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寺院北0503 瑞芳寺

2018年10月18日 06時04分25秒 | 寺院

 

寺院 前回の記事 ➡ 寺院北0502 源光庵  血天井

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寺院北0502 源光庵  血天井

2018年10月17日 06時02分35秒 | 寺院

 

鷹峰山宝樹林源光庵と号し、貞和2年(1346)臨済宗大徳寺二代徹応和尚が隠居所として創建した。その後、元禄7年(1694)卍山道白禅師が止住し、曹洞宗に改めた。同禅師は自ら復古道人と称し、一寺を嗣ぐとその法系を受け継ぎ、本人既得の法系を捨てる当時の曹洞宗の慣習を非難し、復古を幕府に訴えた。

当時は京都に少ない曹洞宗の一で、宇治興聖寺に次ぐ名刹である。境内には釈迦牟尼仏を本尊とする本堂があり、その傍らには開山禅師が感得したとつたえる霊芝観音像を安置する。廊下の天井は鳥居元忠か自刃したときの伏見城の遺構といい、俗に桃山の血天井とよぶ。開山堂(復古堂)には卍山禅師の像および遺骨を安置する。

なお本堂の丸窓を「悟りの窓」角形の窓を「迷いの窓」といい、前者は「禅と円通」の心をあらわし、後者は人間の一生を象徴し「生老病死」、「四苦八苦」をあらわしたものという。

稚児の井。本堂背後の崖下にあり、徹応和尚がはじめて草庵を此の地にむすんだとき、飲料水がなくて困っていたとき、一人の児童によってこの井戸を得たといわれる。

 

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           寺院伏0324  栄春寺  曹洞宗  総門は伏見城の遺構  長沼宗敬澹斎の墓所 

            

寺院 前回の記事 ➡ 寺院北0501  遣迎院 浄土真宗

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寺院北0501  遣迎院 浄土真宗

2018年10月16日 06時02分03秒 | 寺院

寺号は発遣の釈迦と来迎の弥陀の二尊を本尊とするところから名づけられた。二尊ははじめ九条関白藤原兼実の邸宅に安置されていたが、藤原道家が西山善恵証空上人を開山とし、東福寺門前三ノ橋の南に一宇を創建したのが起こりと伝える。

天正年間(1573~92)上京区寺町広小路の北之辺町に移り、禁裡御内仏殿として宝祚無窮を祈る道場となった。もとは天台宗山門派に属していたが、昭和29年(1954)末この地に移ると共に、浄土真宗遣迎院派の総本山となった。いかめしい表門は、もと岡山の高松城の城門といわれ、

本堂に安置する釈迦・阿弥陀如来立像(重文・鎌倉)は、ともに高さ90㎝、寄木造り、玉眼入、古調を帯びた鎌倉時代の秀作。釈迦は左手に宝珠を持ち、阿弥陀は中品下生の来迎印をむすび、その足柄に巧匠安阿弥の刻銘がある。

 安阿弥 関連記事 ➡  寺院東0326 寶樹寺 浄土宗

    寺院上0114  観音寺 浄土宗  百叩きの門 よなき地蔵  千人堂  文追加

                 安阿弥寺  浄土宗西山禅林寺派

 寺院 前回の記事 ➡ 寺院北0500 圓成寺  岩戸妙見  日蓮宗

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寺院北0500 圓成寺  岩戸妙見  日蓮宗

2018年10月15日 07時30分51秒 | 寺院

 

 

清雲山と号し、寛永7年(1630)日任上人が創建した日蓮宗本満寺派の寺で、俗に岩戸妙見とよばれる。本堂には釈迦法華題目碑を安置し、妙見堂には妙見菩薩を祀る。この妙建像は足下に霊亀を踏まえ、右手に剣、左手に白蛇をにぎり、頭上に北斗七星をいただいた高さ約6尺(約2メートル)の石造神像である。日任上人が霊夢に感じ、霊巌寺の妙見を祀ったものと云われ、寺では霊厳寺の旧跡と称している。

境内には常富明神を祀った常富殿や痔神として崇敬される秋山自雲居士の墓があり、境内西北隅の墓地内には江戸初期の儒者 三宅亡洋一族の墓がある。

 関連記事 ➡  人物024 秋山自雲

寺院 前回の記事 ➡  寺院北0499 光悦寺 日蓮宗

 

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寺院北0499 光悦寺 日蓮宗

2018年10月14日 06時11分30秒 | 寺院

 

大虚山と号する日蓮宗の寺である。当地は、元和元年(1615)徳川家康よりこの地を与えられた本阿弥光悦が一族、工匠等と移り住み、芸術郷を築いたところである。光悦は、刀剣鑑定のほか、書、陶芸、絵画、蒔絵などにも優れ、芸術指導者としても活躍した。当寺は、本阿弥家の位牌堂を光悦没後に、本法寺の日慈上人を開山に請じて寺に改めたものである。京都市

