アートプラス京めぐり

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京都市外も始めました 先ずは京都南部から

まち歩き八幡0953 ナラ枯れ トラップ

2018年12月14日 23時01分13秒 | まち歩き

 

 

 

男山保全地域ナラ枯れ対策事業

石清水八幡宮境内林(京都府歴史的自然環境保全地域)をナラ枯れから守るためトラップを設置しています。

日本各地で発生しているナラ枯れは、カシノナガキクイムシ(体長5ミリ)が媒介する「ナラ菌」によって広葉樹が枯れる被害です。京都府では、虫の生態を利用したトラップ(カシナガトラップ)を開発し、大量捕獲による防除を行っています。(昨年は100万頭以上捕獲して境内の枯死木を0本に抑えました)ボトルには虫を誘引するためのアルコールが入っています。(農薬は使用していません)。本年のトラップ設置期間は5月~10月です。

貴重な森を守るため、ご協力お願いしたします。

 

 まち歩き前回の記事 ⇒ まち歩き上0951 京都御苑 石垣を突き抜けて出てきた樹木

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まち歩き上0951 京都御苑 石垣を突き抜けて出てきた樹木

2018年12月14日 12時28分58秒 | まち歩き

 石垣を突き抜けて、出てきた樹木の根


 

複雑な根元

 関連記事 → まとめ001  樹木

まち歩き 前回の記事 → まち歩き中0950  平安京  平安宮・治部省跡

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まち歩き宇治0949  宇治橋

2018年12月13日 22時08分10秒 | まち歩き

 

宇治川にかかる橋、瀬田の唐橋、山崎大橋(現存しない)とともに古来三名橋の1つに上げられた。

この橋は大化2年(646)、奈良元興寺の僧道登または道昭によって架橋された我が国最古の橋といわれる。また天智天皇が近江に大津宮を造営された頃、道昭一派に人々によって造られたともいわれている。

古来大和と近江、京都をむすぶ交通路の要衝となり、一朝有事の時にはこの橋の争奪をめぐって激しい合戦が行われた。この橋の特徴は欄干上流に面して ゛三の間゛といわれる広さ2メートル余りの張出を持つところにある。これはむかし橋の鎮守(橋姫神)を祀っていたところといわれる

三の間

まち歩き 前回の記事 ➡ まち歩き宇治0948  宇治橋西詰 石碑の群れ

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まち歩き中0950  平安京  平安宮・治部省跡

2018年12月13日 18時07分27秒 | まち歩き

 

平安時代、国政の中心であった平安宮(大内裏)には、多くの官衙(かんが・役所)が集中していた。朱雀第6小学校の南側には国政を司る重要な機関「2官8省」の1つ、治部省があり、現在地はその北端に位置する。

治部省は、雅楽寮・玄蕃寮・諸陵寮などを管轄し、諸氏の族姓や法事、仏事・雅楽・外交事務などを司る役所で、正庁と甲倉(蔵)などの庁舎から構成された。

これまでの治部省跡は発掘調査が行われておらず、付近で行われる工事中の立会調査でも、平安時代の遺構・遺物は見つかっていないため、実態は不明である。

治部省には寺院や僧尼及び外国公使の接待を司る玄蕃寮、さらに南に、「2官8省」の1つで司法行政を司る刑部省があったが、これらも調査例が少なく実態はよくわかっていない。

朱雀第6小学校は、天皇に供される水を汲む井戸があった御井跡にあたり、御井神一座が祀られ、井戸を管理する守屋が設けられていたという。当初は方1町(約120m)を占めたが、天長7年(830)に南半の町が中務省厨に充てられたことが『類聚国史』にみえる。

この井戸の水は、当地のきたにあった医療・調薬などを司る典薬寮による正月元旦の「供御薬」に用いられる屠蘇を浸す水や、造酒司での酒造りなどに用いたとされる。

1979年に校舎増改築工事に伴って行われた発掘調査では、御井に関連する明確な遺構は見つからなかったが、広範囲に広がる湿地状の凹み地形を埋めて、上面に大量の瓦破片を敷き詰めた、平安時代後期から鎌倉時代の遺構が見つかっている。

これは、湧水による軟弱な地盤を、必要に応じて埋め立てて整地したものと考えられる。また、江戸時代以降の土取り穴の底から、現在も激しい湧水があって、当地の地下水位が高いことを示しており、平安時代においても有数の湧水地であったと考えられる。

 

小学校の入り口

まち歩き 前回の記事 ➡ まち歩き宇治0949  宇治橋

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まち歩き宇治0948  宇治橋西詰 石碑の群れ

2018年12月13日 06時03分05秒 | まち歩き

紫式部の『源氏物語』54帖のうち後半、「橋姫の巻」以下の10帖は、宇治を主題としているところから世に「宇治十帖」とよばれる。

これに因んで後世に次の遺蹟がつくられた。

1 橋姫之古蹟(橋姫神社)

2 椎本之古蹟(彼方神社)

3 総角(あげまき)之古蹟(宇治上神社)

4 早蕨(さわらび)之古蹟(宇治神社北隅)

5 寄木(やどりぎ)之古蹟(槙尾山麓、宇治川畔)

6 東屋(あずまや)之古蹟(京阪電鉄宇治駅横)

7 浮舟之古蹟(三室戸寺境内)

8 蜻蛉之古蹟(三室戸路畔)

9 手習之古蹟(京阪電鉄三室戸駅東)

10 夢浮橋之古蹟(宇治橋西詰)

 

まち歩き 前回の記事 ➡ まち歩き宇治0947  宇治川の鵜

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まち歩き宇治0947  宇治川の鵜

2018年12月11日 20時41分34秒 | まち歩き

 

