言の葉15柳田国男の「遠野物語」②
抜粋その1 吉本隆明全著作集11「共同幻想論」
憑人論より
うたて此世はをぐらきを
何しにわれはさめつらん、
いざ今いち度かへらばや、
うつくしかりし夢の世に、
(松岡国男「夕ぐれに眠のさめし
時」)
柳田国男は、まだ新体詩人であったとき一篇の詩としてこれをかきとめている。雑誌『国民之友』に拠るこの年少詩人は、日夏耿之介の評論をかりれば国木田独歩に推称される詩才をもちながら「その後の精進の迹を見せずに自分の学問的本道へ進んでしまった。」人物であった。
しかし柳田の学的な体系は、はたしてこういう詩からの転進だったのかどうかわからない。
「夕ぐれに眠のさめし時」とは柳田の心性を象徴するかのようにおもえる。かれの心性は民俗学にはいっても晨に〈眠〉がさめて真昼の日なかで活動するというようなものではなかった。夕ぐれに〈眠〉からさめたときの薄暮のなかを、くりかえし徴候をもとめてさ迷い歩くのににていた。〈眠〉からさめたときはあたりが薄暗かったので、ふたたび〈眠〉に入りたいという少年の願望のようなものが、かれの民俗学への没入の仕方をよく象徴している。
柳田の民俗学は「いざ今いち度かへらばや、うつくしかりし夢の世に、」という情念の流れのままに探索をひろげていったようである。夕べの〈眠〉から身を起して薄暗い民譚に論理的な解析をくわえるために立ちどまることはなかった。その学的な体系は、ちょうど夕ぐれの薄暗がりに覚醒とも睡眠ともつかぬ入眠幻覚がたどる流れににていた。そして、じじつ、柳田が最初に『遠野物語』によって強く執着したのは、村民のあいだを流れる薄暮の感性がつくりだした共同幻想であった。わたしは、この共同幻想の位相がなにかをかんがえるまえに、柳田が少年時にじぶんの資質にくわえた回想的な挿話に立ちどまってみたい。
柳田は『山の人生』のなかで少年時の二、三の体験をあげて空想性の強く資質の世界を描いている。そのなかの一つ、
それから又三四年の後、母と弟と
二人茸狩に行ったことがある。遠
くから常に見て居る小山であった
が、山の向ふの谷に淋しい池があ
って、暫く其岸に下りて休んだ。
夕日になってから再び茸をさがし
ながら、同じ山を越えて元登った
山の口へ来たと思ったら、どんな
風にあるいたものか、又々同じ淋
しい池の岸に戻って来てしまった
のである。其時も茫としたような
気がしたか、えらい声で母親がど
なるので忽ち普通の心持になった
。此時の私がもし一人あったら、
恐らくは亦一つの神隠しの例を残
したことと思って居る。
(「九 神隠しに遭ひ易き気質あ
るかと思ふ事」より)
ここで「それから三、四年の後」というのは、筋向かいの家にもらい湯にいった帰りに屈強に男に引抱えられてさらわれそうな恐怖の体験をしてから三、四年後ということである。これは三つほどあげてある柳田の少年時の入眠幻覚のひとつだが、柳田がもっていたこの資質の世界はかれの学にとって重要なものであった。このつよい少年時の入眠幻覚の体験者が『遠野物語』の語り手であるおなじ資質の佐々木鏡石と共鳴したとき日本民俗学の発祥の拠典である『遠野物語』ができあがったといえるからである。
(略)
いま、これらの入眠幻覚の構造的な志向を〈憑く〉という位相でながめれば、柳田国男の描いている少年時の体験は、〈自己行動〉に憑くという状態であり…(略)
柳田国男は『遠野物語』のなかで〈予兆〉の話を存外に多く書きとめている。いずれもにたりよったりのものだが、柳田にとって〈予兆〉の問題がいかに比重がおおきかったかを問わず語りにうつしだしている。
柳田が自身を神隠しにあいやすい気質の少年だったと述べている位相からは、〈予兆〉譚はいわば構造的な指向性がいくぶん高度化したものを意味している。
柳田の描いている入眠幻覚の体験は、もうろう状態で自己の行動になってあらわれる幻覚を意味している。〈予兆〉譚は行動としての構造をうしなっても、心的な体験としては、はっきりと自己以外の他なる対象を借定している。ここでは関係意識がはじめて心的な体験の構造に参加するために登場する。いま、いくつかの例を『遠野物語』からえらびだしてみる。
