story・・小さな物語              那覇新一

小説・散文・詩などです。
那覇新一として故東淵修師主宰、近藤摩耶氏発行の「銀河詩手帖」に投稿することもあります。

九月の声

2018年09月02日 14時14分58秒 | 詩・散文

明け方の月遠望


猛暑だった八月が終わり、神戸では今朝の気温が22度台となった。
殆ど二か月ぶりのことだ。

一昼夜勤務を終え、都会ゆえに晴れても見える星の数えるほどしかない明け方の道を歩きながら、僕は九月の予定を頭の中で確認していた。

まず、自分が主催する大きな呑み会がある。
台風が来ているが、その前々日に当地を通過する様子で、よほどの被害がない限り問題はないだろう。

知り合いのカメラマンの個展もある。
参加できるかどうかはともかくとして趣味としている鉄道会社やバス事業者のイベントもある。
そういえば居住している団地の建て替えに伴う説明会があったはずだ・・・

会社から自宅までは徒歩で三十分ちょうどだ。
途中、飲料の自販機が見え、ちょっとホッとしたくなって立ち止まった。
幸い、好きな飲み物がある。

缶を開けるとトマトの香りが漂う。
くいっと喉を鳴らして、ほど良い冷たさの少し抑え気味のトマトジュースを味わう。

そうだ・・

まだ開けない暗い空を見上げて、弱々しくやっと光りを放つ星を探しながら思いだした。

今月、あの人の赤ちゃんが生まれる・・・

いつもお世話になっている、さるチームリーダーである女性だ。
頑張り屋さんで、明るくて、だれからも好かれる素敵な人。
どんな困難もきちんと乗り越えていける人。

恋愛という感情ではないと思う。
信頼というのだろうか、共感というのだろうか、不思議な出会いがあってもう何年になるだろう。

その女性がわざわざ苦労する道を選んだ。
本当はもっと楽で、穏やかな生き方もあるはずなのに・・そのことが彼女らしいというか、でも非常に心配もしている自分がある。

美しい人で、何度も快く僕の被写体にもなってくれた人だ。
彼女のおかげで僕は今でもかつての職業だったポートレートカメラマンであることを思い出せるのかもしれない。

彼女は自分でほとんど決めてから「報告がある」と言われて二人で会った時、それが「報告」であり「相談」ではないこと、そして僕もまた、その「報告」を肯定した一人であることがつい数か月前のことなのに懐かしく思い返される。

本当はずいぶん苦しんだと思うその結論を出してから、彼女は一人になり(もうすぐ生まれてくる子があるから二人にはなるのだけれど)たぶん、周りにはずいぶん能天気に見せかけて必死に生きているんだろう。

一人で赤ちゃんを産んで、そしてそのあとも自分で自身や赤子を守るしかない選択・・それを誰かに頼るわけでもなく自分で切り開いていく。
女性は強いと思う。
本来、母は強いものだということを改めて思う。

先々月にお会いした時、彼女のお腹はもうずいぶん大きくなっていた。
「食べすぎやねん~~ほとんど自分のぶんかも」
そういって屈託なく笑う彼女の、まもなく誕生する命。

見たいなぁ、会いたいなぁと思う。
新しい命に。
それが彼女という女性の子であるそれだけで、たぶん僕には可愛くて仕方がないだろうと思う。

九月かぁ・・
歌の世界では寂しさの漂う月でもあるが、猛烈な夏に辟易している僕には、なにか優しい風が吹いてきそうな気がするのだ。

え・・?
「もしかしてお前はあの人に惚れているのか」
意地悪な星が問いかける。

「そうかもしれんが、そんなことは・・どうでもいいこと」
「惚れっぽいお前だからな、わからんぞ」
「ちょうどいい距離感があってこそ成り立つ想いもあるんだよ」
星にそう教えてやり、でも「会いたいなぁ」と呟く。
お腹の大きな貴女にも会いたいし、赤ちゃんを抱っこしている貴女にも・・

飲み干した缶を空き缶入れに入れ、僕は「あと15分」と、歩き始めた。

それにしても涼しい風だ。
どこからか元気の良い赤ちゃんの声が聞こえる気がする。


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