聖徳太子が四天王を彫り物部守屋軍との戦いに戦勝祈願をしたところ勝利することが出来
(587年)、そのお礼として難波の四天王寺が創建されました(593年)。また、聖徳太子
の廷臣である秦河勝が太子から仏像を賜り、それを本尊(弥勒菩薩)として603年に建立し
たのが京都・太秦の広隆寺(蜂岡寺・秦寺・葛野寺とも)です。どちらも聖徳太子ゆかり
の寺ですが、このふたつの寺に牛祭(うしまつり)と呼ばれる奇祭が . . . 本文を読む
今から1368年前、中国から西域を経てインドまで求法の旅をした玄弉三蔵(602~664)が
『大唐西域記』という本を著しましたが、この旅で訪れた于闐(和田・ホータン)の別名が瞿
薩旦那国で毘沙門天の国・地乳の国という興味深い建国神話が載っており、この国を統治(南
北朝・420年から五代、宗初・960年まで)していたヴィジャヤ家は中国名では尉遅(うっち)家
と呼ばれていました。
そ . . . 本文を読む