アートプラス京めぐり

京都の探索、記事数4800 ミニ・テーマで京都をめぐります 随時記事更新中

右書き看板87  科喉咽鼻耳  門専  院醫木鈴

2016年02月29日 07時00分47秒 | 右書き看板

 

 

 

前回の記事 ➡  右書き看板86  司形人雛御職有   店商木大 平丸


これは何でしょう  魔除け 厄除け 難除け ・・・・

2016年02月28日 07時55分30秒 | まち歩き

   玄関先に

    12月12日が 逆さまに貼ってあります

 

関連記事 立春大吉の札があった寺 ➡

       慈眼寺  佐々成政の菩提 、与力 神沢杜口 、画家 山本梅逸 の墓所

         


石碑  浅見絅斎邸址

2016年02月27日 07時40分43秒 | 石碑

 

浅見絅斎(1652~1711)は,近江国高島郡太田村出身。京都で医学を学ぶが,山崎闇斎(1618~82)に心服し入門,門人三傑の一人となった。朱子学者として大義名分論を説き,幕末の志士にその著『靖献遺言』は広く読まれた

浅見絅斎 (あさみ けいさい)

承応元年~正徳元年(1625~1711) 江戸中期の儒者で名は安正。

望南楼と号した。近江国高島郡(滋賀県高島郡)の医家に生まれる。京都の山崎闇斎に入門。佐藤直方・三宅尚齋とともに崎門三傑といわれた。一生仕官せず、油小路に講舎を設けて研究と子弟の教授に努める。著書に「靖献遺言」「忠孝類設」などがある。

大正5年5月建立  京都市教育会

連記事 ➡  山崎闇斎の墓 黒谷 金戒光明寺

  山崎闇斎の垂加社 下御霊神社  無実の罪で非業の死を遂げた人たちを祀る

  山崎闇斎の生家跡  山崎 闇斎 (やまざき あんさい) 朱子学の第1人者 門弟6000人

          

              石碑 藤井右門宅址・富山射水生まれ・先祖は赤穂浪士


右書き看板86  司形人雛御職有   店商木大 平丸

2016年02月26日 07時22分41秒 | 右書き看板

 明和年間より続いている店です   六角通柳馬場東入ル

 

 

前回の記事 ➡ 右書き看板85   庵扇賣脇宮  扇古也美


證行寺  浄土真宗本願寺派

2016年02月25日 07時16分42秒 | 寺院

 

 

 

 


天狗・太郎坊の井戸

2016年02月24日 06時52分06秒 | 史跡・旧跡

 

 

 

太郎坊の井戸

太郎坊とは、愛宕山山頂の大杉に住んでいるといわれる天狗です。「天狗経」や江戸時代の天狗番付で、筆頭に挙げられるほど強い天狗であったらしく、「火伏せの神」として庶民の信仰を集めていました。ちなみに比良山(比叡山奥)には次郎坊、鞍馬山には僧正坊と、各地の信仰対象となった山には、それぞれ天狗が住んでいたといわれています。太郎坊は室町時代の軍記物「太平記」や「平家物語」の異本である「源平盛衰記」などに登場するようです。「太郎坊の井戸」と伝えられる井戸が、常磐野の太秦宮ノ前町に、なぜ在るのか、理由はわかりませんが、空を自在に飛べる天狗からしてみれば、愛宕山から常磐野も、ほんの目と鼻の先であるのかもしれません。

 

 

天狗・関連記事 ➡  浄福寺 赤門 天狗が主役  その四・最終

              西林寺  天台宗  木槿地蔵があります

  


願正寺  真宗大谷派

2016年02月23日 06時30分15秒 | 寺院

 

 

 

 


冬の嵯峨野 広沢の池 を 乱れ撮り

2016年02月22日 08時31分16秒 | まち歩き

平成28年2月8日  撮影    広沢の池は水が少なかった

 

 

動物の足跡  鹿かな

 

正面の小高い山の山頂は 嵯峨天皇陵  ジグザグの参道が見えます


道標 と 嵐電(らんでん)

