アートプラス京めぐり

京都の探索、記事数4800 ミニ・テーマで京都をめぐります 随時記事更新中

陵墓東016  東山本町 陵墓参考地

2017年01月31日 15時37分23秒 | 陵墓

 

 

 

 

陵墓 前回の記事  ➡  陵墓伏015  伏見松林陵

五七五

えホントに見合い写真のかたですか /ペコ

ことわざ

雨晴れて笠を忘る(あめはれてかさをわする)

楽になると、苦しかったときのことも、そのとき受けた恩義も忘れてしまうことのたとえ。

類・暑さ忘れて陰忘れる

 ・病治りて医師忘れる

 ・喉元過ぎれば熱きを忘れる

 

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下京区 本町十六町目   仁丹看板 

2017年01月31日 10時11分42秒 | 仁丹看板通り別

 

 

下京區  本町十六町目  本町通東福寺北門下ル

 

仁丹看板 検索  ➡    仁丹 町名ホーロー看板

 

五七五

祖母ちゃんは孫の約束守り待つ /富ばあ

ことわざ

雨塊を破らず(あめつちくれをやぶらず)

雨が静かに降り、土のかたまりや形を壊すことなく地面にしみ込む、意から、世の中が泰平であるたとえ、出典は『塩鉄論』

類・海波を揚げず


寺院東0328  法性寺 浄土宗  国宝・千手観音立像

2017年01月31日 09時14分35秒 | 寺院

京都市東山区本町16-307

 

藤原忠平の法性寺の寺名をうけつぐ、厄除けの千手観音(国宝)は法性寺殿といわれた藤原忠道42歳の厄除けに由来するという。慶長19年(1614)大坂の陣に先立って京都所司代板倉重勝から禁制状(乱暴狼藉から寺を守る)が与えられた

洛陽 廿一番 やくよけ   観世音菩薩

 

洛陽33所観音霊場  第21番札所

法性寺

 

大悲山一音院法性寺と号する浄土宗西山禅林寺派の寺である。当地は、延長3年(924)、藤原忠平が公家恒例被行脚読経の寺として建立した寺院(旧法性寺)があった所である。旧法性寺は、創建後も藤原家の氏寺として栄え、藤原忠道(法性寺入道)の時には、広大な寺域に大伽藍を構え、京洛21ケ寺の一刹に数えられていた。しかし、以後の兵火により、堂宇は悉く焼失してしまった。当寺は、明治維新以後、旧名を継いで再建されたもので、本堂に安置する千手観音菩薩像(国宝)は、旧法性寺の潅長堂の本尊と伝えられ、「厄除観世音」の名で知られている。京都市

この像は高さ1.09m、桧の一木彫りからなり、頭上に化仏25面を三段に置き、顔の左右両耳後方に各一面、都合27面の化仏をつけ、両腕に脇手40手を合わせ42臂とする異形の像であるが、密教的な深さをたたえた優艶な顔容は、法性寺の遺仏にふさわしい藤原初期の像である。

 

左大臣藤原忠平(貞信公)が延長3年(923)に建立した法性寺は、月輪山を背景とし、九条大路より南、鴨川にのそむ広大な地にあって、本堂以下東堂・南堂・大門・礼堂等、多くの伽藍が建ちならび、その後は藤原氏一門の氏寺として栄えた。

道長(忠平曾孫)は五大堂を新造し、丈六の五大明王を安置し、しばしば参籠して延命息災を祈った。摂政藤原忠通もこの地の清閑を愛し、鴨川のほとりに近い寺域内に邸宅をかまえ、世に法性寺殿とよばれた。九条関白兼実(忠通三男)もまた当寺を崇敬し、丈六の阿弥陀像を造立し、晩年はこの地に隠栖した。

このように法性寺は忠平以来、鎌倉中期に至る三百年間、寺運は隆盛におもむいたが、延応元年(1239)九条道家(兼実孫)がこの地に東福寺を造立するに及んで次第に寺域を縮小し、元弘3年(1333)には兵火よかかって荒廃した。しかし室町時代になって東福寺は復興されたが、法性寺は遂に再興されなかった。本町16丁目にある法性寺(浄土宗)は江戸時代の尼寺であるが、旧法性寺の遺仏とつたえる千手観音立像(国宝・平安)を安置することから、寺名となった。

 

 

 

厄除観世音

右の額には  千手千眼観世音

 

 

寺院 前回の記事  ➡   寺院東0327  浄心寺  浄土宗西山派

 

五七五

 

医者よりもママの見立ての正確さ /水野

 

ことわざ

雨が降ろうが槍が降ろうが(あめがふろうがやりがふろうが)

