天平7年(735)聖武天皇の勅願により、僧良弁が開創し、11面観音像を安置して藤尾山観音寺と号したのが起こりと伝わる。平安末期の保延3年(1137)に焼亡している。この寺の歴史は鎌倉時代の承元元年(1207)笠置の解脱上人貞慶が入寺し、山号を補陀落山と号し、海住山寺と改めた。
その弟子慈心上人覚真は、遺志をついで寺の再興につとめた。その頃13ケ寺、42坊の大寺であったが、天正年間の太閤検地で寺領の大部分をとられた。今は本堂以下五重塔や文殊堂があるだけにすぎない。現在は新義真言宗智山派に属する。
本堂 明治17年(1884)の再建。本尊11面観音立像(重文・平安時代)本堂の厨子内に安置されています。高さ1.7メートル仏壇の左右には木造不動明王像2体と木造11面観音立像(重文・平安時代)を安置する。
五重塔 (国宝・鎌倉時代)鎌倉時代再興当時の面影をとどめる現存唯一の古建築で、建保2年(1214)に完成し、後鳥羽上皇より賜った舎利2粒に5粒を加えて塔内に安置していたとつたわる。方3間、高さ17.7メートル。内陣には四天王立像を安置し、その周囲を扉絵8面(国宝・鎌倉時代)によって荘厳化されている。
文殊堂・石船・影向松・書院・梵鐘・五輪石塔・解脱慈心両上人墓 などがある。
本堂
狛犬 ちょっと変わっている
扁額
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仏塔古寺18尊霊場 第3番
奉納額 明治45年
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