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ブログ 古代からの暗号

「万葉集」秋の七草に隠された日本のルーツを辿る

古代からの暗号 祟りを畏れた崇神天皇

2024-12-26 11:17:59 | 日本文化・文学・歴史

 息長氏とは何者か?
彼等の氏神は滋賀県米原市にある山津照神社。祭神は<国常立神>という日本の神話に現れる原初の神
である。そしてご神体として祀るのが山津照神社境内から発見され、首長墓と思われる古墳の石棺に納
められていた<五鈴鏡>である。山津照神社の祭神・国常立神とご神体・五鈴鏡の組み合わせを持っ神
社を探すと尾張一宮である<真清田神社>であった。古縁起によると崇神天皇の時<国常立尊>を勧請
したとする。尾張と言えば<火明命>が祀る<熱田神宮>を思い浮かべたが意外であった。
熱田神宮は尾張三宮で創建は仲哀天皇の頃または646年説があり、中世以降台頭し伊勢・石清水に次ぐ
社格となったが、祭神は<熱田大神>とする。

ところが、<火明命>を共通の祖とする<海部氏>の祀る丹後一宮<籠神社>の祭神が<国常立神>で
あった。同族である海部氏が<国常立神>を、尾張氏が<熱田大神>を祀るのは何故か?疑問がわいた。

これまで多くの神社についてみてきたが、祭神とされるのは氏人にとって尊敬すべき先人(開拓神や祖
先神)である場合と、氏人に対して祟り為す者も神として祀り、ひたすら神の怒りが鎮まるように祀る
例が見られた。
祟る神の一例として私は嘗て「伏見稲荷神社神符」の図柄の謎解きをした。

(当ブログ2009.9.12〜2009.10.12 「伏見稲荷神符1〜32 参照)
「伏見稲荷神社神符」の場合は祭神<宇迦之御魂神>とは出雲大社のある宇迦山に坐す<宇迦御霊大神>
つまり秦氏が滅ぼした出雲の大国主命の祟りを恐れて大国主命を神として祀っていたのだった。

<火明命>が天降って来た氏族である事は記紀が明言しており、日本列島に足跡がある以上、彼等が土着
の民を駆逐して領土にした事は自明の事であろう。つまり尾張氏は熱田大神(阿多族か?愛知県で発掘さ
れた壺に鯨面の顔が描かれていた。)を、海部氏は国常立神(大元神)を滅ぼしたと思われる。

日本書紀崇神天皇5年条には崇神天皇への祟りの様子が記されている。
「国内に疫病が多く発生し、民の半ばが死にそうな状況である。その上に百姓たちは家を棄て流浪の民と
なったり、反乱を起こす者もいる。これらを鎮めようとすれども難しいので神様におすがりして治めてい
ただこうとと思うので天照大神と倭大国魂の二神を天皇の宮殿の内に共にお祀りした。
しかし、二柱の神の勢いがありすぎて反発するので天照大神は磯城の神籬に、大和大国魂神はヌナキ入媛
につけて祭らせたが、髪が落ちてしまい神を祭ることができなかった。」と神の祟りがあったことを伝え
ている。

 丹波国は火明命の軍団によって孝元・開化王朝が倒され欠史八代の皇統の歴史は消され、ただ残された
のは、<国常立神>という神名のみ。新たな支配者・火明命が祟られないように残されたと思われる。

 現在の籠神社は火明命を祖とする海部氏が祭祀を執り行っており、8世紀に成立した『摂津国風土記』や
『丹後国風土記』には<豊宇可乃(とようかのめ)神>がいづこからか丹波の比遅(ひじ)の麻名井(まな
い)に移ってきたと記されている。そこは現在籠神社の境外摂社になっている真名井神社のことで、祭神は
トヨウケ姫。籠神社の元宮であるという。
このトヨウケ姫は海部氏の系図にある日女命が邪馬台国のヒミコにあたるとする説があるが、天火明命を
祀る神社であればその可能性はあると思うが,豊受大神は大元尊紳の別名といわれており『海部氏勘注系図』
では歴代秘伝として「天御中主とは亦の名神魂国常立・天照皇大神・豊受大神ですべて同神の異名である」
と伝えており、また籠神社の元宮司・海部穀定氏の研究『神代並上代系譜略図(深秘相伝)』の巻頭には
「天照大神」は国常立尊すなわち大元神の所顕であらせられる」とアマテラスが人格紳でないことと国常立
は大元神すなわちアラハバキであることを明記してある。
この一連の海部氏の秘伝は『記紀』が明確に記すことを避けた神の素姓を明らかにしている。

豊受大神は大元尊紳の別名としている以上、天照大皇大神が人格神ではないという説同様に豊受大神の名
も人間界の始原を説明するために考案されたものであり、個人を特定するものではないだろう。

現代では<大元神>という神名を知る者もほんの僅かにしかいないだろうと思われるが、大分県宇佐市の
<宇佐八幡宮>の奥宮<大元山(御許山)>の頂上には<大元神社>があるというし、安芸の宮島と言わ
れる厳島神社の地主神は「おおもとさま」と呼ばれているという。そして島根県太田市の城上神社の境内社
が大元神社であり島根県内には多くの大元神社が存在しているという。
日本列島の源初の神<大元様>の痕跡が今でも残されていた。

 今年も残すところ僅かとなりました。私のブログを訪問してくださった皆様有難うございました。
 歴史の真実は身近な所にあると思う一年でした。
 次回は「宇佐家の伝承」をテーマにします。          草野 俊子


























 

 

 

 

 

 

 






 

 

 

 

 

 

 

 

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