何もないぞ!邪魔するな!」
シマコが叫ぶ。
「なるほど、お邪魔しました!」
部下が少し笑いながら返事をする。
部下にはシマコが女と逢引しているかのように見えたのかもしれなかった。
「また、助けていただきました・・申し訳ございません」
女は深々と礼をする。
「どうか・・あなた様に我がヤクにお越しいただきたいのです」
女は先ほどの願いをまた繰り返す。
「馬鹿なことを言うではない。わしはヤマトの防人だ・・」
「分かっております。だからこそ、あなた様の血が欲しいのです・・」
「血?」
「わがヤクは度重なる戦で、優秀な男の血が絶えてしまいつつあります。今一度、ヤクを再興したいのです」
「男がいなくなったというのか」
「いえ、男はいますが、老人か子供ばかりです。力も知恵も、優しさもある優秀な男の血が欲しいのです」
「わしの知ったことではないし、それに、ヤマトのわしでなくても、ユラにもクマソにも立派な男がいるだろう」
「今、倭国をまとめ上げるのはヤマトをおいてほかにありません・・ヤマトの男が欲しいのです」
「馬鹿なことを言うな、防人どもを呼ぶぞ」
「どうしてもあなた様をお連れしたいのです」
「去れ!」
シマコは一瞬、手を挙げようとした。
仲間を呼ぼうとしたのだ。
そのとき、カメがさっと手を挙げた。
次の瞬間、シマコは黒づくめの者達に囲まれた。
「しまった・・」
彼が声を上げようとしたそのとき、彼の後ろへ回り込んだ者が彼の口を布で覆った。
布には何か薬草の汁が塗ってあったらしい。
彼はもがいて抵抗したが、すぐに気を失っておとなしくなった。
カメが腕に巻いていた飾りが、シマコの抵抗のさい、外れて落ちた。

すぐに、静かに、一艘の小船が沖へ繰り出していく。
音も立てず、波を上手に操りながら月明かりの海へあっという間に去っていく。

「あ!」
シマコの部下が沖へ出る船の存在に気付いて走りよってきたときには、もはや船は呼んでも届かない沖合いまで去ってしまった後だった。
「隊長!」
部下たちは驚いて海岸に集まる。
何人かは船を漕ぎ出そうとしたが、すぐに止めるものがあった。
「無駄だ・・あれでは鯱にでも乗らぬ限り、追いつけぬ・・」

「これは・・」
誰かが砂浜に落ちていた石を繫いだ飾りのような物を見つけた。
「石か・・」
「いや・・これは珊瑚ではないか・・」
「珊瑚?」
「南洋の海の生き物だ・・美しい石になる・・」
「南洋の石か・・」
「リュウキュウあたりのものではないか・・」
男たちはそれぞれにその不思議な飾りを覗き込んだ。
「隊長は・・」
「リュウキュウに連れられていったのかも知れぬ」
「リュウキュウから人さらいが来たのか」
「いや、ユラではないか・・」
「ユラがリュウキュウへ隊長を連れて行ったのか・・」
まだほかに何か遺留物がないか・・彼らは波打ち際を捜し歩いた。
ちょうど、海亀が一匹、産卵のために砂浜に来ていた以外は・・何も見つけることが出来なかった。

船は凪いだ海をゆっくりと進んでいた。
海流に乗っているようで、人が漕がずとも船は進む。
やや膨らんだ半月の明かりの中、青い光に照らされ、船が進む。

船に寝かされていたシマコが目を開いた。
「お目覚めですか・・」
シマコの顔を女が覗き込んでいる。
「ここはどこだ・・」
「船の上です。今からイエの島へ寄り、大きな船に乗り換えます」
彼らが乗っている船は大きな木を刳り貫いて作ったもののようで、それでも彼ら二人のほかに四人は乗っているようだった。
「わしをどこへ連れて行くのだ」
「申し上げたではございませんか、ヤクの国です」
「いやだ、そんな遠くへ行ったならもはや大和には帰れぬであろう」
「機会があればまたお戻りになることも出来るかも知れません。でも・・」
「でも?」
「帰ろうというお気持ちは持たれないほうがよろしいかと存じます。それに、私どもは決してあなた様にご不便をおかけするようなことはございませぬ」
「大和へ帰れぬのが不便だろう」
シマコはなんだか悟ったような気持ちになっていた。
「あなた様にもご家族がおありだと言うことは分かっております。そのことのお気持ちを察するに申し訳ないとしかいえませぬ」
「家族か・・都に弟が一人いる以外はない・・」
「しばらくはお会いできませぬ・・」

