アートプラス京めぐり

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文化財南006 長谷川家住宅 270年前の農家

2017年10月18日 05時42分24秒 | 登録有形文化財

 

寛保2年(1742)、長谷川半助が築造した農家住宅で築270年を経ている。長谷川家は郷士であり、庭田家の家来として 「庄屋」を勤め、高瀬川を通じて庭田家などに年貢を運んだ。当時、東九条の農家はコメのほか九条ネギ、京人参、くわい、真桑瓜、藍などを栽培した。

 

 

登録文化財 前回の記事 ➡  文化財伏005  大橋家庭園

五七五

夕陽追う 城跡に聴く 秘史の謎 /西村

ことわざ

沈む瀬あれば浮かぶ瀬あり

  


文化財伏005  大橋家庭園

2017年02月11日 10時06分08秒 | 登録有形文化財

 

 

明治末年から大正初期にかけて大橋仁兵衛が建てた別荘で、当時の住宅庭園の一例を示す。また「水琴窟」を設けた庭として注目される。

鯖は日本海の海産物で、八瀬、大原を通る若狭街道が知られている。鉄道開通以前の瀬戸内の鮮魚は、淀川水運により、鴨川と桂川の合流点近く、「草津」に運ばれた。草津は、現在は伏見区横大路に草津町がある。ここで陸揚げされた魚は、「走り」と呼ばれる運搬人により、鳥羽街道を一路京都を目指した。しかし、この道は京阪電車の鳥羽街道駅とは関係がない。古くは、鳥羽の作り道、後に大坂街道とも呼ばれ、平安京の羅城門に直結する道であった。輸送を容易にするために、車石と呼ぶ石のレールも敷かれていた。淀川水運には、夜行船があったから、朝の集荷と、京都への運びが、鮮魚価値の勝負どころであっただろう。大橋家はそのような鮮魚を扱う元請業者であった。

 

大正2年(1913)、草津浜で鮮魚の元請を営んでいた大橋仁兵衛が引退し、ここに隠居屋敷を構えました。そしてこの庭園、苔涼庭がつくられました。

南方に伏見稲荷の森をのぞむこの庭は露地(茶庭)風につくられ、しっとりと落ち着いた苔に覆われています。この庭の特色は自然石・石造石の数の多い点です。結晶片岩・鞍馬石・水蝕花崗岩など大小色とりどりの石が庭全体に散りばめられ、春日型・善導寺型などの石燈籠や蹲踞・縁先手水鉢などの石造品も要所に配されています。その中でも注目されるのは、蹲踞・縁先手水鉢のいずれにも水琴窟が構えられていることです。水琴窟というのは、手水のつかい水の排水装置を兼ねた一種の音響装置で、琴のような音色を奏でることからその名があります。

大橋家庭園は、大正はじめ頃の住宅庭園のありようを示す一例として、また、水琴窟を備えた庭園としても特筆されるものです。昭和63年5月2日、京都市文化財保護条例により、京都市登録名勝とされました。 京都市

関連記事 ➡  まち歩き左0813 鞍馬石

文化財前回の記事  ➡  文化財府004  久美浜 稲葉本家

五七五

倦怠期昔ロミオとジュリエット /ピーターうさぎ

ことわざ

怒れる拳笑顔に当たらず(いかれるこぶしえがおにあたらず)

怒って振り上げた拳も、笑顔の相手には振りおろせない。相手の怒りや強気の態度には、かえって優しい態度で対するほうがよいという教え。

類・尾を振る犬は叩かれず

 ・袖の下に回る子は打たれぬ

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文化財府004  久美浜 稲葉本家

2016年10月12日 07時01分18秒 | 登録有形文化財

 

 

 

伝によると、当家初代喜兵衛は、織田信長の家臣団、美濃三人衆の一人稲葉一徹一族の縁者と言われている。当家の家紋「折敷三文字」、当地名の「土居」が証している。

稼業は代々「糀屋」を生業とし、日本海沿岸交易業掛屋等も営み隆盛を極めた。久美浜代官所蔵設置の享保20年(1735)には、幕府の公金預かり所となり、以降は近隣諸藩の金融を独占する豪商となった。

 