2016年02月21日 07時10分28秒 | 道標

京福電鉄  通称 嵐電(らんでん)

 

仲野親王墓  参拝道

 

大阪皇陵 巡拝会

 

 


右書き看板85   庵扇賣脇宮  扇古也美

2016年02月20日 08時31分36秒 | 右書き看板

 

 

前回の記事  ➡  右書き看板84  院醫科齒田富


義経・弁慶 伝説  源平物語 

2016年02月17日 07時26分45秒 | 義経・源平史跡

 

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2月17日          弁慶石

                              左女牛井之跡碑

11月2日  追加    清和院

11月2日  追加  佐藤継信、佐藤忠信の墓跡

10月31日 追加  稱名寺 浄土宗  弁慶石

 

 

義経・弁慶

 

鞍馬寺  鬼一法眼社  魔王の滝  由岐神社  義経公供養塔  息次ぎの水  木の根道

背比べ石  遮那王堂  義経堂  僧正ガ谷不動堂  貴船神社  鬼一法眼之古跡

常盤地蔵(常徳寺)  牛若丸誕生井碑  牛若丸胞衣塚  源義経産湯遺址碑

腹帯地蔵(光念寺)  常槃井  弁慶腰掛石(長谷川米穀店)  晴明神社  一条戻橋  神泉苑

弁慶石  稱名寺 の 弁慶石 

祠下003 冠者殿社 土佐坊昌俊・誓文払い     五條天神社   若宮八幡宮(源氏の堀川館) 

 左女牛井之跡碑

牛若丸・弁慶像  五条大橋  松原橋  若宮八幡宮(五条坂)  十禅師の森跡(寿延寺)  清水寺  

弁慶の足跡(清水寺)  弁慶の錫杖と鉄下駄(清水寺)  子安塔(清水寺)  静供養塔(白沙村荘) 

出世恵比須神社(粟田神社)  馬町十三重塔(京都国立博物館)   佐藤継信、佐藤忠信の墓跡 

子育常盤薬師(宝樹寺)  伏見稲荷大社  常盤井の井筒(御香宮神社)  

常盤御前就捕処碑  源光寺(常盤御前墓)  牛若丸首途の井跡碑  義経首途地蔵尊(願王寺)

首途八幡宮  往生極楽院(三千院)  弁慶背くらべ石(八瀬八幡宮社)  

弁慶のにない堂(延暦寺・西塔)  弁慶水(延暦寺・東塔)  蹴上地蔵

義経大日如来(蹴上インクライン疏水公園)  義経の腰掛石(京都薬科大学グランド)

 

牛若丸血洗池(京都薬科大学グランド)  醍醐寺  宇治川先陣之碑  

  

     

  

 

源氏

土蜘蛛塚(東向観音寺)  清和院  源頼光塚(上品蓮台寺)  若宮八幡宮(北区)  首途八幡宮

高松殿跡(高松神明神社)  染殿地蔵(染殿院)  若宮八幡宮(源氏の堀川館)  若宮八幡宮(五条坂)

山吹御前塚(元有済小学校内)  安井金毘羅宮  朝日将軍木曾義仲首塚(八坂の塔)

金戒光明寺  熊谷鎧かけ松(金戒光明寺)  蓮池院(熊谷堂)  直美と敦盛供養塔(金戒光明寺)

即成院  今観音寺熊野  清和天皇水尾山稜  清和天皇社  円覚寺  

熊谷直美腰掛石・鉈捨藪碑(勝林院前の律川畔)  花尻の森  𥒎の観音(𥒎観音寺)

義朝駒飛石と甲ケ淵   源為義の墓(権現寺) 源頼朝の祖父  六孫王神社  大通寺

源頼政跡碑(長尾天満宮)  平等院  

 

平氏 

三島神社  厳島神社(京都御苑)   高松殿跡(高松神明神社)  新玉津嶋神社  駒止地蔵(蓮光寺)

