言の葉綴り

私なりの心に残る言の葉を綴ります。

「失われた時を求めて」の世界④

2016-08-08 08:04:41 | 言の葉綴り
言の葉11の④「失われた時を求めて」の世界④

日経新聞 2013.4.7 (日)朝刊
美の美より抜粋

抜粋その1
「失われた時を求めて」は主人公の「私」が生きる狭い世界の物語だ。だが平凡な日常を見つめる作家のまなざしの深度が、豊かな世界を切り開いていく。

(略)小説をしばし離れて、プルーストが18世紀フランスの画家シャルダンを論じた文章に寄り道してみたい。芸術が好きな貧しい青年に向けて書いたという設定の美術エッセーの中で、プルーストはこの画家のいくつも絵に触れている。まずそのうちのひとつ、食卓の風景を描いた「食前の祈り」を見てみよう。
テーブルに食器を置く母親の優しいしぐさや祈る子供の手の愛らしさもさることながら、食卓布の温かな風合い、そこに載ったナイフの重み、床に置かれた火鉢の存在感に心をつかまれる。だが仮に私たちがこの空間にいたとして、こんな変哲のない日用品を美しいなどと思うだろうか。プルーストはいう。「こういったものすべてが、今あなたに、見て美しいものと思われるとすれば、それはシャルダンが、それらを描いて美しいものであることを見いだしたからなんだよ」(栗津則雄訳)。美しいと感じるのは、それを先に美しいと発見した人がいたからだと作家は言うのである。
絵とは不思議なものだ。完成されたものとして私たちの前にあるにもかかわらず、すぐにすべてを見せてくれない。美は常に、徐々にしか姿を現さないのである。「プルーストもシャルダンの絵の前に立ってただちにその良さが理解できたわけではありません。時間をかけて、自分で見分けのつかなかったものを少しずつ見いだしていったのです」。仏文学者の穂刈瑞穂氏がそう説明してくれた。



作家がいかに集中してつぶさに絵を見ていたか、彼のエッセーからひしひしと伝わってくる。シャルダンの「赤えい」を言葉で説明するくだりには、プルーストの「見る力」のすごみがみなぎっている。「えいが開かれていて、その繊細で壮大な建築構造に感嘆することが出来る、赤い血や青い神経や白い筋肉などにいろどられていて、多色装飾の大聖堂の内陣といったところさ」
プルーストは描かれたエイの腹を長い時間見つめて、そこから大聖堂のイメージを引き出した。画家が丹念に描いたのと同じだけ、見る側も丹念に眺めれば、絵は多くのものを返してくる。(略)




抜粋その2
プルーストの父の故郷であるイリエ=コンブレーは、パリから南西に100キロほどのところにある小さな町だ。列車は麦畑が広がる単調な風景の中を走り、やがて屋根のないプラットホームに着いた。素っ気ない駅舎に、駅名を記した小さな札がついている。
人通りのない静まり返った道を歩いていると小さな小川に出た。小説では、川のそばの池のあちこちに睡蓮が咲いているとある。プルーストはその様を「ほどけた花環」や「水の花壇に羽を休めにきたチョウ」など美しい比喩をちりばめて描写した。
睡蓮といえばモネ。光が揺れ動く一瞬を画布に描きとめたこの同時代の画家を、作家は高く評価した。「それらの色ひとつひとつが、われわれの記憶のなかに過去のさまざまな印象を呼び出すのであって、(略)われわれの想像力のなかにひとつの風景を築きあげる」





エッセーにあるこの一文は「失われた時を求めて」のなかで最も有名な場面を思い起こさせる。
主人公の「私」が大人になったある冬のこと。熱い紅茶に浸したマドレーヌを口に含んだ瞬間、少年時代を過ごしたコンブレーの風景が、花が開くように心の中によみがえる。マドレーヌは主人公が子供のころ、コンブレーで暮らすおばのレオニが食べさせてくれたお菓子だった。思いがけない記憶の噴出とともに、主人公は幸福感に満たされる。知性ではなく感覚によって豊かなものに触れるというプルーストの思想が典型的に表れた一節だ。(略)



キース・ウァン・ドンゲン 「マドレーヌ」スワン家の方へ1




抜粋その3
「失われた時を求めて」は波瀾万丈の物語ではない。主人公が自分の生きた時間の細部を思い出していき、最後に「自分を主題とする小説を書く」ことを人生の目的として見出す。この作品はすぐには真価を認められなかった。だがそれから100年たった今、この小説の価値を疑う者はいない。
最後に1枚の絵を見ておこう。プルーストが好んだルノワール。オルセー美術館にかかる「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏場」は名は明示されないが、それとおぼしき絵が作中に登場する。作家は「ルノワールが大芸術家として崇められるには多くの時間が必要だった」と書き、続けてこう記す。「独創的な芸術家は、目医者のようにふるまうのだ。(略)治療が終わると、医者は私たちに言う、『さあ、見てごらんなさい』と。するとたちまち世界は(略)、以前の世界とはまったく違ったものとして、だがきわめて明快な世界として私たちの前に出現する」(第2編「ゲルマントの方」)





平凡な人生の背後に豊かな感情のドラマがあり、日々の暮らしの風景の中に美が息づいている。そのことに気づけば、私たちは新しい気持ちで自分の人生に向き合える。ささやかだが尊いことを教えてくれるところに、「失われた時を求めて」という小説のたぐいまれな力があるのだろう。

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