西暦247年頃起こった邪馬台国と狗奴国との戦いの結果がどうであったか、中国の史書は記
録にとどめていないため、後に編纂された記紀や考古学的資料によって推量するほかない。
邪馬台国畿内説をとれば、その後三輪山の大物主神(出雲系・うがや系)は「出雲国造神賀
詞」によって大和朝廷に服属し、その守り神となることを誓っていることから、4世紀に磯
城の瑞籬宮(水垣宮・桜井市金屋)に於いて天下を治め「初国知ら . . . 本文を読む
東海系文化の拡散現象は西暦250年頃から突如として起こったが、その発端は『三国志』
魏志・倭人条に「倭の女王の卑弥呼は狗奴国の男王卑弥弓呼と素より和せず」と記述されて
いる邪馬台国と狗奴国との抗争の結果と赤塚次郎氏はみている。
『三国志がみた倭人たち』より「狗奴国との抗争」(赤塚次郎)を要約して紹介したい。
「247年前後、卑弥呼を擁立する邪馬台国連合と<素より和せず>であった、卑弥弓呼が
率 . . . 本文を読む
赤塚次郎氏が3世紀の倭の国々の中で、狗奴国と想定する伊勢湾沿岸部からはじまった東海
系文化。それは2世紀後葉に成立し4世紀前半 まで継続する廻間(はさま)様式と呼ばれ
る土器、独自の木製品(東海系曲柄鍬)、鏃身に孔を複数あける「多孔銅鏃」前方後方墳な
ど独自の文化であり、これらの文化を共有する集団あるいは部族の住む地域であった。
そしてこの独自色をもつ東海系文化が3世紀の第2四半期の終わりごろにな . . . 本文を読む