日本の古代史の中で仁徳天皇は巨大な古墳に眠る偉大な天皇という認識を多くの方が持っていると思われますが、先日来秦(波多)氏系の<星川建彦の乱>によって応神朝の皇統が絶たれ、新王朝が成立した可能性のある事を知りました。この情報を得る前のブログで仁徳天皇の和名が日本書紀では<大鷦鷯天皇>古事記では<大雀天皇>とあり雀の名前がついていることから、真実の姿は<星川建彦の父または本人>とも伝えられている<許勢 . . . 本文を読む
日本の著名な学者である水野祐氏や井上光貞氏らが崇神王朝・仁徳王朝・継体王朝の成立時、皇統の交代があったとする説をとなえていることは知っていました。が、<星川建彦の乱>のような具体例には初めて出会いました。しかも私は全く違うルートの謎解きで仁徳天皇の実像を星川建彦の父親という<許勢小柄>(『続日本紀』)と考えていました。これが史実とみなされる為には仁徳天皇陵の中から墓誌が発見されれば別ですがほぼ不可 . . . 本文を読む