アートプラス京めぐり

京都の探索、記事数6500 いろいろなテーマで京都をめぐります 
京都市外も始めました 先ずは京都南部から

社号標北0716  松ヶ﨑大黒天 寺号標

2020年03月31日 05時47分17秒 | 寺院

大正6年1月建立

 

 

寺院 前回の記事 ⇒ 寺院北0715 霊源寺 

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寺院北0715 霊源寺 

2020年03月30日 09時31分48秒 | 寺院

 

寺院 前回の記事 ⇒ 寺院北0714  涌泉寺 日蓮宗 石仏 慰霊碑 洛陽6檀林

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蔵のある風景北0397回  松ケ崎小学校 付近

2020年03月29日 09時12分11秒 | 蔵のある風景

蔵のある風景 前回の記事 ⇒ 蔵のある風景北0396回  松ケ崎小 付近

 


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井戸ポンプ北019 松ケ崎小学校の敷地に

2020年03月28日 05時57分22秒 | まち歩き

関連記事 ⇒ まとめ052 関連0009  手押し井戸ポンプ

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ニュース017 都道府県別 高齢者人口比率

2020年03月27日 06時06分21秒 | ニュースいろいろ

都道府県 65歳以上 75歳以上(%)

秋田     34.7   18.8
高知  33.6   17.6
島根  33.1   17.9


山口  32.8   16.7
徳島  31.8   16.4
和歌山 31.6   16.1


山形  31.5   17.2
愛媛  31.4   16.1
大分  31.2   16.2


富山  31.1   15.5
岩手  31.1   16.7
青森  31    15.8


長野  30.7   16.1
香川  30.6   15.3
新潟  30.6   16


長崎  30.5   16
鳥取  30.4   16.1
宮崎  30.3   15.9


鹿児島 30.1   16.4
北海道 29.9   14.8
奈良  29.6   14.1


福島  29.5   15.3
熊本  29.5   15.7
岡山  29.3   14.8


福井  29.3   15
山梨  29.1   14.9
岐阜  28.8   14.1


静岡  28.5   14
三重  28.5   14.2
佐賀  28.5   14.8


石川  28.4   13.7
群馬  28.3   13.7
広島  28.2   13.7


京都  28.1   13.5
兵庫  27.8   13.3
茨城  27.6   13


全国  27.3   13.3
大阪  26.8   12.6
栃木  26.7   12.6


福岡  26.6   12.9
千葉  26.5   12
宮城  26.4   13.2


埼玉  25.5   11.3
滋賀  24.8   11.8
神奈川 24.4   11.4


愛知  24.3   11.3
東京  22.9   11.2
沖縄  20.4   10.4

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寺院北0714  涌泉寺 日蓮宗 石仏 慰霊碑 洛陽6檀林

2020年03月26日 09時14分54秒 | 寺院

 

生師廟は、本涌寺の鼻祖である日生上人の廟堂として建てられたもので、享保13年(1728)の建立である。

 

湧泉寺
日蓮宗の寺院であり、日像上人を開山とする。大正7年(1918)妙泉寺と本涌寺が合併して涌泉寺と改名した。
妙泉寺は、はじめ天台宗に属して歓喜寺という名の寺院であったが、永仁年間(1295頃)日像上人が京の都を中心に日蓮宗を広めた際、当時の妙泉寺住職 実眼をはじめ村人が熱心に信仰するようになり、村民は説教に感激してお題目を唱えながら踊ったとされている。
その踊りは「松ケ崎題目踊り」の名で有名となり、江戸時代の初めには後水尾上皇も見物に御幸されたことがあったという。
題目を基調にしたもので法華経の功徳を歌詞に折り込みながら踊り明かす法華信仰の姿そのものであり、現在は毎年8月15日と16日の夜、当寺境内で行われ、重要民俗文化財に指定されている。また妙泉寺の堂舎跡(現在の松ケ崎小学校)は天文5年(1536)の天文法華一揆によって焼失したが、豊臣秀吉が再興し法華一門の学林も置かれた。山門傍らに「法華宗根本学室」と刻まれた石碑が残されている。

 

 

 

殉国戦没者慰霊碑

 

 

 

涌泉寺は、大正7年(1918)に本涌寺と妙泉寺が合併してできた日蓮宗の寺院で、本堂は本涌寺のものに当たる。本涌寺は、妙泉寺第12世教蔵院日生上人(後の本山本寺第12世)が天正2年(1574)に開創した松ケ崎檀林で、この檀林の講堂だったのが現在の本堂である。造営年代は、承応3年(1654)頃と考えられる。