(1)或る男が奥山に入って茸を
採 るため、小屋掛けをして住ん
でいたが、深夜に遠い処で女の叫
び声がした。里へ帰ってみると同
じ夜の同じ時刻に自分の妹がその
息子に殺されていた。
(2)村の或る男が町からの帰り
がけに見なれない二人の物思わ
しげな娘に出遭った。どこから
どこへ行くのかと問うと山口の
孫左衛門のところから何某のと
ころへ行くのだと答えた。さて
は孫左衛門の家に凶事があるな
と感じたが、ほどなく孫左衛門
一家は主従二十幾人毒茸にあた
って死に、ひとり残った女の子
も老いて子無くして死んだ。
(略)
(4)遠野の町に芳公馬鹿という
白痴がいた。此男は往来をある
きながら急に立ち留り、石など
を拾ってあたりの人家に投げつ
けて火事だと叫けぶことがあっ
た。こうすると其晩か次の日に
ものを投げつけられた家は必ず
火事になった。
(5)柏崎の孫太郎という男は
以前発狂して喪心状態になった
男だが、或る日山に入って山神
から術を得た後は、人の心中を
読むようになった。その占い法
は頼みにくる人と世間話をして
いるうちに、その人の顔をみず
に心に浮かんだことを云うのだ
が、当たらずということはなか
った。(『遠野物語』一〇、一
ハ、九六、一〇ハ)
〈予兆〉が、しだいに具象的な幻想をとおり、一人物の自己幻覚にまで結晶するさまがわかるように引用してみた。
『遠野物語』のこの種の〈予兆〉譚の特質は、たんに、嘘か真かとか、なぜ、どうしてとかいう問いかけがけっして発せられないように書き留められている点にあるのではない。この種の〈予兆〉譚の背後にかならず存在する入眠幻覚に類する心的な体験が、ついにたれのものかわからないように話の総体にふりわけられているという点にあるのだ。これは、終りに引用した芳公馬鹿や孫太郎という遠感能力者のばあいの話でもかわらない。遠感能力をもっているのは芳公馬鹿や孫太郎という男だということは書かれているが、芳公馬鹿や孫太郎の所有する遠感能力は、いわば共同能力であるかのような位相で話は書きとめられている。
かれらは白痴であり、あるいは以前てんかん症候をおこしたことのある男だとされているが、少しも〈異常〉な個人とは感じられていない。
(略)
『遠野物語』のふつうの村民の〈予兆〉譚を、もし精神病理現象としてかんがえようとすれば、、個体の精神病理と共同的な精神病理とが逆立ちの契機なしに斜めに結びつくような特異な関係概念をみちびき入れることが必要である。柳田の学的な体系は、この特異な関係概念を導くのに失敗している。
(略)
民俗譚のもっている個体の幻想性から共同幻想への特異な架橋の構造を考察するについては、ほとんどなすすべを知らなかったということができる。
たとえば、『遠野物語』のなかに、つぎのような骨子をもった〈狐化け〉の話が描かれている。
旅人が遠野在の村を夜更に過ぎ
た。疲れていたので知合の家に燈
火がみえるのを幸いに休息させて
くれとたのんだ。主人はちょうど
いいときに来てくれた、今夕死人
があったので人を呼びに出かけた
いとおもっていたところなので留
守を頼みたいといって出ていった
。死人は老人で奥の方に寝かせて
あったが、旅人がふとみると床の
上にむくむくと起直った。肝をつ
ぶしたが心をしずめてあたりを見
まわすと、流し元の水口の穴から
狐のようなものが面をさしいれて
死人の方をみていた。背戸の方に
まわってみると正しく狐で流し元
の穴に首をいれていたのであり合
せの棒でこれを打ち殺した。
(『遠野物語』一〇一)
ここでは旅人の幻覚のなかで狐は人を〈化かす〉が、けっして人に〈憑か〉ない。〈化かす〉という概念は民俗譚のはんいにあるが、〈憑く〉という概念は不文明とはいえ個体と共同体の幻想性の分離の意識をふくむものである。そこでは巫覡的な人物が分離して個体と共同体の幻想を媒介する専門的な憑人となる。憑人は自身が精神病理学上の〈異常〉な個体であるとともに、自己の〈異常〉を自己統御することによって共同体へ架橋する。
