アートプラス京めぐり

京都の探索、記事数6500 いろいろなテーマで京都をめぐります 
京都市外も始めました 先ずは京都南部から

神社亀岡0252 亀岡 走田神社

2021年05月31日 17時51分04秒 | 神社

 

 

享保3年4月 の鳥居 (1717年)

走田神社

走田神社は社伝等によると和銅4年(711)に創祀されたといわれます。

また、平安時代の「延喜式」の「神名帳」に記載されている丹波国桑田郡19座の内の1社です。

祭神は彦炎出見尊、豊玉姫尊、彦波・・・の3社をお祀りしています。

この彦炎出見尊は神話「海幸彦、山幸彦」に登場する山幸彦にあたります。

豊玉姫尊は、山幸彦が海幸彦の釣り針を探しに行かれた龍宮に住む海神の娘で彦炎出見尊の妃となった方です。

・・・・はこの2神の御子です。

昔社殿に掛けられていた絵馬から馬が毎夜抜け出て草を食べ歩き、やがてその蹄の跡が窪地となり川になったといわれます。

この川は増水の時でも川音を立てないことから「不鳴川」とも呼ばれます。

この川は、干ばつの時でも枯れることがなく、近隣の田畑を潤しました。

また、この川の改修や泥さらえ等をするときは、

故事にしたがってその日には馬の好物である青豆を供えて祈願する風習が今も続いています。

また、境内の中に「垂乳味池」と呼ばれる清水があり、次のような話が伝わっています。

豊玉姫尊が子を出産した後、子を残し龍宮に帰っしまいました。

そこで残された葺木合尊は豊玉姫尊の妹である玉依姫により養育されることとなりました

玉依姫はこの清水の水で粥を作り乳のかわりとしました。

これより「垂乳味池」と呼ばれるようになりました。

後にこの清水は、乳の出の悪い婦人がこの清水で作った粥を食べると、乳がたくさん出るようになったといわれています。

 

日露戦役 凱旋軍陣團 建立

参道

チェーンソーで作った馬

向こうに見えるのが 本殿

御大典紀念  在郷軍人 亀岡町分會第2班

本殿

 

余部青年会創立10周年記念 月桂樹

大正9年1月植樹 

昭和8年8月建立

 

余部青年会  御大典紀念

宝暦3年 (1753年)

御大典紀念碑のあるところ ⇒ まとめ051 関連0008  御大典記念のあるところ

神社 前回の記事 ⇒ 神社木津川0251  涌出宮(わきでのみや) 和伎神社

   次回の記事 ⇒ 0252

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まち歩き亀岡1732 郷土出身 石田梅岩の展示 亀岡ガレリア

2021年05月30日 06時02分55秒 | まち歩き

梅岩は、江戸時代中頃の享保期を中心に活躍しました。

この時代は、近世封建社会のおおきな転換期にあたり、

徳川吉宗の「享保の改革」にみられるように、幕藩体制の矛盾が表面化します。

 その反面、商業の発達により町人が台頭してきます。

梅岩の教えはその町人層にひろまり、大阪・兵庫・奈良方面への出張講釈を行うようにもなりました。

 「人の人たる道」を求めながら、同時に商業活動における営利追及を積極的に肯定し、

勤勉と倹約を説き正直を勧めたことから、町人の自覚を高めることとなり、

この時代の風潮に適合していたと言えます。

 長年の研究成果の総決算として、元文4年(1739)55歳で『都鄙問答』

さらに、延享元年(1744年)59歳で倹約成果の総決算として、

さらに延享元年(1744)59歳で「倹約斉家論」を刊行しました。同年9月24日、60歳の生涯を閉じました。

 

生誕地

 

 

京都の学舎

「ひとの人たる道」を説き勧めるために京都へ出た石田梅岩は1729年(享保14年) 

45歳の時に、京都車屋町御池上ルの借家を講席に、念願の開講を実現しました。

聴講無料出入り自由、さらに女性もどうぞという当時としては型破りの講席でした。

この教えは、「石門心学」として、弟子の手島堵庵による講舎の組織化で、

いっそう波及の勢いを増し、全国各地へ広がってゆき、町人階層から武士階層にまで広く浸透していきました。

ここに設置された心学講舎は、石田梅岩が行った講席の場を、

現在にのこる同時代の町屋や、後に開設された明倫舎の模型などを参考に、

現代の心学講舎として復元したものです。

 

.