洛陽6檀林中でもっとも古い。

① 善正寺(左京区岡崎)  ② 常照寺(北区・鷹ケ峰) ③ 直経寺(向日市) ④ 本圀寺(山科区) ⑤ 護国寺(山科区) 

⑥ 本涌寺 (現涌泉寺)

 

 

関連記事 洛陽6檀林

     まとめ053 関連0011  慰霊碑  戦没碑

寺院 前回の記事 ⇒ 寺院北0713  浄福寺

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神社北0227 七面大天女宮 

2020年03月25日 06時50分16秒 | 神社

 

 

 

 

 

日輪・月輪の滝

滝の高さは約10m、山中から流れる水を、浅い滝つぼに水垢離ができるようになっている。

寺伝によると、日像上人がこの滝の水を以て曼陀羅を書いたといわれ、妙泉寺の名もこれによるという。

傍らに天正4年(1576)日諦上人が勧請した七面社がある。

 

 

神社 前回の記事 ⇒ 神社北0226 新宮神社  紀念碑   京都市・松ケ崎

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蔵のある風景北0396回  松ケ崎小 付近

2020年03月24日 09時16分18秒 | 蔵のある風景

 

 

 

蔵のある風景 前回の記事 ⇒ 蔵のある風景北0395回 松ケ崎 近辺

 


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人物047  桔梗屋辰路 幕末の志士との悲恋

2020年03月23日 07時50分52秒 | 人物数々

京都市山科区の川崎泰市さんは回想する「子供のころから母親らに『お前の大ばあちゃんは島原の勤王芸者やったんやで』とよく聞かされた」という。

1980年(昭和55年)、小川煙村という新聞記者が著した『勤王芸者』(初版・明治43年)を見た。

本は、明治政府の高官木戸孝允(桂小五郎)の妻となった京都・三本木の幾松(松子)ら幕末の志士を支えた京都の芸妓の裏話を、元勤王芸者から取材して執筆したというものです。その中に長州の吉田松陰門下の久坂玄瑞が登場するが、その恋人が芸妓の桔梗屋辰路(ききょうやたつじ)だ。川崎さんは、曾祖母タツと辰路が同一人物と考え始めた。

その辰路ことお辰は1910年(明治43)まで生きていて、煙村はその本人にもインタビューして本を書いており、興味をもった川崎さんは、辰路と玄瑞が初めて会ったという島原の揚屋・角屋に行ってみた。新選組幹部がよく利用したところで、なぜ彼らに追われる志士らが利用したかという疑問はあったが、角屋先代の中川徳右衛門13代当主が「『勤王芸者』に書かれていることは事実です」ときっぱりと証言したという。

川崎さんは「それどころか幕末の角屋で仲居をしていて、『勤王芸者』のなかでも玄瑞と辰路のなかを取り持ったとされる。笹尾とめの回顧記録があることを教えられ、玄瑞と辰路の恋が事実であることが証明できた」という。角屋には、当時の太夫や芸妓の名簿も残っていて、桔梗屋という置屋の項に、辰路の名が墨書さりているのも確認したほか多くの事がわかった。

それによるとお辰の本名は西村、父親は市兵衛、生まれたのは1846年(弘化3)3月25日。18歳で島原の芸妓となり、間もなく角屋で、仲居とめの世話で玄瑞と宴席を同じくして恋人になったという。玄瑞は辰路が美人でしとやかだっただけでなく、詩歌などの教養のあるところにほれたらしい。玄瑞は1863年(文久3)の七卿落ちで、三条実美らに従って京を離れる時、辰路に別れの手紙を送っているが、その末尾の歌はその心情を明白にしている。

「軒端の月の露とすむ さむき夕べは手枕に ついねられねば橘の 匂へる妹の恋しけれ」

玄瑞には国元の萩に妻文子がいた。しかも松陰の実妹である。東奔西走の生活の玄瑞はほとんど萩を留守にしたようだが、1864年(元治元)7月18日の禁門の変で長州勢が敗れ、戦死(切腹)するまで、ずいぶん手紙を送っていたという。

