アートプラス京めぐり

京都の探索、記事数6500 いろいろなテーマで京都をめぐります 
京都市外も始めました 先ずは京都南部から

寺院左0722 真乗院 応仁の乱の首謀者・山名宗全公の墓所

2020年04月30日 06時20分51秒 | 寺院

永享8年(1436)に山名宗全(山名持豊)が香林宗簡(139世)の塔所として開いた塔頭で、境内墓地に宗全の墓がある。

 

寺院 前回の記事 ⇒ 寺院左0721  牧護庵 

   次回の記事 ⇒ まち歩き中1323 京の通り・富小路通 NO7 寺院中0723 東漸寺

関連記事 ⇒ 山名宗全 邸跡  6月21日 NEW

下の地図のユーザー地図 の囲みをクリックすると 付近の記事が探せます


神社左0228 北白川天神宮 石碑・紀元2600年

2020年04月25日 06時16分05秒 | 神社

すぐ 石橋が見える

 

北白川一帯は、1万年を超える縄文時代より集落が営まれていた環境エネルギーの良地である。ここに延喜以前より天使大明神と唱え、我国病気平癒健康長寿の神少彦名命が祀られていた。八代将軍義政公が東山山荘造営に際し、今の千古山明神の森に遷座された。遠く比叡山を望み外山・丸山・瓜生山より昇る日輪と共に拝すみの宮山は、古来幽邃の仙境で悪疫伝播で始まった祇園会に列した白川黒鉾と共に永い歴史の大的・高盛・神事神輿に39個の提灯を付け、篝火の中、133段の石段を担ぎ上げ還幸、担ぎ下す勇壮な秋祭り等が絶えることなく続けられている。
平安時代ここは都に近く宮廷の貴族、大宮人が風光明媚な白河街道沿いにこぞって山荘を営み、詩歌に興じた。また、白川石と花の里で男は石工でその秀でた技術を神社前の橋に残している。女は白川女として代々受け継ぐ地域へ花を届けている。石工・白川女共に数は激減したが現存している。宮廷や貴族の影響で衣装は白黒鮮やかかつ立体的で京女人風俗中、特に優れている。名水にも恵まれ、遠方より水くみに訪れる人が多い。白川の川面になびく糸桜として都紅糸桜など見事である。 京都市

 

歌碑

 

花塚  昭和38年4月建立
白川女花行商組合結成25周年記念

 

  白川里
昭和38年4月建立
白川女風俗保存會結成15周年記念

 

 

 

忠魂碑
大正11年10月建立
帝国在郷軍人會北白川分會

 

昭和55年

 

 

 

 

 

 

 

大崎元義翁像

 

 

 

 

皇紀2600年記念 おやね乃松

 

関連記事 ⇒ まとめ006 紀元2600年石碑・献木・奉納額

      まとめ053 関連0011  慰霊碑  戦没碑 

神社 前回の記事 ⇒ 神社北0227 七面大天女宮 

下の地図のユーザー地図 の囲みをクリックすると 付近の記事が探せます

 


道標左0297 後花園天皇御遺蹟之地 三宅石碑

2020年04月22日 07時26分40秒 | 道標

 

昭和5年7月  三宅洛園(三宅清治郎) 建立

関連記事 ⇒ 関連0022  三宅安兵衛 石碑 その2

道標 前回の記事 ⇒ 道標左0296 哲学の道

   次回の記事 ⇒ 道標左0310 若王子 

下の地図のユーザー地図 の囲みをクリックすると 付近の記事が探せます

 


まち歩き左1175 市電が2両 保存されていました

2020年04月17日 07時07分58秒 | まち歩き

 

 

 

関連記事 ⇒ まち歩き下0499 梅小路公園の市電 昔の市電の写真

市電のあるところ  ⇒   まち歩き伏0365  小学校 校庭に市電がありました
             まち歩き左0198  図書館前広場に市電
               

まち歩き 前回の記事 ⇒ まち歩き左1174  北白川 御殿橋 親柱

下の地図のユーザー地図 の囲みをクリックすると 付近の記事が探せます