(略)
『遠野物語』もいくつかの〈憑人〉譚を書きとめている。しかしそれはいずれも個体の入眠幻覚が、伝承的な共同幻想に憑くという位相で語られており……(略)
上郷村に河ぶちのうちという家
あり。早瀬川の岸に在り。此家の
若き娘、ある日河原に出でゝ石を
拾ひてありしに、見馴れぬ男來り
、木の葉とか何とかを娘にくれた
り。背高く面朱のやうなる人なり
。娘は此日より占の術を得たり。
異人は山の神にて、山の神の子に
なりたるなりと云へり。
(『遠野物語』一〇七)
ここでは娘の類てんかん的な異常は、遠野の村落の共同的な伝承にむすびついている。娘の遠感能力はこの日から永続的になったかもしれないが、けっして自己統御することはできない。娘の〈憑き〉の能力を統御するのは、遠野の伝承的な共同幻想である。
後 記
わたしはここで拠るべき原典をはじめからおわりまで『遠野物語』と『古事記』の二つに限って論を進めた。(略)そこで『遠野物語』は、原始的あるいは未開的な幻想の現代的な修正(その幻想が現代に伝承されていることからくる必然的な修正)の一典型としてよみ、『古事記』は種族の最古の神話的な資料の典型とみなし、この二つだけに徹底して対象をせばめることにした。(以下略)
〈当方注〉
「共同幻想論」は11論構成となっており、前5論が『遠野物語』を後6論が『古事記』を原典としている。
禁制論(遠野物語三、四、六、七)
憑人論(同一〇、一ハ、ハハ、九六、一〇ハ)、巫覡論(同一五四
、一五七、遠野物語拾遺ニ〇一、
ニ〇ニ、ニ〇七)、巫女論(拾遺三四、遠野物語五一、五六、六九)
他界論(同九一、ニニ、ニ三、一一一、一六六)。
祭儀論以下は『古事記』に拠っている。
遠野物語 柳田国男著 大和書房
笛吹峠の写真 〈遠野物語五〉
この峠を越える者は必ず山男・山女に出逢い、皆恐ろしがって往来が稀になった
抜粋その1 吉本隆明全著作集11「共同幻想論」
憑人論より
うたて此世はをぐらきを
何しにわれはさめつらん、
いざ今いち度かへらばや、
うつくしかりし夢の世に、
(松岡国男「夕ぐれに眠のさめし
時」)
柳田国男は、まだ新体詩人であったとき一篇の詩としてこれをかきとめている。雑誌『国民之友』に拠るこの年少詩人は、日夏耿之介の評論をかりれば国木田独歩に推称される詩才をもちながら「その後の精進の迹を見せずに自分の学問的本道へ進んでしまった。」人物であった。
しかし柳田の学的な体系は、はたしてこういう詩からの転進だったのかどうかわからない。
「夕ぐれに眠のさめし時」とは柳田の心性を象徴するかのようにおもえる。かれの心性は民俗学にはいっても晨に〈眠〉がさめて真昼の日なかで活動するというようなものではなかった。夕ぐれに〈眠〉からさめたときの薄暮のなかを、くりかえし徴候をもとめてさ迷い歩くのににていた。〈眠〉からさめたときはあたりが薄暗かったので、ふたたび〈眠〉に入りたいという少年の願望のようなものが、かれの民俗学への没入の仕方をよく象徴している。
柳田の民俗学は「いざ今いち度かへらばや、うつくしかりし夢の世に、」という情念の流れのままに探索をひろげていったようである。夕べの〈眠〉から身を起して薄暗い民譚に論理的な解析をくわえるために立ちどまることはなかった。その学的な体系は、ちょうど夕ぐれの薄暗がりに覚醒とも睡眠ともつかぬ入眠幻覚がたどる流れににていた。そして、じじつ、柳田が最初に『遠野物語』によって強く執着したのは、村民のあいだを流れる薄暮の感性がつくりだした共同幻想であった。わたしは、この共同幻想の位相がなにかをかんがえるまえに、柳田が少年時にじぶんの資質にくわえた回想的な挿話に立ちどまってみたい。
柳田は『山の人生』のなかで少年時の二、三の体験をあげて空想性の強く資質の世界を描いている。そのなかの一つ、
それから又三四年の後、母と弟と