どんな困難があっても必ずやりとげるという決心の固さを表すことば。

用・「雨が降ろうが槍が降ろうが、明日までに必ず完成させます」

類・火が降っても槍が降っても

 

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まち歩き東東0375  米屋さんの使われなくなった臼  よく見かけます

2017年01月31日 06時37分05秒 | まち歩き

 

 

この臼 中で1ケ所 穴があいています

 

まち歩き 前回の記事 ➡   まち歩き東0374 伏水街道 第一橋

五七五

目を覚ますことで眠ったことを知る /音散歩

ことわざ

網の目に風とまる(あみのめにかぜとまる)

風は、網の目にはとまらず吹き抜けてしまうことから、あるはずがないこと、不可能なことのたとえ。また、常識的にはありえないことも、ごくまれにはあるということ。

類・雨に夜にも星

 ・蚊帳の目に風たまる

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まち歩き東0374 伏水街道 第一橋

2017年01月30日 17時05分04秒 | まち歩き

 

 

関連記事  ➡  ミニテーマ012 伏水街道の橋

     

まち歩き 前回の記事 ➡  まち歩き東0373  JR東海道線 三十三間堂付近

 

五七五

 

退職になんか腹立つ「お疲れさまあ」 /タミール

 

ことわざ

網の目に風たまらず(あみのめにかぜたまらず)

網で風を防ごうとしても、風は網の目を吹きぬけてしまうの意から、何の効果もないこと。むだのことのたとえ。

類・蜘蛛の網に風たまらず

 ・籠で水汲む

 

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まち歩き東0373  JR東海道線 三十三間堂付近

2017年01月30日 14時11分41秒 | まち歩き

西方向を 見る

 

 

まち歩き 前回の記事  ➡  まち歩き東0372  龍馬展

五七五

間違った法も破れば罰がある /野徒

ことわざ

網に掛かった魚(あみにかかったうお)

逃れようにも逃れようのないこと。対処する方法がまったくないことのたとえ。

類・網の魚

 ・籠の鳥

 ・袋の鼠

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ポスター0053  縁城寺  丹後

2017年01月30日 06時10分32秒 | 掲示ポスター

 

 

  

 関連記事 ➡ 寺院府0202  峰山  縁城寺  真言宗

ポスター 前回の記事  ➡  ポスター0052  大相撲 京都場所  平成28年 秋巡業

 

五七五

200国あって先進七つだけ? /友兼

 ことわざ

網無くして淵にのぞむな(あみなくしてふちにのぞむな)

網の用意もなしに魚を捕ろうと淵をのぞいてもしかたがないという意。転じて、準備や用意がなければ事を始めても成功しない。また努力もせずに、いたずらに人をうらやむものではないという戒め。

類・網無うて淵をのぞくな

 ・網もたずの淵のぞき

 ・網を持たずに海をのぞくな


右書き看板東117   庵二不味

2017年01月29日 21時47分33秒 | 右書き看板

 

 

 

右書き看板 前回の記事 ➡  右書き看板伏116  駿河屋本店

 

五七五                                      

役者やの 涙ぐむのも芸のうち /うそっ八

ことわざ

網呑舟の魚を漏らす(あみどんしゅうのうおをもらす)

「呑舟の魚」は、舟を丸呑みにするほどの大魚のことで、大罪人をさす。網の目が粗いために大罪人を逃がしてしまうたとえ。出典は『史記』。

類・大魚は網を破る

 ・天に目なし

 ・呑舟の魚

対・天道様は見通し

 ・天網恢恢疎にして漏らさず

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まち歩き東0372  龍馬展

2017年01月29日 11時43分42秒 | まち歩き

 

 

大小の黒点は もしや 暗殺された時の 血しぶきではないでしょうか 

 

 

 

 

坂本龍馬 ゆかりの地

1  坂本龍馬・中岡慎太郎 遭難之地(近江屋跡)

2  石碑 坂本龍馬妻お龍の実家 楢崎家跡

3   石碑  幕末史蹟・土佐藩士寓居跡 龍馬・お龍も暮したところ、

4  坂本龍馬とお龍が結婚式を挙げた場所

5  武信稲荷神社 坂本龍馬も登場

6  佐藤継・忠信塚碑,佐藤嗣信・忠信墓,佐藤文褒翁碑

7  石碑中0019-12 日本近代医学発祥の地 かつ 平野國臣外数十名終焉の地(六角獄舎跡)

まち歩き 前回の記事  ➡  まち歩き東0371  今熊野橋  橋の下は川ではありません

 

五七五                                      

一様に笑う客室乗務員 /謎の豊親丸

ことわざ

阿弥陀も銭で光る(あみだもぜにでひかる)

