日本書紀の天武天皇紀をこれまで何度か目を通しておりながら、その幼名<大海人皇子>
が<おほしあまのみこ>とルビがふられていることを気づかずにいました。学校の授業で
も万葉集の和歌の世界でも<おおあまのみこ>と呼んでいたのですから・・。しかしこの
<おほしあまのみこ>と知ったことによって様々な謎が解けて来ました。
その謎とは
①出雲国造神賀詞で皇孫を守ると誓う飛鳥の四神(大物主・事代主・阿遅須伎高 . . . 本文を読む
平安時代の宮廷において民俗の始原を語る神楽の始まりには安曇氏の祖である安曇の磯良
を呼び出す「阿知女、於、於、於、於」と唱和する決めごとがありました。それは現代に
も引き継がれ「阿知女作法」と呼ばれています。磯良の時代がいかに古いかを暗示するた
めに考えられたと思われるものに、神功皇后の新羅出兵の折に呼び出された磯良の姿が
「海中に久しく住みたる故にかき、ひし等という物、顔にひしと取り付いていて・ . . . 本文を読む