ブログ 古代からの暗号

「万葉集」秋の七草に隠された日本のルーツを辿る

字母歌に仕組まれた暗号 「いろは」2

2009-11-16 12:15:49 | 日本文化・文学・歴史
字母歌「いろは」の七段書きの沓の部分には「咎なくて死す」という暗号が仕組ま
れているという説は江戸時代から知られているが、五段書きした「いろは」の沓の
部分にも「揉めて往ねよ奴(ぬ)穂」というメッセージが込められていると気づい
た私は、この五段書きの「いろは」の中に、もっと意味を込めた文節が隠されてい
るかもしれないと考えて注意深く点検をはじめた。



最初に気が付いたのが、「やまのうえおくら」の「え」を正しく「やまのうへおく
ら」に直す「へ」の指示を探し始めたところ、目に入ったのが「へ とちりぬ」と
ユーモアたっぷりの二行目であった。
「いろは歌」は詩歌としての完成度の高い歌であって、「あめつち」「たゐに」と
比べれば「いろは歌」が最も優れた歌ではないかと思われる。



このいろは歌の作者は「色は匂へど」の「へ」と「今日越えて」の「え」を正しく
表記すると、山上億良の名を暗号とするには「へ」を「え」に代用せざるを得なか
ったわけで、その言訳に「匂へど散りぬるを」から「へ とちりぬ」を利用すると
いう<物名>的見事な手腕を発揮している。そしてこの作者は洒落っ気たっぷりの
御仁のようだ。

次が沓である五段目「揉めて往ねよ奴穂」。「揉めて出て行ってしまえ奴の族め」
と怒りをぶつけていると思われる。これも重要なメッセージであろう。

次は四段目左から「ひゆえやまうつかりに」。
「比喩絵やま討つ雁に」「比喩絵やまうっかりに」「比喩絵やま討つ狩りに」など
考えられるが、どれがあてはまるのかは全部出そろった所で判断したい。

次は四行目を上から読み三行目を下から上へ続けて「たれそつねよかわをる」。
「誰ぞ常世か倭折る」であろうか?
いろは歌では「我が世誰ぞ常ならむ」と歌われている一方で、暗号歌では「誰ぞ常
世か倭折る」として、無常感を覚える原因を「倭折る」と知らしめていると思われる。



この無常感を歌った「いろは歌」は真言宗の開祖である「空海」の作と伝えられて
いるが、現在はもっと後代になって作られたものと考えられている。
また、平安末期の真言宗の僧である覚鑁(かくばん・1095年~1143年)は「いろは
歌」は「雪山偈(せっせんげ)」を意訳したものと唱えている。

「雪山偈(せっせんげ)」とは『涅槃経(ねはんぎょう』に出る「諸行無常、是生
滅法、生滅滅巳、寂滅為楽」(しょぎょうむじょう、ぜしょうめっぽう、しょうめ
つめつい、じゃくめつゐらく)という四句の偈で、『口遊』中に字母歌「たゐに」
を載せた源為憲の書いた仏教説話集『三宝絵詞(さんぽうえことば)』(984年成
立)の中に「雪山童子(せっせんどうじ)」と題する物語があり、この偈が重要な
テーマとなっている。(詳しく知りたい方は『新日本古典文学大系・三宝絵』岩波
書店をお読みください)

上記の意訳は戦時中の小学六年生用の国語の教科者に載っていた「雪山童子」を分
かりやすく書き直した「修行者と羅刹」と題する物語中の、「雪山偈」を「いろは
歌」に置き換えた詞であるという。

『三宝絵詞』の「雪山童子」によると
「諸行無常、是生滅法」は「あらゆる現象は常住不変ということはなく、生じたり
滅したり常に流転を繰り返している」の意味であり、
「生滅滅巳、寂滅為楽」は「あるいは生じあるいは滅する輪廻の境涯を超脱してし
まうと、煩悩を去った突極の安らぎの世界こそ真の楽しみの世界である」という。

人の肉を食らう凶暴な悪鬼=羅刹にわが身を与えることを約束して、偈の後半を聞
いた童子は、石の上、壁の上、道の辺の諸々の木にこの偈を書きつける。
そして「願わくは、後に来たらむ人必ず此の文を見よ」(『三宝絵』)と言い残す
と高い木に登って羅刹の前に身を投げる。しかし

   「願わくは、後に来たらむ人必ず此の文を見よ」

という発言部分は涅槃経には無いので、字母歌の暗号にかかわっていた源為憲が
「いろは歌」の暗号を承知していて、後の世へ伝えたいと願って書き遺したメッセ
ージである可能性は高い。したがって「いろは歌」は『三宝絵』の成立した894
年より前に成立していた事になろう。













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