内大臣平重盛公之碑(浄教寺)  清盛供養塚(六波羅蜜寺)  平氏六波羅第跡碑(洛東  中学校)

釣殿井(妙順寺)  感神院西大門(八坂神社)  忠盛燈籠(八坂神社)  長楽寺  一乗寺下り松

直美と敦盛供養塔(金戒光明寺)  積翠園(京都専売病院)  平重盛小松殿跡(正林寺) 

菖蒲谷と六代御前  祇王寺  平清盛供養塔(祇王寺)  寂光院  建礼門院大原西陵

阿波内侍らの墓  御庵室遺蹟  朧の清水  西八条殿跡(若一神社)  岩井(水薬師寺) 

平重衡の墓  勝明寺 清盛公 𦾔蹟      

祇王・祇女➡ 西八条殿跡(若一神社)

仏御前  ➡ 西八条殿跡(若一神社)

平清盛  ➡ 西八条殿跡(若一神社)

 

 

朝廷・公家

白峯神宮  伴緒社  土御門内裏跡  堀川天皇里内裏址  高松殿跡(高松神明神社) 三条西殿跡

三条東殿遺址碑  高倉宮趾碑  神明神社  高倉天皇  俊成社   長講堂  釣殿井(妙順寺) 

安井金毘羅宮  崇徳天皇御廟  元祇園女御塚  須賀神社  崇徳院地蔵(積善院) 熊野神社

白河院址碑  白河南殿跡碑  白河北殿跡碑  法勝寺九重塔址碑(京都市動物園)

俊寛僧都故居之碑(満願寺)  俊寛僧都忠誠之碑  熊野若王子神社  法住寺殿跡碑・法住寺

法住寺殿跡碑(三十三間堂)  後白河天皇法住寺陵  新日吉神宮  新熊野神社  今熊野観音寺

高倉天皇後清閑寺陵  小督の墓(高倉天皇陵)  六条天皇清閑寺陵  清閑寺

小督の供養塔(清閑寺)  法金剛院  待賢門院花園西陵  仁和寺  滝口寺  小督塚    

小督の車琴(常寂光寺)  琴きき橋・琴きき橋跡碑  大堰川  虚空蔵法輪寺  小督の経塚(法輪寺)

寂光院  建礼門院大原西陵  鳥羽離宮址(鳥羽離宮公園)  城南宮  白河天皇成菩提院陵

鳥羽天皇安楽寿院陵  安楽寿院  白河法皇・鳥羽法皇院政の地

      

 

文覚の墓(神護寺)  俊寛僧都供養塔(峰定寺)  浄禅寺  袈裟御前宝篋院塔(恋塚寺)

  

     


弁慶石  

2016年02月17日 07時20分33秒 | 史跡・旧跡

 

 

 

弁慶石の由来

この石は弁慶が熱愛したと謂れ弁慶は幼少の頃三条京極に住み死後この石は奥州高舘の辺りにありましたが発声鳴動して「三条京極に往かむ」といひその在所には熱病が蔓延したので土地の人が恐怖し享徳3年(約500年前)三条京極寺に移し以来当町を弁慶石町と称するに至りました。その後市内誓願寺方丈の庭に移しましたが明治26年3月町内有志者により当町に引き取られ昭和4年7月12日この場所にこんりゅうされたものであります。

京都市中京区三条通弁慶石町

関連記事 ➡  義経・源平史跡


右書き看板83  器漆

2016年02月16日 06時53分31秒 | 右書き看板

 

 

1924年(大正13年)より漆器・工芸品を扱うお店です

 前回記事 ➡  右書き看板82  廣末龜司子菓御


右書き看板82  廣末龜司子菓御 

2016年02月15日 08時50分41秒 | 右書き看板

 

文化元年(1804年)創業   額の縁は菓子の木型で作られています

 

前回の記事 ➡ 右書き看板81   堂芳春


右書き看板81   堂芳春

2016年02月14日 08時19分48秒 | 右書き看板

 

 

 

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