二人茸狩に行ったことがある。遠
くから常に見て居る小山であった
が、山の向ふの谷に淋しい池があ
って、暫く其岸に下りて休んだ。
夕日になってから再び茸をさがし
ながら、同じ山を越えて元登った
山の口へ来たと思ったら、どんな
風にあるいたものか、又々同じ淋
しい池の岸に戻って来てしまった
のである。其時も茫としたような
気がしたか、えらい声で母親がど
なるので忽ち普通の心持になった
。此時の私がもし一人あったら、
恐らくは亦一つの神隠しの例を残
したことと思って居る。
(「九 神隠しに遭ひ易き気質あ
るかと思ふ事」より)
ここで「それから三、四年の後」というのは、筋向かいの家にもらい湯にいった帰りに屈強に男に引抱えられてさらわれそうな恐怖の体験をしてから三、四年後ということである。これは三つほどあげてある柳田の少年時の入眠幻覚のひとつだが、柳田がもっていたこの資質の世界はかれの学にとって重要なものであった。このつよい少年時の入眠幻覚の体験者が『遠野物語』の語り手であるおなじ資質の佐々木鏡石と共鳴したとき日本民俗学の発祥の拠典である『遠野物語』ができあがったといえるからである。
(略)
いま、これらの入眠幻覚の構造的な志向を〈憑く〉という位相でながめれば、柳田国男の描いている少年時の体験は、〈自己行動〉に憑くという状態であり…(略)
柳田国男は『遠野物語』のなかで〈予兆〉の話を存外に多く書きとめている。いずれもにたりよったりのものだが、柳田にとって〈予兆〉の問題がいかに比重がおおきかったかを問わず語りにうつしだしている。
柳田が自身を神隠しにあいやすい気質の少年だったと述べている位相からは、〈予兆〉譚はいわば構造的な指向性がいくぶん高度化したものを意味している。
柳田の描いている入眠幻覚の体験は、もうろう状態で自己の行動になってあらわれる幻覚を意味している。〈予兆〉譚は行動としての構造をうしなっても、心的な体験としては、はっきりと自己以外の他なる対象を借定している。ここでは関係意識がはじめて心的な体験の構造に参加するために登場する。いま、いくつかの例を『遠野物語』からえらびだしてみる。
(1)或る男が奥山に入って茸を
採 るため、小屋掛けをして住ん
でいたが、深夜に遠い処で女の叫
び声がした。里へ帰ってみると同
じ夜の同じ時刻に自分の妹がその
息子に殺されていた。
(2)村の或る男が町からの帰り
がけに見なれない二人の物思わ
しげな娘に出遭った。どこから
どこへ行くのかと問うと山口の
孫左衛門のところから何某のと
ころへ行くのだと答えた。さて
は孫左衛門の家に凶事があるな
と感じたが、ほどなく孫左衛門
一家は主従二十幾人毒茸にあた
って死に、ひとり残った女の子
も老いて子無くして死んだ。
(略)
(4)遠野の町に芳公馬鹿という
白痴がいた。此男は往来をある
きながら急に立ち留り、石など
を拾ってあたりの人家に投げつ
けて火事だと叫けぶことがあっ
た。こうすると其晩か次の日に
ものを投げつけられた家は必ず
火事になった。
(5)柏崎の孫太郎という男は
以前発狂して喪心状態になった
男だが、或る日山に入って山神
から術を得た後は、人の心中を
読むようになった。その占い法
は頼みにくる人と世間話をして
いるうちに、その人の顔をみず
に心に浮かんだことを云うのだ
が、当たらずということはなか
った。(『遠野物語』一〇、一
ハ、九六、一〇ハ)
〈予兆〉が、しだいに具象的な幻想をとおり、一人物の自己幻覚にまで結晶するさまがわかるように引用してみた。
『遠野物語』のこの種の〈予兆〉譚の特質は、たんに、嘘か真かとか、なぜ、どうしてとかいう問いかけがけっして発せられないように書き留められている点にあるのではない。この種の〈予兆〉譚の背後にかならず存在する入眠幻覚に類する心的な体験が、ついにたれのものかわからないように話の総体にふりわけられているという点にあるのだ。これは、終りに引用した芳公馬鹿や孫太郎という遠感能力者のばあいの話でもかわらない。遠感能力をもっているのは芳公馬鹿や孫太郎という男だということは書かれているが、芳公馬鹿や孫太郎の所有する遠感能力は、いわば共同能力であるかのような位相で話は書きとめられている。