女性の鵜匠が活躍中

橋の右が鵜の小屋

関連記事 ⇒ 高野川の鳥

まち歩き 前回の記事 ➡  まち歩き宇治0946  宇治川  

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まち歩き宇治0946  宇治川  

2018年12月11日 13時47分17秒 | まち歩き

 

 

網代とは、氷魚をとるために竹や木を編んで網の代わりとし、川瀬に立てておくもので、氷魚は鮎の稚魚をいう。これらは宇治の名物とされ、氷魚が天皇の食膳に供されたことが『延喜式』にある。

宇治川は水源を滋賀県の琵琶湖に発して、瀬田川となり、宇治川となり、八幡市で木津川と合流する。もとは宇治橋下流で巨椋池(おぐらいけ)にそそいでいたが、文禄年間(1592~96)、伏見城築城に際し池から分離し、現在のごとく流路を付け替えた。

古来、大和から近江に通じる水路として、南都東大寺の建立にあたっては近江の木材を宇治川に下して巨椋池に運び込み、さらに木津川をさかのぼって木津に陸揚げされた。

まち歩き 旋回の記事 ➡ まち歩き宇治0945  浮島十三重石塔  日本で現存最大の15メートル

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まち歩き宇治0944  喜撰橋  

2018年12月10日 21時45分56秒 | まち歩き

 

宇治は古今交通の要衝。鎌倉時代の橋合戦、宇治川の先陣争いがあったのもここが川渡り場だった。激しい流れの宇治川と、それを囲む宇治の山々の静けさ。古来宇治は、文学の舞台として登場した。万葉集でも多くの歌が取り上げられています。

上流を見る

 

下流を見る

まち歩き前回の記事 → まち歩き右0943  亀山公園 からの 渡月橋の眺め 

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まち歩き右0943  亀山公園 からの 渡月橋の眺め

2018年12月10日 06時23分44秒 | まち歩き

桂川と 渡月橋

 

桂川と 渡月橋

 

向こうの山は 比叡山  手前 右端の山は 双ヶ丘

 

左の方は 嵯峨野 一帯

広沢の池も見えます

 

新丸太町通り と 双ヶ丘

関連記事 ➡  まとめ007  京都市内の眺め

まち歩き 前回の記事 ➡ まち歩き右0942  対岸は千光寺かな

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まち歩き右0942  対岸は千光寺かな

2018年12月09日 19時56分22秒 | まち歩き

 

まち歩き 前回の記事 ➡ まち歩き右0941  亀山山腹から 京都市内の眺め

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まち歩き右0941  亀山山腹から 京都市内の眺め

2018年12月09日 06時06分17秒 | まち歩き

京都市内 南半分ほど 東南方向を見る

 

中央に 京都タワーが見えます

桂川がS字に蛇行しています

河川敷き は 嵐山東公園  右隅に 渡月橋が映っています

中央奥に京都タワー

 

 

東方面を見る  

右の筋は JR嵯峨野線  嵯峨嵐山駅(手前)と太秦駅 間の線路

 

左の筋は 新丸太町通り その突き当り 小高い山は 双ヶ丘

関連記事 ➡  まとめ007  京都市内の眺め

まち歩き 前回の記事 ➡ まち歩き右0940  小倉山 山頂

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まち歩き右0940  小倉山 山頂

2018年12月08日 13時13分06秒 | まち歩き

小倉山 山頂への 取りつき ここから山道に入る

5分ぐらいで 山頂に到着 

見晴らしは まったくだめ 周りは木々だけ

大堰川をへだてて嵐山と相対する山容おだやかな山をいい、海抜292m、古来歌枕として世に知られる名山です。

小倉は「小暗い」の意味で、樹木が繁り昔は嵐山も含めて小倉山と呼ばれた。後嵯峨上皇が亀山殿を造営し、吉野より桜を移植して嵐山と呼ばれてから、大堰川北岸の山のみを小倉山というようになった。

この山が有名なのは、モミジの名所として多くの歌にうたわれているところにある。

貞信公藤原忠平の

小倉山峰のもみぢ葉こころあらば今ひとたびの行幸待たなん

の歌は「小倉百人一首」にもえらばれている。

この歌は延喜7年(907)宇多上皇が大堰川遊覧に御幸されたとき、山の紅葉があまりにも美しかったので、主上(醍醐天皇)にも行幸さるべきだと仰せられたのに対し

貞信公が「その旨を主上に奏上いたしましょう」と申し上げて、

この歌をよんだといわれる。

小倉山は山荘地としても知られた。

兼明親王の雄倉殿

藤原定家の小倉山荘

西行法師も出家後この山麓に庵をむすぶ

寂蓮法師もこの辺に閑居

八条院高倉

待賢門院の中納言局

藤原公雄(雄倉中納言)

藤原光経

飛鳥井雅有

覚性法親王

向井去来の落柿舎

          ・・・        などが知られています

まち歩き 前回の記事 ➡ まち歩き右0939  小倉山 西山腹から 保津峡・落合の眺め

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まち歩き右0939  小倉山 西山腹から 保津峡・落合の眺め

2018年12月08日 07時19分37秒 | まち歩き

上流を見ています

川が右に曲がっているところが落合

まち歩き 前回の記事 ➡  まち歩き右0938 京都一周トレイル 西山コース 6

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まち歩き右0938 京都一周トレイル 西山コース 6

2018年12月08日 06時27分28秒 | まち歩き

 

 

まち歩き前回の記事 ➡ まち歩き右0937  栗の木  緑の栗の実

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まち歩き右0937  栗の木  緑の栗の実

2018年12月07日 17時25分10秒 | まち歩き

 

 平成29年8月22日 撮影

 

関連記事 ➡  花左025  栗の木の花

まち歩き 前回の記事 ➡  まち歩き右0936 保津峡の鉄橋とトロッコ列車

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