日本古代史に登場する女性の中で誰もが知っている邪馬台国の女王卑弥呼にくらべて、
天皇と同じような立場にありながらほとんどの人に知られていない飯豊王ですが何故
八つもの尊称が伝えられているのでしょうか。
彼女が自称したという<忍海飯豊青尊(おしぬみのいいとよあおのみこと)>の名前に
ヒントが隠されているように思い調べてみると弘計(顕宗天皇)億計(仁賢天皇)の潜
伏地や賀茂神社の祭神や葵祭りが山城だけ . . . 本文を読む
仁徳天皇の皇統の中で葛城氏の血を最も濃く受け継いだのは顕宗天皇(弘計王)と
仁賢天皇(億計王)です。記紀には彼らが皇位につくまでの大変ドラマチックな物語
が記されています。彼らの父の市辺押磐(市辺忍歯別王とも)皇子(履中天皇皇子)
は皇位継承の有力候補でしたが狩りに出かけた蚊屋野で大泊瀬皇子(雄略)の為に
殺されてしまいます。これを知った二人の王子たちは自ら逃れて身を隠します。
『日本書紀』の記 . . . 本文を読む
<葵・あふひ>の神を慕う京都の賀茂神社の上社、下社の氏人たちのルーツを知
る手掛かりは『山城国風土記』逸文(『釈日本紀』九頭八咫烏条所引)に残され
ています。この記事は私の謎解きに重要なヒントを提供していますので、少々長
いのですが訓読文を引用します。
山城国風土記に曰はく、賀茂の社、賀茂と称(まを)すは、日向の曾の峯に
天降りましし神、賀茂の建角身(たけつのみ)の命、神倭石余比古(かむや
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