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石碑 坂本龍馬妻お龍の実家 楢崎家跡

2015年12月19日 07時09分50秒 | 石碑

 

 

坂本龍馬妻お龍の実家 楢崎家跡

柳馬場三条下ルのこの付近は、のちの坂本龍馬の妻お龍(鞆)の実家跡です。お龍は、青蓮院宮に仕える内・外科医、楢崎将作の長女です。天保12年(1841)に富小路六角付近で誕生し、しばらくしてこの地に移り住んだと思われます。お龍には、父母の他に、弟妹が4人もおりましたが、家事を任されることもなく、華道、書道、茶道などのおけいこごとに専念できたようです。父在世中は、いわば良家のお嬢様として、裕福に暮らしていたといえます。

文久2年(1862)6月20日、父楢崎将作がなくなると、一家の生活は一変します。長弟太一郎はまだ幼少で、亡父に代わって家族をやしなうことができず、とうとう一家はばらばらになります。

お龍とは別行動をとった母貞と末娘の君江は東大仏方広寺南門(現在三十三間堂南大門)前の河原屋五兵衛(もしくは五郎兵衛)の隠居所に居住する土佐亡命志士の賄いのため、住み込みで働きます。ここに龍馬が住んでいたのです。これが龍馬しお龍の出会うきっかけとなります。龍馬はお龍を紹介した姉乙女宛ての手紙に、さまざまな彼女の個性を記し、「まことにおもしろき女」と評価しました。龍馬が愛したお龍の人格が形成された場所、それは父の死まで一家団欒をすごしたこの地であったことにちがいありません。以上の理由から、当地を龍馬に関する重要史蹟とし石碑を建立するものです。

歴史地理研究者 中村武生

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