 

本堂には本尊十界曼荼羅を安置し、境内には太虚庵をはじめ三巴亭・了寂軒・本阿弥庵等、多くの茶席がある。

 

このうち三巴亭茶席には光悦像を安置する光悦堂があり、その南の太虚庵茶席は大正4年(1915)の再建で、切妻造り、こけら葺き、前面に付廂があって、入口には板戸二本引きのにじり口、東側には障子二枚引きの貴人口を設ける。内部は五畳台目、床を点前座に方に寄せている。また床内は土天井とし、隅を塗廻しとしているのはむかしの太虚庵茶室の名残りを示す。内露路には光悦遺愛の薄墨の手洗鉢があり、それを囲む垣根は、世に光悦垣ともいわれていて有名。

 

また了寂軒茶席はもと常題目堂のあったところと伝え、その下方の翹秀軒茶席は紙屋川にあって、前方にそびえる鷹峰・鷲ケ峰を一望できる景勝の地。

 

本阿弥光悦の墓は境内の東南隅にある。墓石には「南無妙法蓮華経 了寂院光悦日豫居士」と刻まれている。光悦は世襲の相剣業を以て徳川家康に仕え、鷹ケ峰の地を賜って、太虚庵をむすんで隠居し、寛永14年(1637)2月3日、80歳で没した。墓の近くには光悦の子光瑳、孫の光甫の墓および親交のあった所司代板倉勝重・重宗親子の墓がある

 

関連記事  ➡  本法寺  光悦・長谷川等伯 ゆかりの寺

            京を彩る 琳派  京都国立博物館

            本阿弥光悦京屋敷跡 58歳までこの地に暮す

            茶屋四郎次郎邸宅跡 石碑

            寺院上0270  妙蓮寺  日蓮宗本門法華宗の大本山 

               人物023  本阿弥光悦           

寺院 前回の記事 ➡  寺院東0498 正林寺 浄土宗 小松谷御坊

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寺院東0498 正林寺 浄土宗 小松谷御坊

2018年09月09日 19時54分26秒 | 寺院

 2018年画像追加

 2015年10月8日の記事

 

 

門前の地蔵尊  小松谷地蔵尊

 

明和元年 (1764)  の建立  圓光大師 舊跡

小松谷御坊 舊跡

このあたりには、その昔平清盛の長男・重盛の別邸であった。

重盛は境内に持仏堂を建て、48体の仏に毎夕48の燈籠をともしたという。

重盛は治承3年(1179)7月29日、42歳で病死。

平家滅亡後、関白九条兼実の山荘となり、兼実はその後、

法然上人に与え、建永元年(1206)7月、

法然は東山吉水の庵室から移り住み、小松谷御坊と称した。

治承元年(1207)に突発した弟子 住蓮坊・安楽房の罪過の連座し、四国配流の身となり、ここから旅立った。小松殿は応仁の乱で焼失したが、燈籠堂は文安年中(1444~49)定意上人により下京区東洞院通高辻下ル灯籠町に再興され、名を浄教寺と改めた。

天正年中(1573~92)さらに下京区寺町四条下ル貞安前ノ町に移転した。

重盛像を安置する。平家ゆかりの寺。

江戸中期に同じ浄土宗の正林寺が当地に移り、坊が再興した。

正林寺

 

文字がたくさん彫られていますが 内容不明

 

 

浄土宗 もとは北野真盛町にあったが、

享保年間(1716~36)恵空上人が師の義山上人の遺命を奉じ、

法然上人小松谷坊址に近いこの地を選んで移築された。

再建にあたっては九条家の庇護を受け、

大師堂には関白九条尚忠の扁額「正林寺」が掲げられている。

また「阿弥陀経石」が境内墓地にある。

 

知恩寺にも「阿弥陀経石」がある。

 

 

連記事 ➡  浄教寺    寺院下0035  浄教寺  浄土宗  平家・平重盛ゆかりの寺

寺院 前回の記事 ➡ 寺院山0497 阿弥陀寺 浄土宗

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寺院山0497 阿弥陀寺 浄土宗

2018年08月26日 05時07分29秒 | 寺院

 

寺院 前回の記事 ➡ 寺院山0496 元慶寺 

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寺院山0496 元慶寺 

2018年08月23日 05時49分25秒 | 寺院

 

華頂山と号し、「花山寺」とも呼ばれる。当寺は貞観11年(869)遍昭僧正が陽成天皇の降誕に際して発願し、天皇の母藤原高子よよって建立されたと伝わる。旧地は西北の花山山にあったとのことである。元慶元年(877)定額寺となり、年号をとって寺名とした。寛弘2年(1005)、花山天皇が女御忯子の死を傷み、当寺にて出家落飾し、花山法皇と号された。現在の建物は安永年間(1772~81)の建立とつたえ、本堂には本尊薬師如来像のほかに遍昭自作とつたえる木像や花山法皇の宸影等を安置する。竜宮づくりの山門は天台寺院としては珍しく、また楼上に安置する梵天・帝釈天立像がある。寛政9年(1797)在銘の梵鐘がある鐘楼がある。