仏のご利益も、供える金銭の多少によって違ってくる。世の中のすべてのことが金の力で動くものだという皮肉。金銭の威力がいかに大きいかをたとえたことば。

類・阿弥陀の光も金程

 ・金の光は七光

 ・地獄の沙汰も金次第

 ・仏の光より金の光

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道標東0090  鳥戸野陵・中尾陵 参道

2017年01月29日 07時14分23秒 | 道標

鳥戸野陵  中尾陵  参道

 

昭和4年(1929)12月

大阪  皇陵巡拝會

 

道標 前回の記事 ➡  道標東0089  地蔵尊前の道標

五七五                                      

帰ろうとすると話題をさがす母 /坂梨

ことわざ

余り物に福がある(あまりものにふくがある)

人が取り残したものや余ったようなものに思いがけない幸福や利益が潜んでいることがある。人と争わない遠慮深い人に、思いがけない福が訪れるということ。

用・先を争うことを戒めるときにも用いる

類・慌てる乞食は貰いが少ない

 ・余り茶に福がある

 ・残り物に福がある

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まち歩き東0371  今熊野橋  橋の下は川ではありません

2017年01月28日 22時26分01秒 | まち歩き

 

 

今熊野橋

 

昭和3年10月竣功

 

橋の下は 東海道線  東方向を見る

新幹線はすでに西方向(写真の右後ろ方向)でトンネルの中

 

まち歩き 前回の記事  ➡  まち歩き東0370  お地蔵さん

 

五七五                                      

 

駐車したその1台に泣く千台 /式野

 

ことわざ

雨夜の月(あまよのつき)

雨の降る夜でも月はある。あるにはあっても、目には見えないもの。実際には見られない物事のたとえ。

類・雨夜の星

 

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ミニテーマ012 伏水街道の橋

2017年01月28日 11時43分36秒 | テーマ数々

伏見街道

本町通は東福寺の門前通りをいい、北は五条通(東山区)より南は稲荷(伏見区)までの約2.8キロ間を一丁目から22丁目までの町名をもって数えられる。稲荷より南は直違橋通とよび、伏見を経て国道24号線につながる。

この道は京都と伏見をつなぐ交通路に当たるので、伏見街道とよび、また泉涌寺門前の五葉の辻に至って断絶する大和大路通を引き継いでいるので、大和大路ともいわれるが、今はこの名はあまり用いられない。

本町通は豊臣秀吉が大仏方広寺を建立した天正14年(1586)の翌年から文禄3年(1594)のあいだにわたって造られたものといわれ、伏見城の完成とともに軍事的にも政治的にも重要な道路となり、また伏見港に陸揚げされた京都市民の生活物資の輸送路ともなった。

とくに沿道には東福寺をはじめ三十三間堂や稲荷神社等、著名な社寺が多いため、近世に於ける京都の主要な観光ルートともなった。沿道には煙管、大工道具、楊枝、摺火打、竹杖、土人形、地黄煎、つくわ、鉄砲火縄、撞木、竹笠など、往時の庶民生活に必要な物品を取り扱う店舗が軒をならべていた。

一の橋  ➡  まち歩き東0374 伏水街道 第一橋

一の橋跡 ➡  石碑東0104  伏水街道 一之橋 旧址

二の橋 ➡  まち歩き東0368  伏水街道 第二橋  親柱 

三の橋 ➡  まち歩き東0381  伏水街道 第三橋 

四の橋 ➡  まち歩き伏0389  伏水街道 第4橋

 

五七五                                      

そうめんはもらうものだと決めている /中林

ことわざ

雨垂れ石をも穿つ(あまだれいしをもうがつ)

雨垂れも、長年にわたって石に落ちれば石に穴をあけるという意味から、わずかな力でも、根気よく続けることによって事が成就いるということ。

類・愚公山を移す

 ・泰山の溜石を穿つ

 ・釣瓶縄井桁を断つ

 ・人跡繁ければ山も窪む

 ・牛の歩みも千里


史跡東020  夢の浮橋 跡

2017年01月28日 11時22分25秒 | 史跡・旧跡

 

 

かつて、この地に夢の浮橋が掛かっていた。この橋は、四条天皇をはじめ、歴代天皇、后妃等の墓所が多い泉涌寺に詣でる本道に架けられた橋であり、古くから大路橋若しくは落橋と呼ばれていた。夢の浮橋という名は、源氏物語・宇治十帖の「夢の浮橋」の名に因み、この娑婆世界に無常の様が、夢のごとく、また浪に漂う浮橋のごとく、はかないものでるという例えからとったと伝えられている。川の流れは泉涌寺の後ろの山から出て、今熊野の南を巡り、更に一の橋の下を流れて鴨川に入るが、今は暗渠となり橋は取りはずされている。京都市