かれらは白痴であり、あるいは以前てんかん症候をおこしたことのある男だとされているが、少しも〈異常〉な個人とは感じられていない。
(略)
『遠野物語』のふつうの村民の〈予兆〉譚を、もし精神病理現象としてかんがえようとすれば、、個体の精神病理と共同的な精神病理とが逆立ちの契機なしに斜めに結びつくような特異な関係概念をみちびき入れることが必要である。柳田の学的な体系は、この特異な関係概念を導くのに失敗している。
(略)
民俗譚のもっている個体の幻想性から共同幻想への特異な架橋の構造を考察するについては、ほとんどなすすべを知らなかったということができる。
たとえば、『遠野物語』のなかに、つぎのような骨子をもった〈狐化け〉の話が描かれている。
旅人が遠野在の村を夜更に過ぎ
た。疲れていたので知合の家に燈
火がみえるのを幸いに休息させて
くれとたのんだ。主人はちょうど
いいときに来てくれた、今夕死人
があったので人を呼びに出かけた
いとおもっていたところなので留
守を頼みたいといって出ていった
。死人は老人で奥の方に寝かせて
あったが、旅人がふとみると床の
上にむくむくと起直った。肝をつ
ぶしたが心をしずめてあたりを見
まわすと、流し元の水口の穴から
狐のようなものが面をさしいれて
死人の方をみていた。背戸の方に
まわってみると正しく狐で流し元
の穴に首をいれていたのであり合
せの棒でこれを打ち殺した。
(『遠野物語』一〇一)
ここでは旅人の幻覚のなかで狐は人を〈化かす〉が、けっして人に〈憑か〉ない。〈化かす〉という概念は民俗譚のはんいにあるが、〈憑く〉という概念は不文明とはいえ個体と共同体の幻想性の分離の意識をふくむものである。そこでは巫覡的な人物が分離して個体と共同体の幻想を媒介する専門的な憑人となる。憑人は自身が精神病理学上の〈異常〉な個体であるとともに、自己の〈異常〉を自己統御することによって共同体へ架橋する。
(略)
『遠野物語』もいくつかの〈憑人〉譚を書きとめている。しかしそれはいずれも個体の入眠幻覚が、伝承的な共同幻想に憑くという位相で語られており……(略)
上郷村に河ぶちのうちという家
あり。早瀬川の岸に在り。此家の
若き娘、ある日河原に出でゝ石を
拾ひてありしに、見馴れぬ男來り
、木の葉とか何とかを娘にくれた
り。背高く面朱のやうなる人なり
。娘は此日より占の術を得たり。
異人は山の神にて、山の神の子に
なりたるなりと云へり。
(『遠野物語』一〇七)
ここでは娘の類てんかん的な異常は、遠野の村落の共同的な伝承にむすびついている。娘の遠感能力はこの日から永続的になったかもしれないが、けっして自己統御することはできない。娘の〈憑き〉の能力を統御するのは、遠野の伝承的な共同幻想である。
後 記
わたしはここで拠るべき原典をはじめからおわりまで『遠野物語』と『古事記』の二つに限って論を進めた。(略)そこで『遠野物語』は、原始的あるいは未開的な幻想の現代的な修正(その幻想が現代に伝承されていることからくる必然的な修正)の一典型としてよみ、『古事記』は種族の最古の神話的な資料の典型とみなし、この二つだけに徹底して対象をせばめることにした。(以下略)
〈当方注〉
「共同幻想論」は11論構成となっており、前5論が『遠野物語』を後6論が『古事記』を原典としている。
禁制論(遠野物語三、四、六、七)
憑人論(同一〇、一ハ、ハハ、九六、一〇ハ)、巫覡論(同一五四
、一五七、遠野物語拾遺ニ〇一、
ニ〇ニ、ニ〇七)、巫女論(拾遺三四、遠野物語五一、五六、六九)
他界論(同九一、ニニ、ニ三、一一一、一六六)。
祭儀論以下は『古事記』に拠っている。
遠野物語 柳田国男著 大和書房
笛吹峠の写真 〈遠野物語五〉
この峠を越える者は必ず山男・山女に出逢い、皆恐ろしがって往来が稀になった