平安初期の歌人紀貫之は『古今和歌集』の撰者であり、恋多き貴公子というイメージを抱き
がちですが、嘗ては名門であった紀氏一門もその頃は凋落の一途をたどるばかりで、五位以
上の官位を得ることさへままならず、貫之自身70歳ほどの高令となりようやく従五位上に
なったといいます。
宇佐家の伝承によると紀氏に縁のある土地は山城、丹波、吉備の高島、木国(菟狭)、紀伊
国(和歌山)など各地に拡散しつつも山城国に . . . 本文を読む
紀貫之が生まれる20年ほど前、道康親王(後の文徳天皇)の第一皇子・惟喬親王(母は
紀名虎の娘・静子)の誕生は、紀氏にとって天皇の外戚となり嘗ての隆盛を取り戻せるチャ
ンスであったが時の実力者藤原良房の娘・明子(あきらけいこ)に生まれた惟仁親王が皇太
子(後の清和天皇)となったことにより、その望みは絶たれてしまった。
文徳天皇が亡くなると僅か8歳の惟仁親王が即位し清和天皇となる。惟仁親王は太宰師、常 . . . 本文を読む