アートプラス京めぐり

京都の探索、記事数6500 いろいろなテーマで京都をめぐります 
京都市外も始めました 先ずは京都南部から

史跡宇治085  旦椋遺跡

2020年12月27日 07時48分28秒 | 遺跡・遺物

 

 

旦椋遺跡

旦椋遺跡は、宇治丘陵から木津川にむかうゆるやかな斜   する、古墳時代から奈良時代にかけての遺跡です。

市営住宅の建設にともなって行われた発掘調査(平成5年)では、6世紀後半の古墳や7世紀から8世紀の村の跡がみつかりました。

古墳をめぐる溝の中や、村の部分から大量の土器が出土しました。

また東約100m地点の調査(平成19年)では、新たに4基の古墳と奈良時代の建物跡を確認しました。

古代の大久保周辺は、平安時代に書かれた『和名抄』  の見える「栗隈郷」に相当し、

古墳時代に久世郡に強い力  いた栗隈氏との関係が推測され まし  発見された  

や多くの土器は、この  ています。

遺跡 前回の記事 ⇒ 史跡木津川084 恭仁宮跡  内裏

   次回の記事 ⇒ 史跡亀岡086  丹波国分寺跡 

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史跡長岡京082 神足遺跡 旧石器時代~400年前

2020年09月04日 18時16分02秒 | 遺跡・遺物

 

土器から 大阪や滋賀との交易があったとわかる。

青銅製の剣も出土している

 

史跡 前回の記事 ⇒ 史跡長岡050 勝竜寺城跡 細川ガラシャが住んでいた

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史跡向日064 物集女城跡

2020年01月16日 06時30分26秒 | 遺跡・遺物

 

 

 

 

物集女城跡
物集女城は、中世にこの地帯を本拠としていた国人(土豪)物集女氏の居城跡と考えられています。
物集女氏は細川藤孝から安堵を受けたが、物集女氏は従わなかったために殺された。

 

 

史跡 前回の記事 ⇒ 史跡向日063 中海道遺跡

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史跡向日063 中海道遺跡

2020年01月15日 05時54分06秒 | 遺跡・遺物

 

 

 

 

中海道遺跡の豪族居館と祭殿

古墳時代初頭 豪族の居館があった。 弥生時代にはなかった斬新なスタイル。

まつりの儀式に使われた祭殿。

 

 

 

 

 

史跡 前回の記事 ⇒ 史跡向日062 願徳寺宝菩提院 跡

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古墳向日26  南条古墳

2020年01月13日 20時00分30秒 | 遺跡・遺物

 

 

 

 

古墳 前回の記事 ⇒  古墳向日25 五塚原古墳 (いつかはら)

   次回の記事 ⇒  まち歩き長岡京1327 長岡京市 古墳長岡京27 恵解山古墳(いげの山) 

    まとめ0029  古墳

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史跡向日061 長岡宮跡 牛車 わだちの跡

2020年01月10日 12時19分00秒 | 遺跡・遺物

長岡宮跡 牛車わだち跡

人や牛の足跡も見つかりました。模型は 京都府立山城郷土資料館で保管されています

史跡 前回の記事 ⇒ 史跡井手060 六角井戸

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古墳向日25 五塚原古墳 (いつかはら)

2020年01月10日 06時25分27秒 | 遺跡・遺物

 

 

五塚原古墳

古墳時代前期、今から1650年前の前方後円墳です。1977年の調査で全長94m、墳丘斜面には葺石があり、裾部では埴輪片も採集されています。

 

 

 

 

 

 

 

 

古墳 前回の記事 ⇒ 古墳向日25 元稲荷古墳

                                    https://blog.goo.ne.jp/korede193/e/3bcfa50f970d356e071cf06af9457620

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古墳向日25 元稲荷古墳

2020年01月09日 06時27分58秒 | 遺跡・遺物

 

乙訓地方では最も古い時期の古墳。 刀剣・槍・斧などの副葬品が残っていました。出土した特殊器台形埴輪や壺型土器の発見によって「埴輪のルーツ」が明らかになったという重要な古墳です

文化資料館では 実物の天井石を見学できます。

 

 

 

 

古墳 前回の記事 ⇒ 古墳向日24 妙見山古墳

関連記事 文化資料館  ⇒ まち歩き向日1142 向日市文化資料館 展示内容

            まち歩き向日1141 向日市文化資料館

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古墳向日24 妙見山古墳

2020年01月08日 15時25分50秒 | 遺跡・遺物

 

 

  

古墳 前回の記事 ⇒ 古墳向日23 寺戸大塚古墳 

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まち歩き向日1142 向日市文化資料館 展示内容

2020年01月07日 19時53分22秒 | 遺跡・遺物

 

 

 

遷都3年目 長岡宮の改造始まる

 

築地塀の見本です

 

翔鸞楼

 

 

都づくり 31万人の農民が諸国から集められた

難波宮の建築材が利用された

 

庶民の食事  カロリー源は玄米の大盛 ?