女はそういうと、彼に自分の身体を寄せてきた。
女の身体の柔らかい感触・・彼は戸惑った。
狭い船の上で、周囲には他のものもいる。
「やめろ・・他のものが見ている」
「かまいませぬ・・」
女は彼に口づけをした。
周りのものたちは何も言わずに時折櫓を漕いでいる。
凪いでいるとはいえ、船は波に玩ばれるかのように大きく揺れる。

しばらくしてイエの島に着いた。
播磨灘の中ほどに浮かぶ小島だ。
入り江の奥の浜辺には篝火が焚かれ、多くの人が立ち働いていた。
シマコが見たこともない大きな船が浜辺に上げられている。
「大きな船だ・・」
シマコは思わず感嘆の声を漏らした。
「この船は我らがヤクのものです。二十人ほどが乗り込み、櫓を漕ぎ、帆に風を受けて十日ほどの旅なら難なくこなすことが出来ます」
「十日も旅が出来るのか・・このようなものは見たこともない」
「魏の国や高句麗、リュウキュウや越の国までも往来することが出来ます」
「このようなものを持っているヤクとやらが、なぜわしを連れて行こうとするのか・・」
「言ったではありませんか・・ヤマトの優しく、強く、賢い男の血が欲しいと」
「だが、ヤマトにはこれほどの船を作れるものはいない」
「この船は・・」
カメは言葉を濁した。
「この船はどうだというのだ」
「この船は、まだヤクに強く賢い男たちがいた頃に造り上げた船です・・いわば、その男たちの置き土産です」
「その、強く賢い男たちはどうしたのだ」
「薩摩との戦で大敗し、大方がその戦で死に果てました」
「薩摩がヤクとやらに攻め込んできたのか?」
「いえ、クマソが薩摩のヤマトに攻められ、ユラとヤクとでクマソの支援をしていたのです」
「なるほど」

南九州でヤマトがクマソに打ち勝ったという話は彼も聞いたことがあった。
しかし、それならそれで防人である彼にはふに落ちないこともある。
「いくら戦でも、自分の国を守るべき兵士は残しておくものだろう」
「もはや、クマソにとっても最後の戦という意味合いが強かったのです。クマソが落ちれば我らもまたヤマトの支配下になってしまいます」
「では、負けたときのことは考えないで男をすべて戦に出したというのか」
「ヤクの女は男以上に戦をします。自国を守るのは女と、引退した老人の仕事です」
「老人以外の男はいないのか・・」
「子供もおりますが、男は十三になると戦に出ます。ですので、今の子供たちが成人するにはまだまだ時間がかかるのです」
篝火が焚かれ、昼間のように明るい砂浜では他にも大きな船が引き上げられていた。
「ユラも、もう、撤退するのです。リュウキュウを頼って倭国を捨てるのです」
カメが他の船を指差す。
よく見ると、立ち働いているのはほとんどが女だった。
「ユラにも男が少なくなったというわけか」
シマコは訊ねた。
「そうです。だから、もう、これ以上は激しい戦は出来ませぬ・・ユラもクマソも・・もはやヤマトには勝てないと悟ったのです」
そう言ったかと思うと、周囲のものに声を上げた。
「すぐに出航する!準備は良いか!」
黒すくめの者たちも威勢良く返事をする。
シマコが男だとばかり思っていたそのものたちはみな、女の声で返事をした。

その夜のうちに、ヤクの大型船は瀬戸内海へ漕ぎ出した。
帆を張り、櫓を漕ぎ、舟は滑るように海を進んでいく。
ヤマトに見つからぬよう、篝火は焚かず、月明かりを頼りに揺れながら進む。

「船酔いにはなりませぬか・・」
カメが自らも櫓を持ちながらシマコに訊ねた。
「船は酔うことがあるのか」
「慣れぬものが乗ると、時として激しい酔いに襲われることがあります。もっとも、二日ほど辛抱していただければ慣れますが・・」
「わしは、まだ酔わぬぞ」
「でしたら、あなた様は船に身体が合っているのでしょう・・ヤクにお越しになる方としては適任でございます」
カメはそういって笑った。
「櫓はもう良い・・舵をしっかり守れ・・」
漕いでいるものたちにそう叫んで、立ち上がった。
「こちらへどうぞ」
カメはシマコを船の奥へ誘った。
そこには雨風をよける囲いがしてあった。
「ヤクの酒でございます・・お召し上がりください」
彼女は椀に酒を入れてシマコに差し出す。
「お疲れでございましょう・・しばし、お休みくだされ」
シマコは頷いてその椀に入った酒を口にした。
それは彼が飲みなれている濁酒とは明らかに種類が違う、強い酒だった。
「強い酒だ」
シマコは危うく吐き出しそうになりながらも、その酒を喉に流し込んだ。
身体の芯が一気に燃え上がるような気持ちの高ぶりを覚えた。
「わたしを、抱いてください・・」
カメは彼の耳元でささやくと、身体を寄せてきた。
シマコは本能の赴くままに、カメの身体を抱き寄せる。
「カメどのも変わっている・・」
他の女が喋る声が聞こえる。
「ヤマトの男をわざわざ連れ帰るのだからね・・」
別の女の声がする。
カメは、ちょっとおどけたような声で応える。
「この男は、わがヤクの宝になるのだからね!」
女たちはどよめき、ささやきあい、笑う。
「カメ、その男はあんたのものにするのかい?」
カメは楽しげに応じる。
「違うよ!姫様に会っていただいた上で・・あとはこの男に楽しんでもらうのさ・・あんた達も、せいぜい、この男の歓心を買うように努力しなよ」
女たちが一斉に笑う。
シマコは「案外、悪いことではないような気がする」と考え始めた。
カメが彼に頬を寄せる。
シマコは女たちが前を向いて座っているその少し後ろ、簡単な囲いの中ででカメとの行為を楽しんでいく。