一方、天明大飢饉前後には、多額の金穀を献納し苗字帯刀を許された。12代市郎右衛門の事。明治維新山陰道鎮撫総督

西園寺公望公の本陣となり、数百名の関係者が宿泊したと記録にある。慶応4年、久美浜県(丹後・但馬・丹波・播磨・美作)が設置されるや

勧産用掛頭取、熊野郡区長、但馬区長を務め、さらに京都府議会開設時の府議会議員、衆議院議員ともなる。

 

明治17年には、地租780円(約3億円)納める府下一の多額納税者であった翁は、金融・殖産のために努力し、自家の繁栄のためばかりでなく町に発展にも努力を惜しまなかった。特に鉄道敷設には情熱を注いだ。また、歌、書をなした

文人であり、「過渡の久美浜」を著した。13代市郎右衛門の事。府議会議長(2回)、久美浜町長等を歴任いるとともに、京都府農工銀行頭取も務め、本町はもとより京都府の金融産業振興に多大の寄付をした。先代の志を継ぎ、多大の私財を注ぎ込み昭和4年念願の久美浜・豊岡間の鉄道開通を実現させた。

喜兵衛が美濃の国(岐阜県)から移住して四百有余年、稲葉家も今日15代当主を迎え、当家も新しい形で再生された。時空を超えた旅人、喜兵衛の思いや如何・・・

平成15年4月  久美浜町

久美浜 龍伝説

一遍上人 (一遍上人絵伝)巻8(国宝)によると、一遍上人は弘安(1285)に、京都から丹波を通って久美浜へ来ました。そのおり、くみ はまの海岸で海面から龍が現れた様子を絵入りで記しています。一遍はその後、丹後久美浜から但馬へ向かったと記されています。その後「おほさか伯耆(逢坂)」を通って美作へ向かったと記されています。室町時代の「丹後御檀家帖」には、「くみのはま」とは、現在の久美浜一区の海岸地域(厳密には、西元町~東本町)であることが明確に記されています。時宗は一遍上人(1239~89)によって開かれた鎌倉新仏教の1つです。伊予国(愛媛県)の豪族河野通広の子として生まれた一遍は、文永11年(1274)から全国各地を遊行し、「踊り念仏」によって布教を行いました。この河野家が、稲葉本家の先祖に当たる美濃の稲葉家につながるのは、不思議な縁と言わざるを得ません。

地名 高竜寺岳、七竜峠、大明神岬

 

国登録有形文化財

1母屋(明治23年竣工)

2長屋門(通称雛御門)

3南宝蔵

4北宝蔵

 

 

明治18年 地租税金 上納 第1位 稲葉市郎右衛門

 

作庭  佐野藤右衛門

 

 

 

嫁入り駕籠

 

御殿雛

 

 

 

吟松舎の庭園

 

 

 

 

心が落ち着きます  日常から離れられるようです

充分堪能させてもらいました

 

欄間 趣向

 

鴨居の釘隠し

 

欄間の趣向

 

蚊帳を吊るす金具  冬用と夏用に作られている

 

古田織部 のキリシタン灯籠

 

 

 

二階 の様子

 

 

 

家具とかが 置いてない

 

銅像が右の方に見えます

もう一つの蔵

 

文化財 前回の記事 ➡  文化財中003  二条陣屋は迷路のよう

今日の俳句

三井寺の 門たたかばや 今日の月 /芭蕉

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文化財下001  燈篭町会所(保昌山)

2016年05月06日 08時38分52秒 | 登録有形文化財

 

屋内は文化財の宝庫なのだろう

 

燈篭町会所(保昌山)、燈篭町は、祇園祭のとき保昌山を出す町内である。町会所の敷地は、享保19年(1734)に近江屋五郎兵衛から購入したことが町有文書にみえ、また、町内には、大島家傳次郎が会所を町内へ寄付したとの伝えが残るが、大島家は文政8年(1825)に没しており、このときは建物を寄付したものと思われる。現在、ここには会所家、土蔵、稲荷大明神社が建つ。会所家は、明治3年(1870)の造営で、二階が一部路地の上にまたがり、その表の間は祭の時にはお飾り場となる。二階の室内は長押をまわし、格天井を張り御神体を安置する中央部を折り上げて、格式ある構成をしている。土蔵は、文化5年(1808)に造営されたものである。この町会所は、会所家以下の建物がそろい、また、会所家のお飾り場にも特色があって、祇園祭町会所として貴重であり、昭和58年6月1日、京都市指定有形文化財に指定された。 京都市

 


登録有形文化財 一覧

2015年10月31日 17時33分40秒 | 登録有形文化財

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