アートプラス京めぐり

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京都市外も始めました 先ずは京都南部から

まち歩き伏0341  伏見  枯山水の公園 庭

2017年01月08日 21時11分16秒 | まち歩き

 

 

石はあるが

雑草が多すぎる 

全体がわかりづらい

 

 どうも 手入れができていない様子です

 まち歩き 前回の記事 ➡  まち歩き伏0340  御地蔵さん と 石碑

川柳                                        

軽トラの迎えをきらう十五の娘(こ) /十文半

ことわざ

商人の元値(あきんどのもとね)

商人は元値、原価を高めに言うことが多く、信用できないということ。

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石碑伏0101  薩藩九烈士遺蹟表

2017年01月08日 10時35分39秒 | 石碑

 

 

薩藩九烈士遺蹟表

文久2(1862)年4月23日,  薩摩藩士有馬新七らは同藩主の父島津久光が上洛したことを機に,倒幕の兵を挙げようと寺田屋に集結したが、久光は鎮圧のため同藩士を派遣,藩士同士の闘争に及んだ。世にこれを寺田屋騒動という。この事件で死んだ9名は世に九烈士と称され,伏見大黒寺に葬られた。この碑は伏見寺田屋で闘死した薩摩藩士9名を、明治維新のさきがけとして顕彰する碑である。

 

 

 薩藩九烈士遺蹟表【篆額】 

 大丈夫挙事不必身収其功使後人継起以成吾志則喪元段*亦無所憾

  焉何哉志在天下国家非為一身謀故也往時幕府失政内訌外侮衆心乖

 離識者皆知起帥問罪以復   王権之為急務然告之士大夫則曰時機未

 

 至告之侯伯則曰時機未至乃告之公卿縉紳亦曰時機未至嗚呼坐待時

 機日復一日孰能挺身發難於是薩藩九烈士糾合同志奮欲挙兵有司諭

 止不聴格闘殞命于伏見逆旅寺田屋世或惜其徒死無功殊不知一死以

 

  鼓動海内士気是其素志他日于五条于生野于天王山豪傑踵起百折不

 撓薩長諸藩亦出師勤   王成中興大業果不違其所豫期死者而有知応

 含笑地下也九烈士者為誰曰有馬新七曰田中謙助曰橋口伝藏曰柴山

 

 愛次郎曰弟子丸龍助曰橋口壮助曰西田直五郎曰森山新五左衛門曰

 山本四郎其死実文久壬戌四月廿三日今茲甲午三十三囘忌辰伏見人

 追慕修祭建銅表于寺田屋遺址請文于余余嘗過宇治平等院弔源三位

 

 故跡所謂扇芝者低徊不能去蓋寿永中平氏専横頼朝義仲等挙兵討伐

 以亡之然非三位首倡発難安能得遽奏偉勲此地距宇治咫尺而九烈士

 事又相類焉故余揮筆大書表其功烈與扇芝並伝美千載後人過此亦必

 有低囘不能去者矣

 明治廿七年五月      正四位勲四等文学博士川田剛撰

                                                         從五位長#書

        参謀総長兼神宮祭主陸軍大将勲位熾仁親王篆額

 

 

薩藩九烈士遺蹟表 碑文の大意

 志を持った男子は,自分の手によって大事をなしとげられなくても,あとに続く人が成就してくれれば満足するものである。幕末に開国の論議が起こったとき,幕府の体たらくは見るにたえなかった。幕府を倒して王政に復することが急務であることをみな理解はして

いたが,その立場にある大名や公家に言っても,その時期ではないという答えが返ってきて,誰も実行する者はいなかった。このとき,薩摩藩の九烈士は同士を集めて挙兵を計画し,藩の上役が止めたが聞かずに伏見寺田屋で闘争して命を落とした。目的を果たさ

ず犬死だといわれたが,自分を犠牲にしても天下を動かすことが目的だったのを人は知らないのである。後日,五条や生野や天王山で志士が蹶起し,ついに薩長の両藩の力で維新の大業を成し遂げた。これこそ彼らが期待していたことなのである。もし地下の彼ら

が知ることができたら,会心の笑みを浮べることだろう。九烈士とは,有馬新七,田中謙助,橋口伝蔵,柴山愛次郎,弟子丸龍助,橋口壮助,西田直五郎,森山新五左衛門,山本四郎である。彼らが命をおとしたのは文久2年4月23日(1862年5月21日)のことで

あった。ことし明治27年は九烈士の三十三回忌で,伏見の住人は供養を行い寺田屋の遺址に銅の碑を建て,その碑文をわたしに依頼した。わたし(碑文の筆者川田剛)はかつて宇治平等院を訪れ,源三位頼政の古跡を弔った。平家が横暴を極めるなか,失敗した

とはいえ頼政の挙兵がなければ平家は滅亡にいたらなかったであろう。この地寺田屋は宇治から遠くないところにあり,九烈士の事績もまた頼政と似ている。頼政の古跡に感動したわたしは,だから碑文を執筆することにした。のちの世の人もわたしが頼政の古跡で

やったように,しばらくたたずんで去りがたい気持ちになる者があるだろう。

石碑はここにあり  ➡  史跡伏019  寺田屋 坂本龍馬ゆかりの宿

 石碑 前回の記事 ➡  石碑伏0100 寺田屋恩賜紀念碑  伏見の寺田屋で

 

川柳                                        

 

三匹も犬を飼ってるホームレス /堀池

 

ことわざ

商人の空誓文(あきんどのそらせいもん)

商人の約束事は嘘が多く、信用できないということ。

 


まち歩き伏0340  御地蔵さん と 石碑

2017年01月08日 08時15分03秒 | まち歩き

 

茶  金生園  と記されています

地蔵尊

 

地蔵尊は蔵の前に

 まち歩き 前回の記事 ➡  まち歩き伏338  伏見 変な道

川柳                                        

風の子を風邪の子にする過保護ママ /オペキチ

ことわざ

空き家の雪隠(あきやのせっちん)

「雪隠」は便所のこと。人の家を訪ねていくら呼んでも返事がないとき、「声なし」にかけて「肥なし」としゃれたことば。ものが言えない。返答がないの意味。

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