好天に恵まれた瀬戸内海を、船は軽快に進んでいく。
女たちは巧みな操船術を心得ているようだ。
やがて、七日ほどして船は高い山のある大きな島に着いた。

その島には鬱蒼とした森があり、シマコが見たこともない昆虫や動物が自由に歩き回り、飛びまわっていた。
湿気が多く、島全体が水蒸気で覆われているかのようだ。
浜から少し進み、森を入ったところにいくつもの立派な建物があった。
「ヤクの都です」
カメがシマコに教える。
「ここの王はどんな人物なのか」
「王は女です。オトという・・」
「オト?オト王か」
「オト姫と・・みなは言っておりますが・・」
「オト姫か・・」
ヤマトの都でもこれほどの建物は滅多にない。
まだ、庶民の家は竪穴式住居の時代である。
木材をふんだんに使い、贅を凝らしたその建築物を見ていると、ヤマトの者たちが「自分たちこそもっとも偉大で文化的である」と誇っていることが嘘だったのだと・・彼は思った。

もっとも奥の建物の入り口には兵士の格好をした女が何人も立っていた。
女たちはカメの姿を見ると感極まったように泣き出す。
「カメどの・・よくご無事で・・」
「心配かけた・・申し訳ない・・」
カメは挨拶を返しながらシマコを連れて奥へ進む。

オト姫はカメより十歳位は年上に見える、非常に美しい女だった。
ヤマトの高位の女が着るような衣服を着て、何人もの警備の者たちを横においてカメとその後ろに端座するシマコに目通りをする。
「カメ、よく帰ってきてくれた・・男たちが去ってしまい、お前までも居なくなれば私はどんなに心細かったか・・帰って来てくれた事を感謝する」
「有難うございます。しかし、姫様・・このたびの戦ではついにユラも倭国から逃げ出すことになってしまいました」
「仕方あるまい・・それも時の流れ、われら人間は流れには逆らえぬ・・」
「ユラはリュウキュウを頼るそうです」
「もとはリュウキュウとユラは親戚同士のようなもの・・それがもっとも良い方向かも知れぬ・・」
そこまで話をしてオト姫はふと、カメの後ろに座っているシマコを見た。
「この男は・・」
カメが答える。
「シマコと申します。ヤマトの男で、優しく、賢く、強い男です。わがヤクのために、私が無理やり連れてまいりました」
「ほう・・」オト姫は感嘆したような声を上げた。
「無理やりか・・」
「はい、せめてこのたびの戦の土産として・・」
「人間の土産か・・」
「この男の血で、ヤクを再興しようではありませんか」
「このものの血でか・・」
「ヤマトの人としては、なかなか得難い人物であるように思いました」
「人物は良いのか・・それでは、男のほうはどうか」
「なかなかのものでございましょう」
「試したか?」
「はい・・」
物怖じせず、カメは平然と応える。
オト姫は少し頬を赤らめながらシマコのほうを見つめた。
「シマコどの」
柔らかい声でオト姫はシマコに声をかける。
「ミズノエノシマコでございます」
「無理につれてこられたそうだが・・ヤマトには帰りたくないか?」
意外な質問にシマコは緊張を和らげる。
「それは、帰りとうございます・・」
「妻や子はあるのか・・」
「ございませぬ・・身内といえば都に弟が一人いるだけでございます」
「弟とやらには会えぬが・・ここでは不自由はさせぬ・・良い思いをさせよう・・約束する・・」
「は・・」
「堅くならないでくれ・・すぐに食事を用意する・・」