辰路は明治3年、芸妓を廃業して、葛野郡大内村の豪農に嫁ぎ、裕福な生涯を過ごした。

そしてその辰路が1864年(慶応元)に島原で小八郎という子を生んでいるのだ。父親は不明。その小八郎が川崎さんの祖父で、6歳まで島原で育ち、昭和時代まで存命していた。養子縁組などで川崎姓となったが、その二女ユタが川崎さんの母親だ。川崎さんは「もっと曾祖母のことを聞いておけばよかった」と。

禁門の変の直前の6月、辰路、玄瑞の最後の別れはきた。長州兵を率いた玄瑞は天王山の陣営から辰路にあいたい一心で駕籠で角屋に乗り込んだが新選組の警戒厳しく、やむなく引き上げたという。そのあと辰路は話を聞いて、足袋はだしで駆け出し東寺付近で追いついた。ここで玄瑞は「身体を大切にせよ」などと辰路をさし金二十両を渡したというこのくだりは小説にもなり、版画「久坂をお辰」(小村雪袋)にもなっている。

 

島原は、わが国最初の公許の花街で、当初二条柳馬場に開かれ、その後六条三筋町(東本願寺北側)に移転、1641年(寛永18)、現在地に移った。急な移転騒ぎが島原の乱に似ていると島原の名で呼ばれるようになったという。島原には揚屋と置屋があって、揚屋は太夫や芸妓らを一切かかえず、置屋から太夫らをよんで歌舞音曲などを交えて宴会を催す、もてなしの場であったという。公娼制度の遊廓とはまったく関係がなく、その文化性や歴史的意義を周知するために美術館として開館した。

 

関連記事

 建物下008  島原大門 

 建物下007  輪違屋・わちがいや  かつて置屋だった

 角屋 ・ 角屋もてなしの文化美術館

 蔵のある風景  62回 島原・角屋

 

人物検索 一覧

 

 


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地蔵尊北064 地蔵尊 家と同化しています

2020年03月22日 07時00分28秒 | 地蔵尊

 

 

地蔵尊 前回の記事 ⇒ 地蔵尊北063 深泥池地蔵尊

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蔵のある風景北0395回 松ケ崎 近辺

2020年03月21日 07時40分08秒 | 蔵のある風景

 

蔵のある風景 前回の記事 ⇒ 蔵のある風景井手0394回 JR奈良線 玉水駅付近

 


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神社北0226 新宮神社  紀念碑   京都市・松ケ崎

2020年03月20日 07時58分19秒 | 神社

 

 

 

紀念碑

明治27,8年戦役

明治37,8年戦役   従軍者、応召者、戦死者

 

新宮神社
猿田彦神を主神とする旧松ケ崎村(西部)の産土神で、社伝によれば、もと大比叡大明神と称したが、徳治2年(1307)一村改宗のとき、新宮大明神を勧請し、日像上人の書いた法華経と曼陀羅を合祀し、妙泉寺によって祭祀されていたという。明治初年の廃仏毀釈に際して白髭神社と称し、明治20年(1887)新宮神社と改めた。境内には本殿・拝殿・末社二宇の建物がある。
因みに毎年10月23日に行われる当社の祭礼には、神輿の巡幸は行われない。その理由はの一村改宗のとき、旧来用いてきたものを背後の山中に埋めたからといわれ、その埋めたところを神輿塚・経塚・珠数塚と称している。

 

 

関連記事 ⇒ まとめ053 関連0011  慰霊碑  戦没碑

神社 前回の記事 ⇒ 神社北0225 末刀 岩上神社

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まち歩き北1171 小川 きれいな水だ

2020年03月19日 06時41分24秒 | まち歩き

 

 

まち歩き 前回の記事 ⇒ まち歩き北1170  桜井の水  

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まち歩き北1170  桜井の水  

2020年03月18日 06時28分05秒 | 名水を訪ねて

 

 

 清少納言  桜井

 白河天皇皇子桜井僧正(行慶) 

 後鳥羽天皇皇子 覚仁法親王

まち歩き 前回の記事 ⇒ まち歩き北1169 少年野球の像

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神社北0225 末刀 岩上神社

2020年03月17日 06時57分18秒 | 神社

 

式内 末刀 岩上神社

大正2年4月 建立

 

 

巨大な自然石を神体とされています

口碑によれば、この岩はむかし兵庫の海中から得たものといわれ、岩上大明神と号し、牛馬漁労の神として崇敬されているという。

一時、式内末刀(まとう)神社を併称したことがあったが、近年旧名になった。

神社 前回の記事 ⇒ 神社北0224  貴舩神社

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