寺院前回の記事 ➡ 寺院山0495  西念寺  浄土宗

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寺院山0495  西念寺  浄土宗

2018年08月20日 06時00分17秒 | 寺院

 

寺院 前回の記事 ➡  寺院山0494  當麻寺 (たいま)

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寺院山0494  當麻寺 (たいま) 

2018年08月13日 22時06分51秒 | 寺院

 

本堂に安置する本尊阿弥陀如来坐像は像高2.67メートル、寄木つくり、漆箔、定印をむすんだ丈六の巨像です。

寺院 前回の記事 ➡ 寺院山0493  山科別院長福寺 真宗大谷派

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寺院山0493  山科別院長福寺 真宗大谷派

2018年08月10日 16時38分08秒 | 寺院

 

元文元年(1736)に建立された。山科は、蓮如上人が山科本願寺(1482~1532)を建立した地であり、上人の真宗再興が実現された場であった。

江戸時代のはじめ、本願寺は東西両派に分かれ、別々の道を歩むことになり、慶安3年(1650)には、本願寺が所有していた山科本願寺旧跡地の所属をめぐり相論が起こった。この相論は、ついには奉行所の裁決を仰ぐことになるが、東西どちらの所有も認められず、旧跡地は奉行所の預かりとなった。その後も数度の相論を重ねるも旧跡地が帰属することはなかった。そのため東西両派は、蓮如上人の山科本願寺旧跡を再興するかたちで、旧跡地に隣接する土地に御坊(別院)を建立することとなった。東本願寺は、享保17年(1732)に旧跡地の北側に位置する竹鼻村領を買い取り、御坊建立に取り掛かった。この時、当初入手した土地は現在地より南東に位置し、四宮川の西岸だったが、狭小だったためか今の土地に変更された。御坊建立の際、京都の東本願寺寺内にあった長福寺という寺院を移転し、山科御坊とした。その故に山科別院には、長福寺という寺号がつけられている。京都市

 

東御坊

昭和11年4月  京都 和谷悟平 建立

 

寺院 前回の記事 ➡ 寺院山0492  光照寺  浄土宗

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寺院山0492  光照寺  浄土宗

2018年08月02日 06時54分47秒 | 寺院

 

寺院 前回の記事 ➡ 寺院左0491  西福寺 浄土宗

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寺院左0491  西福寺 浄土宗

2018年07月30日 06時38分09秒 | 寺院

 

関連記事 ➡  寺院東0380  西福寺  子育地蔵尊

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寺院 前回の記事 ➡ 寺院左0490 岩倉 実相院


寺院左0490 岩倉 実相院

2018年07月23日 07時29分30秒 | 寺院

 

寺院内の 石仏

岩倉山と号し、もとは天台宗寺門派(三井寺)に属する門跡寺院であったが、今は単立寺院となっている。

鎌倉時代初期の寛喜元年(1229)鷹司兼本の子静基僧正の創建。はじめ北区紫野上野町にあったが、のち上京区実相院町に移り、応永18年(1411)義運僧正のときに岩倉大雲寺の塔頭成金剛院の現在地に三転した。その後兵火で罹災したが、寛永年間(1624~44)、足利義昭の孫、義尊僧正に至って復興された。その後、後西天皇皇子義延・伏見宮邦永親王の子義周各法親王が相次いで入室されるに至って寺運は隆昌し、岩倉門跡、実相院門跡と称される名刹になった。

客殿・御車寄など、東山天皇の后、承秋門院の死去に際し、大宮御所の建物を賜ったもので、現存する数少ない女院御所といわれている。寺宝には、後陽成天皇宸翰「仮名文字遣」(重文)、後水尾天皇宸翰「忍」他、狩野永敬をはじめとする狩野派による襖絵を多数蔵する。

関連記事 ➡ 実相院門跡展

         実相院門跡展 幽境の名刹  於*文化博物館

         岸駒居住地  石碑

寺院 前回の記事 ➡ 寺院北0489 心光院 浄土宗

 


寺院左0489 心光院 浄土宗

2018年07月20日 06時00分44秒 | 寺院

 

紫雲山と号する浄土宗知恩院派の尼寺で、正保2年(1645)の創建。本堂に安置される本尊阿弥陀如来、両脇侍坐像(重文・鎌倉時代)は、大原三千院の来迎仏と同じく、中尊は来迎相の阿弥陀如来で、半丈六の巨像、脇侍の観音・勢至はやや小さく三体とも寄木造り、藤原末期の様式を伝えている、脇侍は鎌倉末期の作とみられる。

拝観謝絶 とある

石仏

寺院 前回の記事 ➡ 寺院左0488 天授庵  南禅寺塔頭