享保14年(1729)、梅岩45歳の時、京都車屋町御池上ルの借家を講席として初めて開講を実現しました。

「人の人たる道」を説きすすめるため京都へ出てから約20年後のことです。

 梅岩の思想は、神道・儒教・仏教、その他多くの思想を取り入れ体系化されたものといわれています。

その中で、梅岩が追及したのは、あくまでも民衆の日常生活の中に立脚する道徳的規範の確立でした。

つまり、人間の心を追求し人間の本質を見きわめる修行を実践しながら、

かつ現実社会にその原理を移行させることをめざしたといえます。

 京都での開講もこうした実践のひとつで、広く一般民衆に呼びかけ、

聴講無料出入り自由、女性の方もどうぞという内容は、当時としては型破りの講席でした。

このように梅岩の思想は単に学問上での認識にとどまらず、実行力を伴った思想であったといえます。

石門心学の祖として名高い石田梅岩は、貞享2年(1685)に現在の東別院町東掛に生まれ、名を勘平といった。

京都での奉公をする中で、小栗了雲という隠遁の学者との出会いにより、

長らく求めていた「道」を深く学ぶこととなり、さらに独学で研鑽を重ね、

約20年間にわたり勤めた商家を辞して、

享保14年(1729)45歳の時、京都の車屋町御池上ルの小さな借家で初めて開講した。

主な著書に「都鄙問答」 「倹約斉家論」 などがある。

 

梅岩亡き後、この教えは「石門心学」として受け継がれ、

手島堵庵による講舎の組織化でいっそう波及の勢いを増しました。

さらに、上川淇水手島和庵中沢道二などの有能な指導者が輩出し、

天明~享和年間(1781~1803)にかけて興隆期を迎えます。

亀山の地においても、天明6~7年(1786~87)の頃、北村柳悦らが招かれ持養舎が設立されたことが知られます。

文化・文政期(1804~1829)には、京都・大阪・江戸がそれぞれ拠点となりながら、

全国各地へ平易な道話を通じて広がってゆきました。

後には、町人層のみならず、武士層、農民層まで心学の思想が浸透しました。

現在は、京都の明倫舎、大阪の明誠舎、東京の参前舎が旧来の名跡とともに、その学統を継承しています。

線香1本を香炉に立てて燃えつきるのが1回の講義の時間であったという。

 

梅岩は貞享2年(1685)9月15日、現在の亀岡市東別院町東掛の農家に生まれました。

その人となりを示す事柄は「石田先生事蹟」 「石田先生語録」等に記載されています。

10歳の頃、自家の山と他家の山との境で栗を拾い、分別なく拾って来たとに叱られ、

すぐに栗を返しに行ったというエピソードから、律義で正直なの影響を受け、

愚直なまでの律儀さを身に付けたといわれています。

また、14歳の頃から生来の理屈者で意地が悪いという性格を深く自覚し、

以後、それを改めようとする強い意志を持ち続けました。

ここでいう、理屈者で意地が悪いとは、梅岩の道徳的意識の強さを反映したものです。

そのことは24~25歳ころから27~28歳にかけて曲こと(不正)を嫌い気を煩ったとか、

あまりにも気まじめであったため、奉公先の老母から、「遊興」をすすめられたことからもうかがえます。

23歳の時、再度京都へ出て商家黒柳家へ奉公した梅岩き、すでに青年期に入っており仕事の傍ら

「自分とは何か」「人間とは何か」などについて考えるようになりました。

仕事前の早朝から窓辺に向って書物を読み、仕事後の夜更けにも勉学に励んだといわれています。

この修行期の梅岩にとって「人の人たる道」を追求することが大きなテーマでした。

商人としての体験をもとに、求道者としての梅岩の苦しみが続きました。

その渦中で、小栗了雲との出会いが、梅岩を人間性の本質へ導いていきます。

梅岩は、日所生活の中でいつも経験する意識、つまり「心を知る」ことについての真剣な思索を深め、

人間性の本質である「性」を知るために修行を積み重ねることで「性は是天地万物の親」

さらには「我なし」の境地へと悟りを深めていきました。

関連記事 ⇒ まち歩き中1659 京の通り・高倉通り 北へ NO55 石碑

       まち歩き中1572+京の通り・堺町通 NO49 石碑・石田梅岩邸跡

       幕末の学校

       石碑7  手島堵庵五楽舎址   富小路六角上る

       石碑 元日彰小学校  日彰学区の歴史

       まち歩き下1429 京の通り・富小路通 No85 元 有隣小学校 

       石門心学 学習風景

       番組小学校下京第4番組小学校  日彰小学校 

       寺院西0169  是住院 浄土宗 富岡家墓所

       神社下0039  朝日神明宮

       ねむりさまし  

       右書き看板  明倫舎   説明書きがないのですが

       京都芸術センター 建物はこの前が明倫小学校 今は登録有形文化財

       