彼はすぐに宴の主賓となった。
オト姫の周りはほとんどが女ばかりで、その女たちがまた美しい。
男は老人と子供ばかりである。

女たちが久々に見る若い男に刺激されるのか、上気した表情で次々の彼の前に姿を現し、彼の気を惹こうとする。
オト姫もカメもその場に居ながら、そのものたちを叱るでもなく、にこやかに笑っている。
出される食事は海や山の珍物をこれでもかと並べた豪勢なものばかりで、あの強い酒はいくらでも注がれる。
女たちの艶冶な踊りや、老人たちの見事な笛の音色もだんだん遠くにあるもののように思えてくる。
「もしかして、これは、わしとオト姫の婚姻ではないのか・・」
シマコはそう考えたが、やがて酔いが回り、どうにも思考力がなくなってきた。
長旅の疲れも出たのかもしれない。

彼が深く酔っているのを見てカメは彼に耳打ちした。
「姫様と奥へ・・」
彼は言われるまま、オト姫についていった。
そこはこの世のものとは思えぬ豪勢で、立派な寝室だった。
「きれいな部屋だ」
シマコは思わずつぶやく。
「きれいなのは部屋だけですか?」
オト姫が悪戯っぽく笑う。
「いや、あなたは本当に美しい・・」
オト姫は赤らんだ顔をさらに赤くする。
「カメどのとどちらが美しいですか・」
「カメどのも美しい・・でも、今は姫様が美しい・・」
オト姫はシマコの肩にしなやかな手を伸ばす。
野にある雑草のようなカメの肉体も彼には素晴らしいものに思えたが、ここでのオト姫の身体はまさに高貴な女が持つ独特の香りと気品を備えていた。
しかも、彼女は、男がどうすればより能力を発揮できるか心得ているようで、シマコにとっては夢のような快楽の時間の始まりだった。

やがて、シマコはヤクの国の兵士たちのまとめ役として活躍することになる。
彼は、若い女や少年を戦で使えるように徹底的に訓練をした。
そして、ヤクの国は徐々に国力を高めて行ったのである。

ただ、彼にとって不思議だったのは、彼はオト姫やカメの夫として束縛されることもなく、むしろ自由に島の女と寝ることを勧められたことだ。
やがて、シマコの子供が大勢、それもいろいろな女を母として生まれてきたのだ。
この子供たちはみな、頭も良く、武芸にも熱心に取り組み、数十年後にはヤクの国の中心的存在として活躍していく。
シマコは倭国へ帰るのは諦め、この島で九十歳近くまで長生きをした。

時は流れる。
大陸での政変は相次ぎ、かつて倭国と呼ばれた日本は、その間に独自の高等な国家を築き上げ、東アジアに君臨するようになる。
ヤクの国も薩摩から猛烈な攻撃を受け、これに対抗して大規模な戦闘に入りかけたが「男がみな死に絶えるような戦をしてはならない」というオト姫が残した掟に従い、薩摩の支配下に入ることで住民の安全を図った。
日本に統治されてからは、あの鑑真僧正が日本へ来航する際に立ち寄ったり、吉備真備が唐へわたる際にこの島を経由したりしている。
その後、ヤクの国は京、近衛家の荘園として支配されることになる。

京に都が移って三十年程・・
かの空海や最澄が活躍していた時代のこと・・
荘園主の近衛家へ、一度ヤクからも責任者が伺うべしという意見が出された。
太郎というシマコから数えてちょうど十代あとの子孫であり、島の代官を任されているものが都へ挨拶に行くことになった。
島を再興した「シマコ」の話は島では伝説として大切に語り継がれてきていた。

太郎たちを乗せた船は海流に乗り、瀬戸内海ではなく日本海側を進んでいく。
丹後の国の海岸に到着した彼らは、地元の警備兵や住民の注目を集めた。
「われらは怪しいものではござらぬ・・わしの先祖はヤマトの防人であった・・いわば今から三百年ほど前に日本を出て以来の里帰りなのだ」
彼は物々しく出迎えた警備兵にそう説明した。
世間には「三百年前に異国へ渡ったものが帰ってきた」と流布された。

都で時の天子、御簾の向こうの淳和天皇に謁した太郎は小さな箱を差し出した。
「わが祖先であり、倭の国の防人であったシマコの遺骨を携えてまいりました。ぜひに、この都あたりで倭国の土に帰してやりとうございます。
天長二年、西暦に直すと823年、ミズノエノシマコが倭国を去ってから三百四十五年、シマコの遺骨は日本の地を踏んだのだ。
シマコの弟の子孫、水之江のものが、遺骨が最初に日本の地を踏んだ土地、丹後の国に、遺骨を祭神とした神社を造り上げた。

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