 

ことはりや夢の浮橋心して還らぬ御幸しば止しめむ

橋はもと長さ8.2m 6.3mの木造橋であったが、川を暗渠としてからは取りはらわれ、擬宝珠勾欄の一部が路傍に保存されていたが、現在はそれも撤去され、代わりに泉涌寺長老道円が詠んだ歌碑が建っている。

ことはりや夢の浮橋心して還らぬ御幸しば止しめむ

この橋を一に落橋といわれるのは、天子葬送のときのみに架橋され、普段は腐朽するとも改修されなかったからであり、世人はむしろ天子長久を願って橋の用をなさないことを望んでいたという。応永32年(1425)7月、中山定親は泉涌寺参詣に際し、落橋が破損して渡ることができず、やむなく橋の西にて下車した旨をその日記にしるしているので、室町時代の頃から落橋とよばれていた。

史跡 前回の記事 ➡ 史跡伏019  寺田屋 坂本龍馬ゆかりの宿

 

五七五                                      

 

次は犬飼うを聞いているヒザの猫 /森本

 

ことわざ

油を売る(あぶらをうる)

仕事中に時間をつぶしてけること、また仕事中に長々とむだ話をすることをいう。

用・「いつまでも油を売ってないで、早く職場に戻れ」

知・江戸時代の油売りが客の容器に油を移すのに時間がかかったことから、髪油を売り歩く商人が婦女を相手にのんびりと話し込みながら商売したことからともいわれる。

 

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まち歩き東0370  お地蔵さん

2017年01月28日 10時39分41秒 | まち歩き

 昔風の家があります その隣

大日如来 は 判読できます

明治 二十一年だろうか 判読 しにくい

 

 

 

まち歩き 前回の記事 ➡  まち歩き東0369  謎の石柱が置かれている 何か書かれている

五七五                                      

安すぎてリストラ対象外された /ゆうしゅん

ことわざ

油に水(あぶらにみず)

油に水を入れると分離してしまうことから、異質なためにしっくりとなじまないこと。融和しないこと。

用途・「君と彼では油に水だから、チームは組めないよ」

類・油に水のまじる如し

 ・水と油

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寺院東0327  浄心寺  浄土宗西山派

2017年01月28日 06時58分14秒 | 寺院

京都市東山区本町10-167

閻魔山  浄心寺

浄土宗西山派の寺であるが、天台宗妙法院にも属している。寺伝によれば、はじめ弘法大師作の閻魔王像を本尊としていたのに因んで閻魔山と号していたが、応仁文明の乱の兵火に罹災し、像は東寺へ移されてしまった。室町時代に月峰上人が寺の再興に当たって返還を求めたが、東寺は容易に応じず、代わりに他の仏像三体を渡した。これが現在の本尊阿弥陀如来坐像(鎌倉時代)と脇侍の大日如来坐像(平安時代)・地蔵半跏像(鎌倉時代)と伝わり、いずれも古様をおびた像である。

三尊仏のうち、阿弥陀像は高さ86.3㎝、寄木造り、定印をむすんで結跏趺座する。顔容は優艶にして衣文の線はやわらかく、「院派」といわれる京都の仏師の伝統的な作風があり、いわゆる平安様式をただよわせた鎌倉初期の作と推定される。大日如来像は高さ87.3㎝、一木彫り、密教彫刻の様式をもった威厳のある顔容を呈し、内部のくり抜きの荒いことから平安中期の作とみられる。また、地蔵菩薩像は右足を組み、左足を下におろした半跏像で、高さ1.13m、寄木造り、彩色像。衣文のひだの線の力強い彫り方や内部のくり抜きの深いことから鎌倉後期の作とみられる。

因みに元禄年間(1688~1704)妙法院獅子吼院宮は当時の住持淵竜上人にふかく帰依し、三尊仏の灯油代として付近の菅谷畑を寄進されたという。東寺がこのような勝れた仏像を手放したのには、わけがあったのだろうと思われる。

寺院 前回の記事 ➡  寺院東0326 寶樹寺 浄土宗

 

五七五                                      

 

フロで歌窓の外から拍手くる /イリコ

 

ことわざ

脂に画き氷に鏤む(あぶらにかきこおりにちりばむ)

脂肪のかたまりに絵を描いたり、氷に彫刻をしても、すぐ消え失せてしまうことから、実体のはっきりしないものに向かって苦労しても甲斐がないこと。骨折り損の意。

類・氷に鏤め水に描く

 ・水に絵を描く

 

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