まち歩き 前回の記事 ⇒ まち歩き木津川1731 ブロック塀の一部に井戸の井桁の石が使われています

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神社木津川0251  涌出宮(わきでのみや) 和伎神社

2021年05月29日 06時39分56秒 | 道標

 

和伎神社(わきじんじゃ)

和伎坐天乃夫岐賣神社(わきにますあめのふさめ)神社

古来より天下の奇祭「いごもり祭」で世に知られる涌出宮(わきでのみや)森に鎮座する古社である。

創建は、1200年前の、称徳天皇の天平神護2年(766年)に伊勢国度合郡五十鈴川の畔より、御祭神としてこの地に勧請された。

昭和44年境内地の発掘調査の際、多数の弥生式土器片や石器類が出土し、弥生時代の集落跡であることが判明した。綺原神社と共に当地方屈指の古社です。

 

本殿前の左右の四角形石燈籠(重要美術・南北朝)は高さ2m。

居籠祭 毎年2月15日から3日間行われる当社の祭礼。

期間中はいっさい外出をやめ、物音を立てることを禁じる風習となっている。

 

 

神社 前回の記事 ⇒ 神社木津川0250 木津川 春日神社

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まち歩き木津川1731 ブロック塀の一部に井戸の井桁の石が使われています

2021年05月28日 06時10分05秒 | まち歩き

 

井桁の向こうは井戸があるのでしょうか

まち歩き 前回の記事 ⇒ まち歩き木津川1730 天井川 不動川をくぐるJRのトンネル 反対側から見ると

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寺院木津川0780 久遠山 阿弥陀寺 浄土真宗 仏光寺派

2021年05月27日 06時52分09秒 | 寺院

この寺はもともと寺子屋のようなものであったが、しだいに信者が集まるようになり開基となる。

その後宝暦8年(1785)に寛住法師がお堂を建て現在にいたる。

 

寺院 前回の記事 ⇒ 寺院木津川0779 西福寺 浄土宗

   次回の記事 ⇒ 寺院亀岡0781 穴太寺 西国33所観音霊場 第21番札所

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寺院木津川0779 西福寺 浄土宗

2021年05月26日 05時54分22秒 | 寺院

 

 

西福寺は、上狛環濠集落内の磯垣内に所在する念仏山浄雲院の山号を持つ寺院です。

創建については、不詳でありますが、永禄3年(1560)に僧道春が中興したと伝えています。

西福寺には山城国一揆を組織した国人衆の一人である狛山城守秀の子孫と考えられる

狛佐馬進秀綱肖像画が残されています。

天正12年(1584)4月9日の狛秀綱の没年月や「常雲禅定門」の戒名裏には狛佐馬進源綱之遺像などの墨書があり、

天正12年に35歳で没した狛秀綱の死後に描かれた肖像画であることが確認されています。

秀綱織田信長に仕官し、その配下として上狛における地位や勢力の拡大を図ったとみられる人物で、

狛弁財天社の再興も行ったと考えられています。

当寺には、秀綱の肖像画とともに彼の位牌も現存する他、上狛惣墓から発見された墓石も境内に安置されています。

また、11世紀の製作とみられる聖観音立像や

12世紀に制作された阿弥陀如来立像・本尊、不動明王立像の他、

天文14年(1545)の台座銘を有する地蔵菩薩立像を所蔵しています。

 

寺院 前回の記事 ⇒ 寺院木津川0778 正塔山 延命寺

   次回の記事 ⇒ 寺院木津川0780 久遠山 阿弥陀寺 浄土真宗 仏光寺派

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神社木津川0250 木津川 春日神社

2021年05月25日 05時50分03秒 | 神社

 

 

神社 前回の記事 ⇒ 神社左0249 大原 飯導寺神社

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寺院木津川0778 正塔山 延命寺

2021年05月24日 07時12分34秒 | 寺院

 

