今から1300年以上まえアジアの東の果てにある日本の飛鳥と西の果ての西域地方の文化
とに共通するものがあることを①天寿国繍帳の女性の着衣②正倉院に残る戸籍の様式の2例
紹介してきましたが、私が折々に心に留めて来た新聞の切り抜きから西域とつながるものを
探してみました。
2006年10月5日朝日新聞の記事に「島根県山持(さんもち)遺跡で奈良(8世紀)から平安初期
(9世紀)の板絵が4点出土しそのう . . . 本文を読む
天武天皇が飛鳥の朝廷の諸官人、宮人たちへ命じた褶禁止令(686年)は聖徳太子が606年
に命じた褶の着用を否定するものでした。大海人皇子という海人系の天皇にとって褶は受け入
れ難い習俗だったからてはないかと考えました。しかし当時の遺品は少なく聖徳太子亡きあと
に妃である橘大郎女の願いによって作られた<天寿国繍帳>の中にそのヒントが隠されている
可能性にかけてみました。
飛鳥時代の高松塚古墳の着 . . . 本文を読む