社号標
式内 村社 走田神社
大正2年10月 建立 施主 山下忠兵衛
石鳥居 昭和3年11月 建立
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五七五
青空に 疑問符なのか 雲ひとつ /古崎
ことわざ
馬鹿のひとつ覚え
社号標 郷社 諸羽神社
参道が ずっーと続く
天孫降臨の神話の中で、瓊瓊杵尊の左右に従った天児屋根命と天太玉命を祀るところから、雨羽大明神と称したという。
貞観4年(862)清和天皇の勅命にこの地に社殿を建てたのが当社の始まりとされる。この後、正殿に応神天皇、脇殿に伊弉諾命、素戔嗚尊、若宮八幡宮を合わせ祀るようになり、
社名の「雨羽」の文字を「諸羽」に改められた。社殿は応仁の兵火により焼け、その後もしばしば火災に遭った。
当社は山科十八郷の中で第4番目に当たるとされ、古くは「四ノ宮」と呼ばれて、この付近の産土神として人々に崇敬された。神社の背後の山は諸羽山といい、平家物語の中に「木曽、もろは山の前、四の宮川原に打出て・・・」と記されているのは、当社周辺のことである。 京都市
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石鳥居 前回の記事 ➡ 石鳥居241基 日向大神宮 社号標 と 安養寺 寺号標 仲良く同居ですね
川柳
その道のおたくテレビじゃアナリスト /上沼
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左に 清龍山 安養寺 の寺号標
右に 式内 日向大神宮 の社号標
奥に 石鳥居 神社 と 寺 仲良く同居ですね
昭和6年12月 建立 住職 村上辨議
大正2年6月建立
稲荷山宮司従五位 大貫眞浦敬書
鳥居 敷石 寄付者 23名の名が記されています
大正4年10月 再建
昭和5年9月
神田稲荷神社改築記念建立 願主
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日向大神宮
石鳥居 前回の記事 ➡ 石鳥居240基 明治26年建立 灯籠に 天満宮とありました 滋賀
今回の川柳
耳かきのあと数ミリの冒険心 /竹山
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明治9年、明治天皇は華族制度を強固なものにするため、華族各家の系譜を調査、家系を分類し『華族類別録』を編纂させた。同分類の家が相互扶助することを目的としている。翌年、宇多源氏に分類された21家が、始祖雅信をしのび相互の親睦を誓ってこの碑を建てた。