 

 

木簡にみる税の貢進国  税の都への集中 約20ケ国から物質が送られていた

 

下級役人の仕事  

書記官は 墨すり・木札づくり・食事の世話・膨大な書類の処理・1年140日以上6年間で勤務評定

 

役所のしくみ 役人の総数は8000人 

 

 長岡京の主な役所の機構

 

軽間 嶋枌

 

 

木簡にみえる食物

 

 

役人の食事 市での買い物が楽しみの1つ

 

 

 

長岡京 東院跡

 

東院跡で発見された建物群

 

 

 

 

井戸

 

 

桓武天皇

 

宮都と政治

 

鴟尾

 

藤原種継

 

 

 

長岡京の文書   土地売買

 

貴族のくらし

 

 

貴族の食事

 

 

百済王 明信

 

 

庶民のくらしと市

 

おそれといのり

 

 

平安京への道

 

 

店で売られていた物

 

 

 

 

 

はさみの歴史

 

 

 

 

朝堂院と内裏の変遷

 

長岡宮の役所

 

森本遺跡の人面土器

 

 

鶏冠井遺跡の銅鐸鋳型

 

 

 

 

 

 

 

まち歩き 前回の記事 ⇒ まち歩き向日1141 向日市文化資料館

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史跡宇治055  龍目井 (たつもくい)  隠元禅師

2019年12月16日 18時09分04秒 | 遺跡・遺物

 

 

 

龍目井(たつもくい)

この2つの井戸は寛文元年(1661)隠元禅師が万福寺を龍にたとえ、これを龍の目となし、天下の龍衆(僧侶)がこぞってこの地に集まることを念願して掘らせた井戸と伝わる。

 

史跡 前回の記事 ⇒ 史跡城陽054  縄文時代の遺跡 森山遺跡

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史跡城陽054  縄文時代の遺跡 森山遺跡

2019年12月07日 17時35分56秒 | 遺跡・遺物

 

森本遺跡

遺構の復元断面

古墳時代の方形周溝遺構の溝の断面をイメージ復元しました。

溝の底からお祭りに使ったと思われる土器がたくさん出土しました。

 

 

森本遺跡は、縄文時代後期(約4000年前)に人々が暮らした集落遺跡で、竪穴住居などが見つかっています。

キャラクターは、森山遺跡で暮らした縄文人の家族の中で、弓矢を使って狩猟を行う父親をモチーフにしています。

史跡 森山遺跡

縄文時代(今から約4000年前)から古墳時代(今から1400年前)の集落の跡です。縄文時代の集落は、広場を中心にU字形に6棟の竪穴住居が作られていました。また集落の南の端には、配石遺構し呼ばれる石を並べたお墓が見つかっています。

この集落では、20~30人くらいの人々が生活していたと考えられます。竪穴住居がたびたび建て替えられた跡がないことや出土した土器(縄文土器)から森山の集落は、短い期間の集落であったと想像されます。

この地に再び人々が住み始めるのが、弥生時代後期(今から約1800年前)です。竪穴住居2棟と甕を使ったお墓(甕棺)が見つかっています。

古墳時代前期(今から約1600年前)になると、1辺45mの周りに溝を持つ方形の盛土(方形周溝状遺構と呼ばれている)とこれをとりまく7棟の竪穴住居が営まれます。この方形周溝状遺構、周囲に溝や柵列の柱穴があることから豪族の館跡ではないかと考えられています。

森山遺跡は、昭和51年(1976)に宅地造成中に発見された遺跡です。しかし南山城地方では縄文時代の住居跡や縄文土器がまとまって見つかったのは初めてであり、また方形周溝状遺構は、全国的にも特殊な遺構であることから、遺跡の中心部約4850㎡が昭和53年(1978)2月8日国史跡に指定され保存が図られました。平成8年(1998)3月に整備を行い、整備に当たっては約1mの盛土をし、縄文時代の竪穴住居と古墳時代の方形周溝状遺構の一部復元と平面表示を行いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

史跡 前回の記事 ⇒ 史跡城陽053 正道官衙址 

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古墳城陽21 芝ケ原遺跡  

2019年12月05日 18時10分35秒 | 遺跡・遺物

 

