昔脱解の出身地、倭の東北一千里の「多婆那国」を朴氏は出雲、上垣外氏は丹波、草野(私
)は吉備加夜と推定したが、この三地域にはウガヤ(出雲)という共通項があるのでは?と
いう考えを抱いた。
歴史的に上代の出雲と吉備地方は出雲系として知られているが、丹波がウガヤ系の一員であ
ることを証明する何らかの手掛かりをみつけたいと思った。曖昧もことした記憶の中から
ある系図の存在に気がついたが、さて、どの本に掲 . . . 本文を読む
上垣外憲一著『倭人と韓人』から
「脱解王の神話」(前回のつづき)
さらに重要なのは、脱解の舟に七宝とが満載されていた、という点である。『三国
遺事』は僧侶によって編まれ、仏教の普及した高麗時代の書であるために、仏教用語の
七宝という言葉を用いるが、その七宝とは、『大無量寿経』と『阿弥陀経』で異同がある
が、金・銀・瑠璃・玻璃・白珊瑚・赤真珠・瑪瑙などを指すという。瑠璃は青色の玉、 . . . 本文を読む
昔脱解についての情報は『三国遺事』と『三国史記』にしか記録が残されていないので
誰もが推量するほかないのですが、歴史学の専門家の見解を紹介しましょう。
岡田英弘著『倭国の時代』(朝日文庫)では
『三国史記』「新羅本紀」によると、建国は紀元前57年で、最初に朴氏の王朝があり
次に昔氏、次に金氏の王朝が現れたことになっている。これはもちろん嘘で、紀元前
57年というのは、前108年に漢 . . . 本文を読む
十二指腸潰瘍の吐血で一カ月あまり入院していた夫が八日に無事退院しました。
救急車で病院に到着した時には出血性のショック状態で貧血と血圧の低下が著しく命の危機
さえあると告げられ、頭の中が真っ白になりました。東京と千葉に住む娘たちと夫の弟たち
に連絡し、帰宅したのが午前二時半、不安な一夜があけI・C・Uのベットの夫と会話が出
来た時にはホット胸をなでおろしました。後に吐血した時の事を尋ねてみると、キ . . . 本文を読む