 

鎌倉時代の石造物

 

寺院 前回の記事 ⇒ 寺院木津川0777 正覚山 阿弥陀寺 浄土宗

   次回の記事 ⇒ 寺院木津川0779 西福寺 浄土宗

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寺院木津川0777 正覚山 阿弥陀寺 浄土宗

2021年05月23日 06時11分06秒 | 寺院

浄土宗 知恩院派 

大永元年(1521)村人の要請で建立され開基となる。

天正7年(1579)焼失するが、慶長2年(1597)信誉上人により再建される。

安政6年(1859)には、荒れた寺を雷雨上人が中興する。

大正12年(1923)に現在の建物を建立し現在に至る

 

寺院 前回の記事 ⇒ 寺院木津川0776  浄光山 西音寺

   次回の記事 ⇒ 0778

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古墳木津川30 木津川 椿井大塚山古墳

2021年05月22日 07時10分16秒 | 史跡・旧跡

 

現在地から 実線に沿って古墳の頂上部まで行きました。

カラスウリ

後円部を見る

史跡 椿井大塚山古墳

椿井大塚山古墳は、木津川を望む段丘上に立地する古墳時代前期初頭の前方後円墳です。

墳丘の規模は、全長約175m、後円部直径約110m、前方部長約80m、

前方部墳端幅約76mを測り、高さは後円部約20m、前方部約10m程度であったと考えられます。

築造時期は、奈良県桜井市の箸墓古墳を頂点とする定型化した

前方後円墳の出現時期(3世紀後半)にあたり、いわゆる邪馬台国の時代の古墳です。

昭和28年(1953年)、古墳後円部を横断する鉄道の改良工事が実施され、

偶然に発見された竪穴式石室から、三角獣神獣鏡30数面を含む40面近くの銅鏡や、

おびただしい量の副葬品が出土しました。

三角獣神獣鏡については、邪馬台国の女王卑弥呼が中国の魏の皇帝から賜わった鏡とする有力な説があります。

椿井大塚山古墳は、邪馬台国の所在地論争ともからんで、古墳時代成立の鍵を握る記念碑的遺跡です。

JR奈良線の線路が見えます

関連記事 ⇒ まとめ055    古墳

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石仏木津川058 木津川 北河原 の石仏

2021年05月21日 09時50分14秒 | まち歩き

 

石仏 前回の記事 ⇒ 石仏左057 大原 石仏 小さな祠

   次回の記事 ⇒ 059

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石碑木津川0238 南山城 水害記念碑 北河原地区

2021年05月19日 07時34分21秒 | まち歩き

 

昭和28年8月15日 豪雨 洪水 で この地区で 7名の方が亡くなっている

 

石碑 前回の記事 ⇒ 石碑左0237  一福茶屋

   次回の記事 ⇒ 石碑右0239 廻池 築造記念碑

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寺院木津川0776  浄光山 西音寺

2021年05月18日 06時09分03秒 | 寺院

 

創立 文亀2年(1502年) 浄土宗 知恩院派

元禄3年に阿弥陀如来を寄進される

寺院 前回の記事 ⇒ 寺院井手0775 浄土宗 知恩院派 高倉山 阿弥陀寺

   次回の記事 ⇒ 寺院木津川0777 正覚山 阿弥陀寺 浄土宗

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まち歩き木津川1730 天井川 不動川をくぐるJRのトンネル 反対側から見ると

2021年05月17日 06時25分47秒 | まち歩き

 

トンネルの向こうが京都方面

トンネルの上は 天井川の不動川

関連記事 ⇒ まち歩き木津川1728 一級河川 不動川

       まち歩き井手1727  トンネルの上は 川が流れています

まち歩き 前回の記事 ⇒ まち歩き木津川1729 初めて見た 米つき石

     次回の記事 ⇒ まち歩き木津川1731 ブロック塀の一部に井戸の井桁の石が使われています

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まち歩き木津川1729 初めて見た 米つき石

2021年05月16日 15時05分53秒 | まち歩き

左側の石  何に使うのかと調べると 米をつくときの棒の支点になる石だった

くびれたところに棒をわたして ばったんばったんと米をつく

手前の石

まち歩き 前回の記事 ⇒ まち歩き木津川1728 一級河川 不動川

     次回の記事 ⇒ まち歩き木津川1730 天井川 不動川をくぐるJRのトンネル 反対側から見ると

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