芝ケ原遺跡は、東から西に延びる芝ケ原丘陵にひろがる遺跡です。これまでの発掘調査で、古墳時代後半から飛鳥時代の集落跡や古墳時代中ごろの古墳などが見つかっています。また遺跡の範囲内には、芝ケ原古墳群や久世廃寺があります。

集落跡からは、竪穴住居と掘立柱建物があわせて約200棟みつかっており、大規模な集落であったことがわかってます。竪穴住居は、一辺が2~6mあり、ほとんどがカマドを持っています。竪穴住居は、出土遺物から古墳時代後期(6世紀後半)~飛鳥時代初め(7世紀初め)に営まれたものと考えられます。掘立柱建物は、8.3m×3.8m(5間×2間)のものが最も大きく、また倉庫と考えられる建物も4棟みつかっています。

掘立柱建物は、出土遺物から古墳時代末(6世紀末)~飛鳥時代末(7世紀末)のものと考えられます。芝ケ原遺跡の集落では、竪穴住居から掘立柱建物へ徐々に変化していった様子が確認でき、当時の住居の移り変わりを知ることができます。

古墳は小規模な方墳で、古墳時代中期(5世紀)の大形円墳である芝ケ原10.・11号墳の南側に隣接して5基が見つかっています。規模は、1辺が7.5~16mあり、幅1~2mの周溝がめくります。

墳丘や埋葬施設は、削られてしまい残っていませんでした。

周溝から出土した埴輪から、古墳時代中期後半(5世紀後半)の築造と考えられます。この他に、埴輪を転用した埴輪棺(埴輪を使った棺桶)も5基見つかっています。

また、約2万年前の旧石器時代の石器が3点(舟底形石器1点とナイフ形石器2点)出土しており、城陽市内で最も古い人々の営みを示す資料です。

12号墳で、車輪石形銅製品2個は弥生式時代の貝釧(腕輪)を模したもので、環の直径は12.9cm、内径(中央の穴)は5.7cm、厚さ1~2ミリ。周縁部に36の突起をもつのが特徴で、表面には72の突線が入っていた。わが国では初めての出土品として注目されている。

 

 

 

古墳 前回の記事 ⇒ 稲荷古墳の上にある富岡大明神

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源氏物語遺跡29 大雲寺旧境内 北山の「なにがし寺」候補地

2019年11月12日 14時35分53秒 | 遺跡・遺物

 

 

大雲寺旧境内 北山の「なにがし寺」候補地

当辺は『源氏物語』「若紫」に登場する北山の「なにがし寺」の候補地の1つとされ、元は大雲寺の境内地(寺は1985年に石座神社東に移転)で、現在は北山病院の敷地となっている。寺は紫式部の母方の曾祖父藤原文範が、出家した娘婿の真覚上人のために建立、円融天皇の御願寺となり、49院の僧院からなる叡山西麓最大の天台寺院で、真覚の師が三井寺(園城寺)の僧であったことから寺門派の一大拠点ともなった。

その後、冷泉天皇皇后昌子内親王による堂舎の建立で寺は拡大、岩倉観音院とも称し、この時の法要は盛大で、紫式部の父の藤原為時は何度も話題にしており、紫式部も訪れた可能性がある。

ここが「なにがし寺」候補地とされる理由は、都から比較的近い距離にあって高僧が住み、かつて庭に遣水のほか、趣きのある滝があって、光源氏がわらわ病の祈祷を受けた老僧の巌窟を想起させる雰囲気があることによる。旧境内には冷泉天皇皇后昌子内親王岩倉陵がある。なお「なにがし寺」の候補地としては早くから鞍馬寺が挙げられる。

 

 

 

不動の滝(妙見の滝)

古来、大雲寺で心の病がよくなるように加持祈祷をうける人たちの「垢離場」で、心の病の方々を滝に打たせると本復するといわれ、全国から霊験を求めて人が集まってきた。その人たちの滞在を引き受けた籠屋(のちに保養所と称した)の1つが、現在の北山病院へと発展した。

向かって右に「不動明王」 左に「妙見菩薩」を祀り、2筋の滝水が流れ落ちている。

明治以前は、背後の山腹に朝日妙見が祀られ洛陽十二妙見霊場の筆頭として妙見信仰の滝行場でもあった。 平成17年11月 大雲寺住職 酒井敬淳

 

 

関連記事 ⇒ 源氏物語の遺跡 40ヶ所

      お寺・神社めぐり02  洛陽12支妙見めぐり

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史跡長岡049 勝龍寺城土塁・空堀跡  長岡京市

2019年10月23日 10時19分28秒 | 遺跡・遺物

 

 

史跡 前回の記事 ⇒ 史跡宇治田原048  信西塚  平安時代・平清盛方

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