ブログ 古代からの暗号

「万葉集」秋の七草に隠された日本のルーツを辿る

なぜ?「秦河勝=毘沙門天」説 2

2018-02-21 08:10:11 | 日本文化・文学・歴史
秦河勝が自らを毘沙門天になぞらえている説話は河勝の子孫と伝えられている世阿弥が著した 『風姿花伝』や仏教の受容を巡って崇仏派(蘇我氏や厩戸皇子等)と排仏派(物部守屋等)の 烈しい戦いをしたというその場所に建てられた「大聖勝軍寺」の縁起によっている。この丁未 の乱の後、戦勝した聖徳太子は誓願通り四天王寺を難波に建てている。それから約200年後 (794年)桓武天皇によって奈良から山背の葛野へ都が遷さ . . . 本文を読む
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